第12話 モラル
「ぎゃあああああああああああああああ!……
「二警を下がらせて増援を前面に押し出せ!負傷者救護を急げ!」
簡単に言ってしまえば、陣地防御とは陣地を据えたその場で敵の攻撃を破砕することであり、機動防御とは地積――即ち地理的余裕を食いつぶしながら敵の行動を妨害して時間を稼ぎ、最終的に確保したい地域の防御を完遂したいなぁという行動である。
敵が優勢である場合、出来れば機動防御を採用したい。敵がこちらに攻めてくればくる程に疲弊してくれるし、陣地防御の場合、敵に陣地を突破された場合には散り散りになって逃げ回る羽目になる可能性もあるからだ。
無い。
今の我々には地理的余裕が無い。
つまるところ陣地防御を採用する――この場で敵をぶち殺す――しか無いのだ。
「警備線を突破させるな!予備人員をかき集めて後背の警戒には三警をあたらせろ!」
「やってます!」
背後には我々が守るべき人々と工場があり、これを蹂躙されるような事態を阻止する為に我々は少なくないカネを投入されているのだから。
無謀な突撃を繰り返す人間はまだいい。投石やらで何とかなる。
問題は
今は矢を射掛けてくる位だが、突っ込まれたらひとたまりもない。
つまり、我は彼の攻撃の意志を挫き、撤退せしめなければならない。
幸いにして我の
どうするか。
「開発に連絡してありったけの弾薬と銃器、それに危険物を――誰でも構わんから持ってこさせろ!錬金術師を全員叩き起こせ!伝令ぃ!」
防御に任ずる我の優勢なる部分は火力と陣地にある。
活用させて貰おうじゃあ無いか。
****
「親方ぁ!奴ら出てきませんよ!」
パッカパッカと、夜中にも係わらず甲高い蹄の音を鳴らし、部下が前線の戦況を報告する。
その身体は血に濡れては居なかったが、防具にへばり付いているドス黒い染みは、過去に我々が何をしてきたか、どういう素性の者であるのかを如実に示していた。
「面倒クセェなぁ~……」
『雇用主』の金払いは良かった。
別に珍しい話では無い。
水、土地、人、嫉妬、金、恐怖……我々にとって、傭兵稼業は良い小遣い稼ぎだった。
領主の連中が無茶な徴税をしてからこっち、程度を弁えて襲撃していた村々が殆ど潰れ、ゴミクズのような成果しか期待できなくなってからは主収入が傭兵稼業――徴税の『代行』を含む――になっていたが、ソコソコ稼げてはいた。
それに、『中身』は好きにして良いとのお達しがある。
久々に大漁が期待できそうだ。
「
「分かりやした!」
相手はこのご時勢に良質な布(血濡れていない)を大量に、安価で売っている。
どんな仕掛けがあるのかは興味が無いが、商人の倉庫はゴチソウ中のゴチソウだ。
商人の警備部隊は必死に抵抗しているが、弓や魔法は無い。このままでも突破は時間の問題だろう。
だが、夜が明ける前にオサラバして、出来れば女を抱きたい。
下劣な欲求と強かな盗賊としてのセンス、そして機動戦力の集中運用という定石が、彼の指揮命令判断に影響を与え、いつもの通りに踏み潰そうとした。
****
「かかった!」
相手が騎人兵を集中し始めたのを松明から確認し、私は手を叩いて喜んだ。
機動戦力の集中による突破は、極めて良い選択だ。
が、それは敵の火力や機動を有効に制圧していれば、の話だ。
これらを制圧しないままに戦力を集中し、攻撃機動を取った時、見ることが出来るのは防衛側火力による一方的な蹂躙と、分断、孤立から包囲殲滅に至るまでの美しき防衛側逆襲機動部隊の機動作戦である。
この世界には魔法や飛び道具による『火力』がある。
当然相手もそれは知っているだろうから、敢えて飛び道具の使用を抑制した。(そもそも矢が高価な上に特技が必要な為、ポンポンと投入出来るものでは無いのだが)
相手方が諜報を真面目にやっていない限り、こちらに『火力』が存在する事は気付かれていないだろう。
つまり、敵は我の火力の見積もりを誤り、そのおそれが無いままに我の設定したキルポイントに戦力を集中させようとしている。
「まだ撃つな、相手の白目が見えてからだぞ」
ドドドドド、という地鳴りは、敵が突撃を発揮した音だ。
大急ぎで作った簡易バリケードを突破した彼らは、第二工場と研究棟が、上から見て丁度L字の様に配置されている広場に突入した。
遅れて歩兵がワラワラとついて来る。
有り難い。貴重な戦場照明だ。
松明の赤い、不安定だが消えないゆらぎに縁取られた彼らは、飢えているように見えた。
ギラギラと視線と殺意を飛ばして、獲物を探しているようにも見えた。
同時に白目も、見えた。
「――撃て!」
爆竹の音と言ってしまえば大した事の無いように感じられるが、これはこの世界で初めての火器の実戦投入である。
その殆どはダミーで、音を掻き鳴らすだけの存在であったが、それでも何個かは『ホンモノ』が混じっていた。
同時に、生石灰を詰めた陶器や、弓、石、その他我々が所有する『おおよそ人にぶつけてはいけないもの一覧』の上から順に掻き集めてきたものを投げつけた。
狙い通り、彼らは足を止めざるを得なくなった。
その爆音や殺意やらに足がすくんだかどうかは、本人達に聞かないと分からないが、事実。
突撃に際して衝撃力を失った騎兵なんぞ、大きな的以上の価値は無い。
足を止めた所に、
生石灰が効いたのか、視線は失われ、殺意は懇願へと変わり、辛うじて無事だった者は腰を抜かして自分たちが開けた穴から出ていった。
「気を付けろ!白い粉は絶対に素手で触るな!顔も触るんじゃあ無いぞ!」
槍を片手に逆襲を発揮した警備部隊に対し、必要な警告を発する。
今回、生石灰の取り扱いを担当したのは言わずもがな錬金術師であるが、最後の決を与えるのは警備部隊だ。
私から発せられた一見不可解な指示に、警備員達は取り敢えずは従ったものの、相手の様子を見てその理由の大体が分かったらしい。
生石灰とは、化学式をCaOで表し、物質名を酸化カルシウムと呼ぶ化合物の一種だ。
石灰石を強熱して作る事が出来るが、この物質が
水をかけると、まるで生きているかのように発熱するのだ。
この反応を化学式で表すと、以下のようになる。
CaO+H₂O→Ca(OH)₂(aq) : ΔHr -63.7kJ/mol
この物質を悪意を以て活用した際に発揮される恐ろしさは、人体の豊富に水分を含み、外部環境や内蔵に露出している場所が
もう少し詳しく説明する。
水と反応した生石灰は、まず激しく発熱してタンパク質を変性させる、つまり火傷を負わせるのだが、粉末状の生石灰を浴びた時、真っ先に被害を受けるのが目である。
更に、Ca(OH)₂は水に溶けると強アルカリ性を示す。
つまる所、熱傷と化学熱傷のダブルパンチが、戦闘に用いられる人体の器官で一二を争う程に大切な眼球を真っ先に襲う訳だ。
それだけならまだ良い。
汗ばんだ皮膚にへばりついた生石灰による火傷も、まだ良い。
最も恐ろしいのは吸引した時だ。
細かい粉末が呼吸器の奥深くまで進入し、そこで上記の反応を引き起こす。
想像してみて欲しい、自分の肺が煮えたぎる感覚を。
肺が軽症であったとしても、気管が火傷で腫れ上がり、幾ら息を吸おうとしても窒息は続き、喉を掻きむしる羽目になる。
……と、まだ生きている賊を始末しつつこんな具合に散々に警備員を脅した所、良い実地授業となったのか、飛散防止措置の後に全員がマスクと手袋をして、黙々と後始末を行い、それが終わった後には生き残りを連行してセカセカと風呂場へと退散していった。
念の為申し上げておくが、この世界に化学兵器禁止条約は存在しないので、これらの防衛行動は何ら非難されるべき事では無い。
非があるとすれば彼らである。
さて、明日は念願の
神話上の存在を生物学の前に引きずり出してボコボコにしてやるという強い決意を持って、私は警戒配備を指示した後に、ロイスが眠る部屋に戻った。
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