第32話 周到防御
物理法則が違うと思わしいこの宇宙で、数学以外は最早使い物にならないのでは無いかと一瞬思ったが、部下が居たし、私は戦闘団の勝利のために責任を負っていた。
バケットにバターを乱暴に塗りつけて、貪る。直轄斥候はまだ発煙弾を上げない。
伝令から1中隊展開完了の連絡を受ける。無線が欲しかった。
暫くして、直轄斥候が「
直轄斥候か支隊を出すか、臼砲をココから動かしてBP5へ運び込み、敵を
ギリギリ射程が足りなかった。
「敵、動きませんね」
臼砲は一応、降雨時にも撃てる設計ではあるが、それでも火薬の都合上不発率は高くなるだろうと予想されていた。
「まぁ、ここまで来たんだ、明日の朝には来るだろ」
敵は機動兵力、我は周到防御。
作戦計画を起こすとき、あまりにそれを重視し過ぎた。どうやら敵は『洗練されていない』ようだった。
****
「敵は地面に穴を掘り、我らを待ち構えております」
息を吹き返したサムエルは、急に、一々
「である以上、一挙に駆け抜ける他無いと考えますが」
要は、責任を負いたくないのだ。
いや、どのみちこの家の責任を負うのは私であることに変わりないのだが、決断のコストを私に肩代わりさせようとしていた。
「川の向こうにも敵が居るね」
「はい、その通りです」
「あそこから礫は届くと思う?」
「いいえ、奴らは300歩から放ってきました。仮に川の向かいから放っても、当たるとは思いませぬ」
脚には自信があった。
雨が降って脚が取られる前に、行かなければならないのは分かっていた。
後ろ脚が、地面を乱暴に蹴った。決断のコストだった。
震える手で、家宝を抜いた。ゾクリという冷たいものが、自分の中に流れた。
「仕掛けよ」
****
「動いた!」
ラッパ「気を付け」が吹奏される。
貪っていた戦闘糧食が包み紙ごと投げ捨てられ、小銃の照尺が立てられる。
「2中隊、統制射、照尺1000、小隊ごと撃て」
2中隊は、1中隊とはまた違った強みがあった。
普段、街中で警備をしている警保出身者が多く、かつパレードやファンシードリルもやっていた為、部隊としての行動、そして殺意に直面することに慣れていたのだ。
「よーい……っ撃てぃ!」
その発砲音は、まるで一発の大きなクラッカーのようであった。
一方、BP5を増強すべく配備された1中隊は、各個射撃を実施していた。そっちの方が良いと知っていたからだ。
BP5には、機関銃が2丁配備されていた。「気を付け」のラッパを受けてジャケットに水が入れられ、
3回程2中隊が斉射し、敵の何人かが倒れた頃、雨が降ってきた。
リアムは、戦闘団の監視哨に居た。ヘルメットの庇をグイと上げ、双眼鏡の接眼レンズに付いた雨滴を戦闘服の裾でギュムリと拭き、敵方に向けた。
「もしかして5コ隊を直列に突っ込ませるのか?」
彼らは、旗ごとキレイに整列して傘型の隊形を取った後、それぞれがBP5へ突っ込んでいた。5コ隊という事前情報と直轄斥候の報告は、間違っていなかったようだ。
敵の先頭は、弾雨に怯まなかった。それどこか、小銃の射弾で鞭が入ったかのように加速していた。見積よりも早かった。
地積を一杯に使って、彼らは果敢に突っ込んでいた。分かってはいたが、想像よりも早い。既に射撃計画が2ページぐらい駄目になっている。
「臼砲、B号発動!」
爆発音の後に、鐘の余韻のような音が響く、独特の射撃音がこだまする。
着発信管は、上手く作動した。
分厚い雨衣は、あまりに熱と湿気が籠もったし、地響きのような敵の行進音は、今すぐにでも
敵を眼鏡で見るのはやめた。さっき、目が合ったような気がしたからだ。どうせ情報は伝令から上がってくる。地図とニラメッコする。
雨音に混じって、ヒョーウという音が聞こえ、つい首をすぼめた。敵が射掛けてきたた矢の飛翔音だった。監視壕には蓋が付いていることも忘れて咄嗟にしゃがんだが、矢は全くデタラメに放たれたようで、脅威とは感じられず、立ち上がる。
直後、もっと大きい音が、空気を切り裂いて何かが驀進する音が、一帯に響いた。またしゃがんだ。虫が半長靴の脇を歩いていた。
一瞬の無音の後、爆発音があった。まだ爆薬は発動していない。
味方の臼砲か、BP5が『臼砲小隊と連携する』ことを思い出し、監視哨から外を覗く。小銃の発射薬と臼砲の炸薬由来の白煙が辺りを覆っている。
発砲音と号令に混じり、敵の喚声と、地響きが腹に響いた。
「各小隊、現在位置で防御戦闘を継続」
矢の密度は上がり、そして的確になりつつあったが、もう、気にならなくなった。
****
私は、どこで間違ったのだろうか。
年寄として、お嬢様を立派な武士にしてご覧に入れますと、誓ったはずだった。
これ以上に無い、好条件の獲物、カタリナの情報も、情報屋から仕入れたし、大義名分もあった。そして、武功も獲得できそうだった。
だが、配下は行軍中に礫で打たれてその半分が死に、もう半分は今、空から襲われて死にゆこうとしている。
今更引き返すことはできない。間合いを詰めるしか無い。
「サムエル殿! 一旦引き返しませぬか!」
「いかん! ここで下がってもまだ敵の間合いだ! それに――
これまで死んでいった者たちに、示しが付かない。
泥濘み始め、爆発で抉れた地面の上を跳ねるようにして駆ける。
兜が、鎧が、ガチャガチャと音を上げる。聞き慣れた音に、少し安堵した。
敵の礫と、空からの攻撃の合間を縫うようにして、進む。
無意識に雄叫びを挙げていた。手下も一緒だった。
「ぉおっ!?」
脚を取られた。ガクリと身体が落ち込み、何かが腕に食い込んだ。
長い溝が掘られ、その上には棘が付いた針金のようなモノが、一面に張られていた。やられた。
彼が最後に見たのは、同じように溝に落ちる手下だった。
「あの馬鹿、正面から突っ込んでも死ぬに決まっておろう」
ある隊は、側面から回り込もうとした。
敵の注意は、今突っ込んでいるサムエル隊に向いている。
しかし、そんなことは敵にとって『想定済み』だった。
地雷と落とし穴、
「……敵の術中に嵌ったな」
明らかだった。
我々の力では、ドーベックに居るカタリナの首を取ることはおろか、今目の前に展開している劣等種をも撃破することは出来なかった。
あそこで、言われるがまま命じなければ、強く、もう帰ろうと言っていたら、違ったのだろうか。もう半数は戦えない。
だが、
「今更下がることも出来ますまい」
雨が、地面を濡らしていた。きっとあの山道を使ってトロトロ撤退しても、今突っ込むのと大して変わらない被害が出る。
「あの罠を突破すれば、ドーベックまでは阻むものは無いと思います」
突っ込めと、執事は言っている。
平野には背の短い草が満ちていた。これならば、多少の雨でも脚が取られることは無い。
「パパに合わせる顔が無いね」
鎧が蒸れた。兜が重かった。
きっと今、凄い顔をしている。
死にたくない。行きたくない。
後ろ脚が生暖かった。
「ベッペ殿」
執事が手下を呼び寄せた。
「姫を頼みます」
彼はそう言うと、ギラ、と歯を覗かせた。
目だけは、いつものように優しかった。
行かないでとも、連れてってとも、言えなかった。
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