第33話 行き足

「不味いな」


 黄色信号が上がり、射撃計画に従って臼砲、機関銃、小銃が渾然一体となって射撃する一方、陣前に押し寄せる敵は津波のようにBP5を飲み込もうとしていた。

 当初防波堤として期待した鉄条網は、馬体の重量と勢い、そして彼ら自身の質量によって既に無力化されていた。対人壕落とし穴は、その全部が埋まっていた。機関銃は、えっちらおっちらと予備射点へと担がれつつあった。


「倍じゃ、見積足りなかったか」


 盲点だった。


 思ったよりも、我の火力は大きかったし、敵の機動力は小さかった。

 そして、気象条件は最悪と言って良かった。気象予報の整備が喫緊の課題として浮上したが、それはどうでも良かった。この悪天候の中でも、敵も味方もよく戦っている。その事実だけが今は重要だった。


 敵は、果敢だった。

 障害帯が突破され、敵の先頭が赤色標識障害帯終端を通過した直後、空気中の水蒸気が断熱膨張により凝縮し、雨の軌道が歪んで、波紋が表現されるのが見えた。咄嗟に頭を庇う。数秒後に轟音が響いた。


 2中隊長所定で、陣前障害爆薬が発動されたのか。

 双眼鏡を覗き込んだが、敵も、味方もどうなっているのか分からなかった。


 大きなキノコ雲が上がっている。

 暫くして、味方が自転車に乗り、手を振りながら橋を渡ってきた。


 軍属と将兵は、唖然としてキノコ雲を見つめていた。

 暫くして歓声が上がった。穴の中に、敵の残渣を認めることはできなかった。


 しかし、


 戦闘指導の通り、1中隊と2中隊が橋を渡ってきたということは、

 大量の鉱業用爆薬が、敵を押し留められなかったことを意味している筈だった。


(5) 我が任務達成に重大な影響を重大E/C及ぼす敵の可能行動

ア E―1を採用し、突破力を集中してBP5、BP4を突破、我の残存部隊がBP2に展開する前にドーベック市街を強襲した場合、我の任務達成に重大な影響を及ぼす。

イ E―2を採用し、BP5突破後BP4からの攻撃を甘受して速度を発揮し、我がBP3での遅滞に失敗してBP1を攻撃された場合、我の任務達成に重大な影響を及ぼす。

ウ E―3を採用し、敵が整然と我の防御組織を破壊し、我が組織的戦闘を継続できない状態に陥った場合、我の任務達成に重大な影響を及ぼす。


 作戦資料が頭を過る。

 一つ、重大E/Cが心に残っている。

 敵は、遅いのでは無かった、「一挙に駆け抜ける」それだけを頭の中に入れていた。橋は、味方しか渡っていなかった。

 眼鏡を覗いたとき、敵の一集団が、『障害があったところ』へゆっくり動いているのが見えた。敵のやる気は、まだ残っているようだった。味方は、笑っていた。戦意は、無いようだった。


「不味い」

 


****



 あの爆発があったとき、自分がどういう顔と姿勢だったかは、いまいち覚えていなかった。ただ、「全て・・が無くなった」ことだけは分かった。

 耳鳴りと頭痛がした。それしか感じなかった。


「敵は引いております」

「もしかしてカタリナが、味方ごと?」


 そうとしか思えなかった。

 エルフはいつもそうだ。我々にだってそうなのだから、ましてや劣等種相手でもそういうことは平気でするだろう。武家の者として、思わず舌を巻いた。

 こちらがやられたら嫌なことを、的確にやってくる。


「戦が上手すぎる」


 ここぞという所で切る手札と、常に使える手札とが、手を変え品を変え我々を攻撃していた。だが、


「もう、手札切れでしょう」


 ベッペ、リカルドの隊は、まだ無傷だった。

 あの爆煙の中から、駆け足の音が聞こえた。あの爆発を受けて尚、責を果たそうとしている者が居る。そんなことは確認しなくても分かった。


 敵は退却している。道は開けている。味方はまだ戦っている。

 屍で舗装された道であっても、私がやらなければならないことは分かっていた。


 もう一度、家宝を引き抜いた。



****



 味方は完全に勝ったと思い込んでるが、敵は完全に勝ち筋が見えたと思っている。

 完全に、見積を誤った。BP3メウタウ北岸陣地に、部隊1Coを入れておくべきだった。もう間に合わない。

 敵がもしもココBP4を無視して前進を強行した場合、こちらから一方的に撃てると思い込んでいたが、よく考えれば速度が全然違った。BP4から射撃したが、もう敵は離隔している。障害を超越して、全速を発揮していた。

 戦争の勝敗は、どれだけ殺したか、どれだけ死んだかでは決まらない。

 どちらが、意図を相手に強制任務を達成できたかで決まる。


 どこかで、楽隊が勝手に演奏を始めていた。勇ましい行進曲と、兵たちの合唱がここCPまで聞こえた。

 伝令を呼ぼうとしたが、来なかった。


 しょうがない。

 天幕から歩み出て味方の方に寄ると、ホルスターから拳銃を抜き出し、高く突き上げて一発、空に向け放った。

 一瞬の後、静寂が訪れた。スゥと息を吸い込む。警笛を鳴らす。


「各中隊毎整列」


 ビールを浴びていた中隊長が、慌てて部下を小隊毎横隊に並び替えさせた。

 基準、集まれ、整頓、気を付け。


 警笛と拳銃を仕舞って臼砲の弾薬箱に乗る。ギリ、と軋んだが、十分に体重を受け止めてくれた。見渡し、張り上げる。


「敵はまだ、攻撃を継続している」


 雨は小降りになっていた。日が落ちてきて、やや冷たい風が頬を撫でたが、制帽と雨衣は、よく環境から身体を隔離してくれていた。


「まだ戦いは終わっていない。喜ぶのは、早い」


 兵たちを見渡す。ドーランの中、白目がよく目立った。


「敵はまだやる気だ。ドーベック我が家が危ない。3中隊みんなが危ない」


 白目の中の瞳が、動揺する。


「俺が先頭だ。付いてこい!」



****



 ここに来る前の間、罠に引っかかって何人かが斃れたが、礫も空からの攻撃も無かった。変な落ち着きがあった。

 敵が掘り返した地面に脚が取られたし、敵陣に近づけば味方の屍体があったが、一度踏みしめてしまえばもう関係が無かった。むしろ、味方の屍体で舗装されている方が、駆けやすかった。

 生まれてはじめて、自分に四脚があることに感謝した。きっと二脚だったら、どこかで転んで泥まみれになっていただろう。


 暫く川沿いを東に進むと、丘があった。

 隠してはあったが、不自然に盛り上がったり、杭が立てられたりしたのは見えた。

 龍騎ワイバーンに頼み込んで、今度は丘の上を吹き飛ばしてもらう。


 今度は、味方から歓声は上がらなかった。緊張だけが満ちていた。


「ここの穴には、敵がおりませんでしたな」


 どうやら空振ったようだった。或いは、執事と同じく全て「無くなって」しまったのかもしれない。もう銭は無いが、後悔は無かった。伝令に雇った龍騎ワイバーンは、天候不順を理由としてとっくの昔に帰ったようだった。


 丘を越えると大きな、大きな街があった。

 カタリナ一人のために、こんなに大きな街があることに驚いた。


「ここが……」

「ええ、ドーベックのようですね」


 正直な所感を述べるならば、財政的な豊かさでは我が家よりカタリナキチガイエルフの方が完全に上なんだろう。

 この土地を、あの街を手に入れることができれば、これまで被ってきた莫大な被害が、少なくとも財政的に癒やされることは明白であった。

 日が傾いて、影が遠く伸びる。

 もう疲れも、不快も無かった。勝利がそこにあるという、高揚感があった。


 それを、聞いたことが無いが、間抜けな轟音が掻き消した。

 ポーという音の直後、ガタンゴトンという、乱暴に鉄がぶつかる音が連続して聞こえる。なんだ、アレは?


「地竜か?」

「いや、違う、」


「敵だ」


 敵は、撤退したのでは無かった。



「戦闘団! 左の目標群、照準出来次第各人毎撃て!」


 窓を全部跳ね上げ、椅子に委託した姿勢を取った兵が、小銃をぶっ放し始める。

 こんなこと、作戦上やるつもりは無かったが、やるしか無かった。


「いかん、走れ!」


 汽車対騎人ケンタウロス

 地球では、商業化の前に行われたような奇妙な競争が、ドーベック平野で幕を開けた。

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