第9話 幼根

「ぎゃああああああああああああああああああああああ!……


 破裂音に続いて響いてきた悲鳴は、失敗を察するには十二分であった。


失敗?」


 料理人としての出で立ちがすっかり板についたロイスが、パン生地を伸ばす棒(麺棒って言うらしい)を小脇に抱え、厨房から顔を覗かせる。


「みたいだね、ちょっと見てくる」


 食堂の端っこに設けられた私の執務机の上に羽筆を置き、一息ついてから立ち上がる。


怪我しないでね」

「うん、気をつけるよ」


 ロイスからコートと帽子を受け取った私は、中庭に設けられた実験場へと足を向けた。

 さて、実験場へ向かう道中、何故私の仕事場が食堂の端に存在するのかという点について明らかにしたいと思う。




 時は戻ってまだ我々が硝石を便所の床を剥がして採取し、燃素の否定(そもそもこの世界で物理法則一般が前世世界と共通であるか確認する必要があった)に頭を抱え、鋼材の規格化に四苦八苦(より正確に言うと七転八倒)していた頃。


「用意」「よーい」

「発砲」「発砲!」


 りゅう縄が引かれ、火打ち石が発射薬を爆発させた衝撃が実験場に響き、我々に耳鳴りをもたらした直後、褐色火薬による度重なる圧力に耐えられなかった銃身が四散し(つまり素材に粘りが無い上に銃身が薄い)、破片がボスボスと土嚢に突き刺さる。


「……駄目でしたか」


 『574番、5発目破裂』と、時計技師のシルビアが手元資料に書き込む。

 その手は少しばかりプルプルと震えていたが、敢えて見ないことにした。


「今の所一番上手くいったのって何番?」

「え~と……488番ですね、8発です」

「う~ん……」


 未だに警杖ひのきのぼうの方が武器としてマシという事実に、我々はただ頭を抱えるしか無かった。

 時計技師や錬金術師、鍛冶屋をかき集めて科学教育を施し、技術開発を行うという試みは、ある程度の成功を見ていた。

 例えば飛杼やコークスを用いた製鉄等、基礎技術の開発は思ったよりも順調に進行した。

 が、それらも実用化の途上であったし、カタリナ商会の方針である『新技術の投入により発生する既存業者との摩擦は、実力を以てこれを排除する。それが出来ない場合は市場への投入は行わない』という、私が土下座比喩表現して採用して頂いさせた方針の実現の為に開発していた武器類は、未だにこんな感じであった。


「回れぃ、右!」

「右向けぃ、右!」

「前ぇ~進め!」


 遠くでは、警備工員達が分列行進の訓練をしていた。時折指導担当者の大声とホイッスルが入る。


 初期に訓練した警備工員の内、やる気と適正がありそうな者を教育して訓練教官とした訓練はこの通り順調に進行していた。

 が、肝心の武器は未だに槍や刀剣が主流であり、彼我の練度差や地形的有利を考慮したとしても複数のギルドからの物理的攻撃から工場従業員その他財産を完全に防護する事はどう考えても不可能であった。




 ……と、そんなこんなで西へ東へ南へ北へ、四方八方へ飛び回り試薬を集めたり問屋と喧嘩したり問屋になったり実験したり教導したりと前世法定過労死基準時間月残業80時間をはるかに越えて働いていたある日のこと。(読者諸君にこの様な働き方を推奨するもので無いことを、私はここに言明したい。)


「ふぃ~」


 自分でもどこから出しているのか良くわからない(声である以上は声帯から出ているはずだ)音を放ちながらベッドにダイブすると、何らかの違和感を感じた。


 重い。


 いつもならポスっ。と軽い音を立てる掛け布団が、『ほ゛スッ』と、何か重い音を立てたのだ。何か――刺客かもしれないが、何かが居る。


 腰に差した警棒を右手に取り、大きく振って伸長させた後、一気に布団を剥がすと――


「ロイス!?」


 何故かロイスがすやすやと眠っていた。


 ……状況を整理する。


・任務は睡眠

・ロイスは睡眠中、所在地にあっては私の横、ベッドの中

・現在地は私の部屋

・我は疲労困憊、勿論警棒を彼女に使うわけにはいかない。

・現在時刻は0315

・周囲にロイスを除き人は居ない


 どうしよう。わからない。


 前世ではどうしたかと考えたが、悲しいことに私は女性との交際経験が無い。

 保安上の理由もあったが、一番大きかったのは私がそういうモノに対して奥手も良いとこだったからであり、激務にかこつけてそういった関係を構築する努力を一切しなかったのである。

 上司に請われて遺伝子を厚労省に提供し、方々からの手助けとアンドロイドの助けを得て子育てはしたが(因みに子どもたちは交際相手を得、孫の顔を見せてくれた)そういった経験は無いのだ。


 後退行動は、我の作戦能力を維持するため、陸軍作戦教範敵の脅威から離隔して行う。第八章『転進』第一節より


 よし、コレだ。取り敢えずこの場から離脱して――そうだな、応接室のソファーで寝よう。来客の予定は無かった筈だ。

 一瞬で予定黒板を照会し、転進先のアテを付けた後、出来る限り慎重に、抜き足差し足忍び足――「どこ行くの?」


 しまつた。


 袖を凄まじい力で引かれ、ロイスにこの部屋から出ないよう引き止められる。

 これは抵抗しない方が良いのだろうか、どうだろうかと一瞬間考えたが、彼女から発せられる『気』を鑑みるに抵抗しない方が良さそうだ。


「ロイス、どうして私のベッドに――「カタリナさんの許可は取ったわ」


 カタリナさん雇用主!?

 この商会に来て始めて、カタリナさんに対して抱いた少々の負の感情の取り扱いに苦慮している間に、気付けば疲労感に襲われて体重をベッドに預けさせられる。

 ロイスはそんな私を暫し見つめた後、胸に顔を埋め、スゥと深呼吸し、そのまま眠ってしまった。――因みに私の全身は彼女の全身を以て拘束されている。


 あまりに矢継ぎ早かつ唐突に起こったこれらの事象に対し、私の脳味噌は警報を発する一方で、疲労によってその働きを抑制されつつあった。


 恐慌に陥ってはならない。陸軍歩兵教範第三常に周囲を章『安全――――――




 朝日に歓喜する小鳥の声に叩き起こされる。朝だ。


「おはよう」

「……おはよう」


 何事も無かったかのように、いつも通りと、現実逃避である事を把握しつつも服を着る。

 ふと見ると、机の上に紙が置いてあった。


『起床後、私の執務室まで出頭するように(カタリナより)』


 心なしか寂しそうなロイスを傍目に、大急ぎで身なりを整え飯も食わないまま出頭すると、まぁまぁお怒りだろうなという雰囲気を発している雇用主カタリナさんが目に入った。

 ……大丈夫。こういう状況には慣れてる。




「……失礼します」

「来たかリアム君、そこに直れ」


 長い間、ずっと執務室に鎮座していたであろう座り心地の良い椅子に座るよう、黙ってそこに座る。


「さて、君の活躍により、商会がこんなに大きくなった事に関しては礼を言おう」

「ありがとうございます」


 あ、コレは本当に怒られる奴だと、ある程度の覚悟を固める。


「しかしね、君。忙しさにかまけてロイスちゃんの事ほったらかしにしてるだろ?寂しがってたぞ」

「……」


 言われてみればそうだ。ココ最近、教導に設計に開発にと、ずっと仕事をしてきた。


「我々の最終的目標はね、君、馬車で話しただろう。『全種族を豊かに、幸せにする事で商売をやりやすくする』だ。それが君、自分の一番傍の、一番の理解者をほったらかしにして実現できると思うのかね?」

「……」


 出来ない。

 私の長期的目標は『諸種族が共存共栄する社会の構築』であり、当然そこに暮らす人々には幸福であって欲しい。社会の構成員が幸福で無ければ、人心は不安定になり、不安定な人心は騒乱を、そして戦争を引き起こす。

 今の社会で大量の不幸が許されているのは、それが力無き人々のモノだからだ。

 現に、今工場でも娯楽をどうするか、福利厚生を如何に充実させるか等に頭を悩ませている。

 それは労働者がある程度の力を持ち、彼らが居なければ工場という社会が崩壊しかねないからである。

 それを理解しながら、私が最も身近な人間すら幸福に出来ていないという事実を提示され、私の思考は身動きが取れなくなっていた。


「し、しかし彼女には友人が――「馬鹿、ロイスちゃんは君を一番に『信頼』してるんだ。これ以上言わせるな」


 そして、長寿種たるエルフの圧倒的経験の前には、身動きが取れない私の思考では太刀打ちは困難であった。その上転進も、離隔も困難ときた。後は包囲殲滅されるだけだ。


「リアム君、私はね、人を見る目だけはあるんだ。君はロイスちゃんが傍に居てこそ、否、ロイスちゃんが傍に居なければその力を発揮出来ない」

「何故です?」


「……君の発想はあまりに突飛だ。私も今往く道が良いのか正直分からんし、周りの者もそうだ。リアム君、君はね、結果を出さなくなったら、ロイスちゃん以外、誰からも信頼されなくなるかもしれないという事を分かってるだろう。重圧だ、重圧だとも。そんな君の心、君一人が支えていると思ってるなら大間違いだぞ」

「……」


 グゥの音も出ない正論であった。


「君は賢いからな、もう分かったろう。行き給え、君達を永久雇用にするか否かは君達が本件を如何に処理するかで決定する」

「……了解しました」


 少しうなだれて執務室を出て、ドアを閉める瞬間。


「……君は父さんみたいにならないでくれよ」


 と聞こえた気がした。

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