第36話 心理作戦
「ウワっ!」
礫が脚を掠めて、デロ、と皮が剥けて血と情けない声が出た。
それでも、蹄はまだ止まらなかったが、敵はまだ統制されていて、キレイな横隊を以て我々を包み込もうとしているように見えた。矢を射掛けてから突っ込むだった。だがもう遅い。
「止まるな! 突っ込め!」
ふと敵の方を見ると、私の「理解」の中にある者が居た。
彼は軍旗の側で味方を励まし、伝令を飛ばし、ラッパを近くに置いて、周囲をよく見渡し、そして一人だけ庇の広い帽子を被っていた。
彼のギラ、という視線が、私の瞳を射抜いた。
薄暗い太陽と、風雨、そして礫の擦過音の中で、彼の視線が一番目立っていた。
あれが、敵の頭か。
理屈のない納得があった。
右手をいっぱいに伸ばして剣を掲げ、文字には表記できない咆哮を発して、迫る。
鎧を何かが叩く。その度、胸郭に衝撃が響く。金属が鳴る。
直後、兜を強く叩かれてよろめいた。視界が真っ暗になった。
****
「各人ごと撃て! 列を崩すな!」
衝撃力が無くなった戦列は、火力を以て相手を抑え込むしか無い。
或いは、銃剣の威力を以て相手を圧倒撃滅するという手もあるにはあるが、相手は
端から端まで戦列を見渡す。何人かの足はガタガタと震えていた。
もう一度彼らが窪地から頭を出したとき、私は衝撃的なモノを目にした。
女?
兜を被り、鎧を身に着けていても、性別が判別できるぐらいの距離。
それぐらいに接近されているということを意味していたが、一方で私の脳裏に相当な衝撃が走ったことも言うまでも無い。
驚愕で、号令が喉に突っかかる。彼女は依然として、
ホルスターから拳銃を取り出して、癖でスライドを引いた。無駄になった実包が一発、
1発。外れた。
2発。掠めた。
3発。当たった。腹に当たった。
4発。まだ突っ込んでくる。
5発。あと3発か?
6発。当たった。頭に当たった。
直後、ガコッ! とスライドが後退して止まった。弾切れの合図だった。そうだった、もう1発撃って、1発はさっき無駄にしたんだった。
もっと演練しておけば。そう思いながらレバーを押し下げて空弾倉を捨て、予備弾倉を弾帯から引っ張り出し、ぶち込んでからスライドを軽く引く。
見ると、敵はメチャクチャに撃たれながらも、その「女」を救護せんとして窪地にソレを引きずろうとしているところだった。敵の幹部だったのか?
突撃を一旦発揮したなら完遂しろよと心のなかで突っ込みを入れつつ、「撃ち方待て」を号令する。そして旗手と護衛、ラッパ手と通訳を引き連れて隊列から外れた。
****
姫様が急に顔を真っ赤にして突撃を発揮したとき、実は止めようとしていた。
しかし彼女は、疾かった。御館様のように。
案の定射られて倒れた彼女をなんとか窪地まで引きずった後、点呼を取った。残りは500と少しになっていた。敵は、あの劣等種共は、きっと魔法が使えるのだろう。カタリナは、そんな迂遠な真似をして、楽しんでいるのかもしれない。
姫様の兜と胴当てには、凹みがあった。家宝が、先祖が彼女を助けたのだ。
今日はもう戦えない。兵の様子を見てそう判断したが、直後、丘上から声が掛かった。
「アナタガタ ヨク タタカイ マシタ! イノチ ウバイマセン!」
どこかで聞いたことがあるような、無いような声だった。見ると、劣等種が尊大な態度で立っていた。背が低い彼らが槍をこちらに構えているのは、どこか滑稽なところがあったが、今はそれに敗北したという事実の方が大切だった。
上の方で劣等種が何やらゴニョゴニョ話している。
「メイヨ ㇵ、ヤクソク、シマス。アタタカイ、ニクイリ スープ、ガ、アリマス」
片言だったが、よく通る声だった。
兜では無く帽子を被っていたソレからの申し出は、大変に魅力的だった。腹が減っている。疲れている。
「カタリナ ㇵ ジヒブカイ」
アレがエルフ? カタリナ?
一瞬そう信じそうになったが、多分違うだろう。
とすると、あの帽子が、敵の年寄か。良いようにしてやられた。
味方に戦意は無かった。
暫くの後、丘上に、さっき我々を破砕した敵の横隊の全部が現れた。あそこから礫を放たれれば、もうどうしようも無いことは明白だった。
「コレガ サイゴノ シラセ!」
黙殺を選んだ。
カタリナに枝肉にされ、その絵画が後世に残るぐらいなら、武人として、名誉ある戦死の方を選びたかった。
しかし、
****
「温食だ! 各中隊1コ小隊ごと受領! 敵がよく見えるところで食え!」
通訳から聞き出したやっつけ語彙での『愛の片言投降呼びかけ作戦』は失敗した為、『
一瞬の晴れ間、落日が、我々を煌々と照らしていた。
丁度、敵集団の風上に温食配当場所を作る。
敵から鹵獲した食材を使えねぇかなと
1コ中隊の四分の一ずつに飯を食わせる。
最初の小隊が食事を終え、次の小隊が飯を食い始めた頃、
チーズと生クリーム、挽肉が混ざったソースは、兵が手に取る頃には脂が半分固まっていたが、それが手元に来た兵隊は歓声を上げ、涙を流して貪った。
「おい! 美味いぞコレ! 食わねぇのか?」
おそらくお調子者なのだろう。ヒゲと腹肉を、よくたくわえたデブが、ビールを飲み干すが如く紙カップの中身を煽り、肉汁まで啜り切ってから、敵に向け叫んだ。
敵は『打ちひしがれている』としか形容のしようが無い状態に陥っていた。
GFがすでに彼らの後背に展開し伏射態勢に入っていた為、もし彼らが攻撃しようモノならすぐさま皆殺しにできる態勢にはあったのだが、その必要は無かった。
彼らはただ、身体的な欲求と精神的な欲求との間で揺れていた。
メガホンを手に丘へ登り、通用語で語りかける。
「これ以上の争いは、最早お互いにとって無益である。武器を捨てることこそが、諸君らにとって最善の選択なのである」
一瞬、ギョッ、とした感じがあった。
ナメられている感じは無かった、ただ、彼らに恐怖と疲労、空腹があることは分かった。
「諸君らの決死の健闘には心より感服した。しかしながら、もはや勝敗が決していることは、勇猛なる諸君らの理解するところであろう」
泥まみれの彼らは、弾雨を避けるために窪地に居た。
つまり、風は凌げても雨は溜まっていく。へたり込んだ彼らの馬体の半分は水に浸かるぐらいの水位があった。
「諸君らの勇気に、心からの敬意を表する。武人として、諸君らと相まみえることができたのは、この上ない名誉である」
ワーテルローじゃ、ナポレオンの親衛隊は砲を向けられ、名誉を約束されて尚、戦う姿勢を崩さなかった。そして砲兵の至近距離射撃を受けて壊滅した。
果たして彼らは、そこまで『洗練』されているのだろうか。
メガホンを口から外す。風が強く吹き、我々の旗は激しくはためく。雨が、また降ってきた。
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