近代化
第18話 気晴らし
魔法は、不思議である。
念じたり、或いは杖を振るったり、何かに込める事によって、通常では絶対に発揮する事が出来ないような現象を起こす事が出来る。らしい。
魔法が何故エルフにだけ使うことが出来るのかという問いは、神話によって解決されてきた。
つまり、エルフは選ばれた種族であり、ヒトや亜人とは違うのだという神話だ。
これには、太古に虐げられていたエルフを救った、ある大エルフが神と契約してエルフに魔法を使えるようにしたという補足文書が付いている。
この世界の秩序は、『不自然』な作り話である神話的事象に支配されているという訳だ。許せねぇ~!
一方、科学とは自然である。
自然の法則を分析し、最も『真理』に近い仮説を見出し、検証し、反証して屍を積み上げ、活用していく。
それは自然であるからこそ、神に選ばれずとも、誰でも使用する事が出来る。
それこそ、意志を持たぬ芋の、その根本に棲む根粒菌でさえ、空気から栄養素を合成する事が出来るように……。
****
「うーん、ワカラン」
この男はリアムと言う。
役職は普務である。即ち、普く務めるという意味だ。霞が関が如きブラックさであった。そして不夜城の主の右腕かつ左腕であってその感覚器官であり、脳髄を除く脳機能であった。
「魔法って何なんだ……?」
「魔法は……魔法ですよ」
この男は魔法を何とかして利用できないかと思っていたが、ヒトなので使う事が出来ないという事実にブチ当たって頭を抱えていた。
「分からない……」
彼は、何故エルフが神の恩寵を受けているのかが分からなかったし、いつかは活用する事が出来るだろうと思っている。
だからこそ、取り敢えず全てを脇に置き、久々に町に繰り出す事にしたのだった。
ハンドメイドの拳銃のスライドを開いて薬室が空である事を確認し、黒革のホルスターに突っ込んでからコートを羽織り、帽子を被って彼は背伸びをした。
****
「ロイスー?」
私は幼馴染の名を呼んだ。
「ちょっと遊び行かない?」
「はーい」
寝食を共にし、私の秘書員でもある彼女を呼んだのは、この間一人で街に繰り出したらその夜の寝床で追求を食らったからだ。
前世の経験を活かし、可能な限り隠密に行動したにも関わらず、彼女にだけ暴露したという事実は、私は彼女に常に追跡、捕捉されているという理解を得るのに十分であった。
「なに食べたい?」
「ホットドッグ!」
無邪気に要求を発する彼女が、秘密警察職員並みの能力を私に対して発揮する事は恐ろしくも愉快でもあったが、それは置いておこう。
本館を出て、紺色の街を歩く。
カタリナ商会から金融を受けている事を示す深い紺色の幾何学徴証は、この街の商店の殆どに掲示されていた。
つまり、この紺色の徴証は『地球文明』の影響を受けているという意味なのだ。
そしてカタリナ商会に首根っこを押さえられているという意味でもある。
「ロイスはホットドッグ好きだよね」
「うん、『サッカー』も好き!」
「それが狙いか……」
「一緒に見よ?」
「イイよ」
パンに大きなソーセージを挟み、ソースを掛けて食べるという『ホットドッグ』は、当然に前世世界から持ち込んだモノであったが、それはサッカー等の興行とセットであった。
人間は、生存を確立すると娯楽を求める。
そして人間とは元来暴力的なモノである。
という訳で、今や数千人にも及ぶ直接雇用者と、数万人に及ぶ街を実質的に支配する事になったカタリナ商会は、娯楽を提供する必要に迫られた。
当初は映画や演劇を持ち込んだが、わかりやすい『スポーツ』を求める声も多かった為、私はサッカーをこの世界に持ち込む事にした。
ボールとゴールがあれば、取り敢えずゲームは出来る上、見ていて分かりやすい。
確かにラジオなんかで実況するなら野球の方が優れているが、今の私に野球を移植できる程にこの分野にリソースを割ける余裕は無かった。
今日の試合は、工内班7チームと第14保安小隊チームの試合みたいだ。
今回試合に出ている保安小隊は中隊に一個配置され、一般の軍部隊としての活動の他、カタリナ・マリア・ヴァーグナーが関係する人間及び亜人その他犯罪可能主体(但しエルフ等支配種族を除く)に対し行政警察活動を行い、犯罪を防圧する事が出来る。
一応カタリナさんはこの国の市民権がある為、その権利権益の防護と被支配種族を使用する上で必要な権限が法的に与えられているから、我々の活動はこれを利用してのモノとなる。
皮肉な話だが、私が諸種族の幸福を目的として行っている様々な活動の法的根拠は、支配種族が被支配種族に対して搾取、支配する為に必要なモノと、彼女の自衛権に根拠するのだ。
まぁこんな片田舎では、爵領庁所在地ぐらいしか『法治』は為されていないからカタリナさんとしては「え? そんなん田舎なんだから気にしなくて良いよ」との事だったが……。
二チームがそれぞれ陣形を取り、審判の合図を待つ。
審判の笛と、観客の歓声の後に双方が入り乱れて試合が始まる。
確かにそれは洗練されてはいなかったが、昔見た記録映像のサッカーを見ているような、変な郷愁に襲われた。
ホットドッグも、噛むほどに肉汁がパンに染み込んで旨味を形成してソースと混ざり、鼻から『おいしさ』が抜けてゆく。
周りを見ると皆が笑顔だ。酔っ払っている者も居る。
「これで良いんだ……」
民の僕、従業員第一の奴隷としての責務を果たしているという片鱗を見る事が出来るからという理由で、私はココに良く来る。
最早この街の周りに浮浪者や、途方に暮れている者は居ない。
皆が今日よりも明日が良くなるという希望を持ち、働き、そして幸せになっている。
勿論完璧では無いが、種族の差を超えて、この街には活気が溢れている。
出来るんだ。私は、この世界に幸福を植える事が。
意外にも工内班が勝ったスタジアムでは、そのまま警備部隊の交代式とパレードが行われた。
使われている行進曲、行旅音楽家を雇って編成した楽団が演奏する行進曲は、私の脳味噌が覚えていたモノを殆どそのまま使っている。
だから私にだけ、正規の歌詞が聞こえるのだ。
勿論この世界の言語と、日本語では節回しやニュアンスが違うから、既に流布している訳語版の歌詞とは似ても似つかないモノだが。
二コ小隊規模の小さなパレードだったが、統制された人間の美しさを知らない人間達にとっては大いに興味関心をそそられるモノだったらしい。
統制されたパレード用の礼服に、良く磨き込まれた銃と銃剣、揃った歩調と腕振りの威信。
昔はかったるいと思っていた前90度、後ろ30度の腕振りも、こうして外から見る分には面白い。
因みに行進している間、列員が考えている事は『早く終わんないかな……』といったモノである。これは万国万人共通だ。
「かしらーっ、右!」
軽快な行進曲が鳴り続ける中、部隊は場内の中央まで来て部隊の敬礼を行い、そのまま退場する。
そういえば前世だと、この後ファンシードリルなんかやってたな。という事を思い出し、この世界の『軍』文化が如何にショボいモノであるかを理解する。
そりゃそうだ。実務的である上、私が考えついた事しか実現しないのだから。
まだやる事は多い。実験用ボイラーから蒸気を抜いて出てきた白煙をボゥとしながら眺め、登るべき山の大きさに嘆息した。
****
「入ります!」
コンコン、コンコンとノックをされる。
『入れ』と声を掛けると、勢いよくドアが開き、純白の礼装を纏った騎士が入ってくる。
「イェンス翼竜騎士団長は、シュテファン・フォン・イェンス伯爵閣下に要件があり参りました!」
「何だ」
「爵領内現況図の提出に参りました」
「ご苦労」
私はシュテファン・フォン・イェンス伯爵。
大陸の約半分を統べるヴァイザー帝国の端、戦場から最も離れた領地の守護を命ぜられた貴族である。
戦争は主に翼竜騎士によってその勝敗が決する。
私の役目はこの地域に外敵が侵入しない事を皇帝陛下に対し保証すると共に、国庫に税を納める事だ。
交易である程度の利潤は出る為、教育は専ら軍事的な航空哨の方法等に限定されていた。
部下は優秀で、治世に特に問題はない。
イェンスの安全は守られており、税も問題なく納められている。
退屈とも言えるこの生活も気楽なモノと考えればそう悪くはない。私はもう首都の競争には疲れたのだ。今日報告に目を通したら、適当な本を読んで酒を愉しもう。
この世界の貴族は、翼竜の授与及び支配種族が居住する主要都市港湾(100平方テール辺り4族以上の密度で居住する領域を言う、以下帝国行政定義の『主要都市港湾』において同じ)の行政権、年に一回開かれる御前会議への出席権と陳述権を皇帝から賜る代わりに、皇帝から指示された領域に対する外敵からの保護義務の履行と徴税、そして帝国が要求する翼竜騎士の供出ないしは代替金の納付を行うという封建制の中に組み込まれている。
要するに他のエルフとは違い、特権が認められている代わりにやる事はやれよという仕組みだ。自由市民だけでは国が回らないのは言うまでもないだろう。
貴族で無い、自由市民たるエルフは帝国が定める税を支払えば帝国領内での生活を保証され、その居住地を管轄する貴族から求められた税を支払えばその領内に於ける保護を保証される。
まぁ支払わないという奴は聞いたことが無い。
我々貴族は翼竜の活用によって広大な領域を管理運営するヴァイザー帝国の根幹なのだ。
まぁ外敵と言っても騎士と、
その他種族に帝国や爵領を犯すだけの能力は無いのだから。
現況図をパッと見る。異常無いな。
オイショと革張りの椅子から立ってコルクを撚り、英雄物語を開く。
イェンスは今日も平和だ。
さてこの現況図の大穴近く、小さな港町に『貴族が定め又は特別に納付を求めた税』の支払いを拒否し、爵領内現況図の更新が止まっていた領域がある事は確かに記述されていたのだが、彼はその生を閉じるまでついぞそれに気付く事は無かった。
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