漆黒の向こう

1.恋は辛口

 僕の住むミムズ岬には白い大きな灯台がある。名所と言えばこの灯台くらいだろう。灯台と言っても灯りが灯ることはなく、近くで見るとペンキに小さなひびが入っていて年季を感じさせる。もう長い間稼働していないようだ。灯台は岬の最果てに建っていて、その近くに僕が毎日通う通称『スナックよごれ』がある。

 

 ミムズ岬の坂道を下に降りれば小規模の町があり、飲食店やコンビニなどのお店が数店ある。けれど僕が坂道を下ることは殆どない。坂を降りるのは楽だし食べ物や品物も揃ってはいるけれど、それでも僕は岬の上にあるスナックよごれに通うのだった。例え、スナックよごれのママが手料理を振る舞わなくても僕は通う。それはここちゃんがいるからだ。ここちゃんはスナックよごれで働いて、艶のある長い黒髪がきれいでとてもか弱い女の子だった。歳は二十代前半くらいだろうか。二十七の僕とそんなに変わらない筈だ。


 ここちゃんはいつも四つしかない小さなカウンターの一番左端に座っている。そしていつも泣いていた。残念ながら僕はまだここちゃんの隣に座ったことがない。常連客のお年寄りの細井さんや、太って調子の良いことばかり言う三十路の大木さんにここちゃんの隣の席を取られてばかりいる。いつかここちゃんの隣に座るのが僕の小さな望みなのだった。


 ミムズ岬にあるこの集落には若い女性がいない。僕の知っている限りではここちゃんだけで、その ここちゃんでさえ小さな集落なのに外で出会うことがなく、会えるのはスナックよごれだけだった。だから僕はスナックよごれに通うのだ。

 僕が運よく座れてもそれはカウンターの左から三つ目の席で、細井さんか大木さん越しにしかここちゃんを見ることは出来なかった。しかもカウンターの中にはママがいるのでじっくりとそちらを見ることは出来ない。


「宇野クン、新しいの入ったけど食べてみる?」

 僕はママの声でハッとした。不運にも今夜はカウンターの一番右端になってしまった僕は、空き腹にビールを飲んでいた。

「はい、食べてみます」

 僕が言うとママは手際よく動き出した。それを見ていた僕の隣の大木さんが小声で言った。

「最近細井さん来るの早いんだよ」

 大木さんは自分の右隣に座って、何やらここちゃんに囁いている細井さんを指さした。

「へえ、大木さんは何時に来るんですか」

「俺は開店時間に来るよ。そしたら細井さんもう来て並んでるんだよね」

「そうなんですか……」

 僕たちが話しているとママは「はい」と言って、冷凍食品のおにぎりを出して来た。

「カレー味だって」

 ママは笑った。

「頂きます」

 僕は食べた。空き腹にビールを詰め込んでいたので飲み込むと胃に落ちるのが分かった。ママは料理が出来ないので、この店で出てくるものは冷凍食品を解凍したものか、お湯を注いで作る即席麺だけだった。

「どう?」

「おいしいです」

 僕の言葉にママは嬉しそうに笑った。

 その時、後ろのボックス席から低い声が聞こえた。

「ママ、水割り作ってよ」

 そこにはグラスを持った常連客の剛田さんが一人座っていた。五十代の剛田さんはトラックの運転手をしていて大柄でガッチリとした体格の良い男だった。

「はあい、今行くから」

 ママはそういうとカウンターを出て剛田さんの所へと向かった。

 そう言えば剛田さんも常連客だけどいつもボックス席ばかりだ。この店に来る客はみんなここちゃんが目当てと言うわけでもないのか。それでも細井さんと大木さんは間違いなく僕の恋敵なのは確信できる。

 今夜は諦めて大木さんと細井さん越しにここちゃんの気配を感じながら飲むことにしよう。

 僕は戻って来たママにウーロン茶を頼むと一息に飲んだ。新商品のおにぎりはカレーのスパイスが結構効いていた――。





 

 

 













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落ちる落ちるは恋と罠 哲夜 @kuusou

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