第22話 天国

 ロベルト・ディ・ブイは、優しい小心者であった。

 カタリナ商会で番頭を務める彼は、どうしても、主人が新しく拾ったヒト――リアムのやることなす事が一々残虐であることに、そして、主人がそんなヒトを重用することに耐えられなかった。


 未だに彼は、数年前に見た悪夢にうなされていた。

 何の躊躇もなく、同族に暴力を振るい、そしてどこから仕入れたのか分からない手技で拷問する、小柄だが、異常な程に強く、そして必ず、誰かを痛めつける度に口角が上がる彼が、いつの日か自分を痛めつけるのでは無いか。地下室で聞いた必死の呼吸が耳から離れなかった。


 確かに彼は天才だ。


 賢いし、よく道理を弁え、そして上への敬意を欠かさない。組織人としても、一人のヒトとしても、素晴らしい素質がある。きっと、彼は私を殺さずとも、私を蹴落とすだろう。いや、既に蹴落としたようなモノだ。


 恐怖と嫉妬に狂った彼の下に、ある日、小綺麗な格好をしたドワーフ同族が現れた。


「やぁどうも、ここ空いてるかな」

「ああ、どうぞ」


 ロベルトは、雑踏に面した軽食屋で、カリッと焼いたパンに半熟の目玉焼きとバター、チーズとトマトを挟んで食べるのを楽しみにしていた。

 そんな彼の憩いの場も、単純な人口増加と鉱夫の雇用・流入で混み合うようになっていた。これもリアムのせいだ。


「俺はレーリオ、医者をやってる」

「俺は……ロベルトだ。カタリナの番頭やらせて貰ってる」

「カタリナの番頭か! すげぇな!」


 レーリオと名乗る医者は、ロベルトと軽く握手を交わすと水を煽って、メニューを開いて適当に――ロベルトと同じものを――注文した。


「この街は良いな。みんなイキイキしてる」

「そうかな、良いことばかりじゃないが」

「街並みがキレイな割にエルフもケンタウロス騎人も居ないってのは妙だが、普通ヒトがここまでデカい街を作る前に略奪だかに遭うからな」


 サンドが来るまでの間、レーリオは捲し立てた。

 ドワーフの気質は荒いと思われがちだが、その実、多産と集住を実現するために社交的なのだ。ロベルトは珍しい方だった。


「で、良いことばかりじゃないってのは何なんだ」

「それは――「上サンドお待ちぃ!」


 何を言おうか、ヒトが実質作ったことか、暴力がこの街の根底にあることか、商会の悪辣な『金融』のことか、それで自殺者まで出始めていることか、職務上の倫理と「喋って楽になりたい」という欲の間でロベルトが揺れている間に、キッチンは注文を処理してしまった。

 ここのウェイターに、何か込み入った話をしていそうだから一旦提供を見合わせるとかそういった教育はされていない。出来るだけスピーディーに客の需要を処理することこそが正義だと、彼女らは確信していた。


「うん、美味めぇなコレ!」


 パンと野菜の食感に、目玉焼きとバター、溶けたチーズの風味が合わさって最高なのだ。この街の膨大な需要は毎日生野菜を供給するという課題を克服するのに十分な質量があった。

 レーリオは一息でサンドを食い切ってしまうと、急に優しい声色になって言った。


「アンタ休んだ方が良いよ。だいぶ疲れてるだろ」


 なぜ分かるのか。


「ま、悩みがあるならココまで来てくれよ。医者だからな。秘密は守るさ。じゃあな」


 彼が手渡した木片には、炭で『ヘブンズゲート』に診療所がある旨が記載されていた。ヘブンズゲート、誰だか趣味の悪い奴がそう名付けた小さな、そして高密度の街は、鉱夫とそれに伴う様々――主に売春街――があった。

 なるほど、そっちの医者なのかもしれない。妙に人馴れした彼の立ち振舞に理屈が付いたことに納得しつつ、ロベルトは帰路についた。


 その晩。


 ロベルトはとんでもない痛みで目を覚ました。

 これまで経験したことの無い、ガンガンという頭痛だった。

 ドワーフは滅多に病気をしないこともあって、ベッドで頭を抑えるしかその対処を知らなかった彼の脳裏に、ふと昼間会った医者がよぎった。



****



「お疲れ様です!」


 翌朝、ヘブンズゲート行きの列車に乗ろうと駅に向かうと、小銃を吊り、この街で「公吏」を意味する制帽を被り、「警保」を意味する徽章を縫い付けた警備員から敬礼を受けた。つまるところ、彼はカタリナさんの使いであることを全身で証明している訳だ。商会的には彼は部下にあたるが、新しい「法」とやらでは、条件次第で彼は私を撃ち殺すことだって出来るらしい。幸いにして彼はそんなことはしないみたいだ。

 スッと片手を上げて返す。正直こういうのは苦手だ。


 リアムが根気を入れて作った『鉄道』は、確かに便利だが、ヒトが作ったモノ相応に不快でもあった。

 揺れるし、石炭・石油臭いし、混んでいるし、乗客は薄汚い。


 窓からは遠くにヘブンズゲートが見えたが、そこも何となく暗く霞んでいるように見えたし、実際選鉱場からの粉塵で霞んでいた。

 乗客は慣れているのか、どこの店の誰が良いだの、誰ソレはお気に入りだの、それは罠だのといった会話に専念していた。


 キキキ、と列車が停まり、カランカランというベルの音が響き、ゾロゾロと出口の方へと人の波が押し寄せる。一瞬、ロベルトはどういう訳だかわからずに立ち尽くしていたが、邪魔だとばかりに押され状況を理解し、どうにかして身体を出口へと向けて同じように歩き始め、気付けば駅の外に居た。


 独特の雰囲気。そう言うのが適当なのだろうが、『ヘブンズゲート』は、遠くから見るよりもずっと良いところのように感じられた。

 坑道で粉塵にまみれた鉱夫が身体を清めるための風呂はあちこちにあったし、『個人用風呂(背中流しのサービス付き)』も街路を一つ潜ればそこかしこにあった。

 そして、日銭を稼ぐための求人屋台と、日銭を消費するための飲み屋が隣接し、食欲をそそるような飯屋も、乱雑だがある程度の秩序をもって並んでいた。


 変な居心地の良さを感じつつ、ふと思い出したように木片を改める。ここからそう遠く無かった。


 駅前から大穴までを流れる人の河からすこし離れると、急に静かになった。

 知らない街に一抹の不安を覚えつつ、看板を見つけて中に入る。


「ごめんくださーい……」


 ギョロ、と肌荒れした女がこちらを睨んだ。患者のようだ。

 診療所の中は清潔だったが、薄暗く、そしてジメジメしていた。



****



「ありゃ、昨日の」


 女の後、診察室に入ると、レーリオは昨日と同じく小綺麗な格好をしていた。


「なんだい、頭が痛いのか。寝不足じゃないかな」


 別に重大なことでは無いというふうに彼は言うと、『痛み止め』と書かれた薬瓶から粉を取り出し、薬匙でパイプにコツコツと詰め、オイルランプを手元へと持ってきた。


「それは?」

「頭痛にはコイツが一番だ。さぁどうぞ。ゆっくり吸って」


 ままよ。と一吸いする。

 熱に驚き、ゴホゴホと咳き込んだが、続けて吸うと慣れてきた。

 気付けば、頭を割るような頭痛も無くなっている。


「どうだい」

「こりゃあ……良いな」

「で、寝不足の原因はなんだい」

「実は……



****



「俗に『ヘブンズゲート』と言われている地域、一回掃討した方が良いと思うんだが、諸君らの意見を伺いたい。警保係、前へ」


 ある日の幹部会、いつも通り司会台に立ったリアムが題議を提示する。

 呼ばれた警保係が、やや大げさな――『基本教練』とかいうやり方で――台まで進んだ後、声を張り上げる。


「ヘブンズゲート地域では現在、無届けの屋台を初め、売春が『個人用風呂』の名目で横行しており、治安上の著しい懸念となっております。将来的にはここを根拠として盗賊が出現し――


 どういう訳だか、胸がドキ、と鳴った。嫌な予感がする。


「一方なぁ、鉱夫さんの憩いの場としての意味もあるだろ? その辺のバランスがあるから、現場を知る者から声を聞いておきたい」


 リアムの声は無駄に良く通る。いつもは何も発言せずに座っているだけだが、今は一音一音が頭痛の原因になっているような感じがする。


「反対ですねぇ、下手すりゃ暴動、集団怠業になりかねません」


 鉱業部が声を上げた。彼らは勇敢かつ横柄な鉱夫には手を焼いているらしい。


「警保係はどう思う?」


「はい、仮に暴動に陥った場合には鉄路の維持を最優先し――「やめとけ」


 気付いたら、声が出ていた。

 いつも黙っていたからか、皆からの驚きが向いた。


「我々に害を為さない限り、下手に手を出すべきではないだろう? 機嫌を損ねられたら不味い」


 皆気付いているであろうことしか言えなかったが、変な満足感が身に満ちた。身体が熱い。下着が汗に濡れる。


「しかし――「分かりました」


 リアムが警保係を遮った。


「暫くは経過観察としましょう。但し、特異事象、特に組織的な犯罪組織に特段の留意を」


「内容了解しました」


「では次、半長靴の――


 話題が次に移った。肩から力が抜け、肌に張り付く下着の不快さと頭痛の主張が高らに脳内に響く。

 ああ、良かった。私の天国は守られた。

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