君の顔
「遅いな」
デライが、少し焦りを含んだ声を出す。
——何か嫌な予感がする——
ダン! 探しに行くぞ。
ダンも同じことを思ったのだろう、既に左手には刀が握られていた。
道を行く人々は中々答えてくれない。それでも何人にも聞いて回る。
「おい、くすんだ金髪の女の子と、俺より少し背の高い短髪の黒髪の男が、一緒にいるのを見なかったか!」
目も合わせずに歩き去ってしまう。
「クソが!」ダンは、沸々と湧き上がる怒りを、どこにぶつけたらよいか分からず、声を上げる。
「怒っても見つからないよ、そんな暇あるなら、もっと声をかけろ。探さないと」
デライも全く情報が入らなかった。そうやっていると雨が降り始めた。
まだ分からない。
二人の焦り、苛立ちは募るばかり。右にも左にもいかない、どうすることも出来ずにいる時、話し声が聞こえた。
「おい、聞いたか。ジョン達があの死神の小娘を使って、賭けをしているらしいぜ。なんでも、街のはずれの詰所あるだろ? そこから少し行った所に、小娘を動けなくして置いて来たんだとよ。明日まで生きてるか、死んでるか、早くしないと締め切られちまうよ」
二人は顔を見合わせる。そして駆け出した。
そいつらをその場で八つ裂きにしたい、四肢を捥いでマモノの巣に投げ込んでやりたい、そんな気持ちを抑えながら。そんなことをしている場合ではないから、走り続ける。
男たちは兵士の格好をしていたから。
少女は走った。一直線に街に向かって。足から力が抜けていき倒れてしまう。もう少しで街に着く。這い進んだ、少しでも街に近づくために。
初めて怒られた。泣いてしまった。
でも分かった、怒ってないって。あんな優しい顔して、人は怒らないって、知っていたから。
ダンに対するデライの顔は、怒っているようには少女には見えていなかった。
周りの死霊が人に話しかける。でも、誰も気が付くことなく、澄ました顔をして歩いている。
みんなありがとう。あっち行って、なんて言ってごめんね。嬉しかったよ、どんな時でも、一人の時も、ずっと側に居てくれて、ありがとう。好きだよ、みんな。
真っすぐ進み、詰所が見えた。
あともう少しだ。あの二人は気が付いてくれるかな、頼れる人は二人しかいないから。
シナイはたどり着いた。ボロ雑巾のようになっても。もう、自分が息をしているのかも分からない。動け、動け、と地面に肘を擦ろうとした時、身体が何故か優しく包まれる。
——いた。助けてくれる人がいた。ここまで来て良かった——
デライは傷だらけの少女を、そっと抱きしめていた。
「ごめんね、見つけるのが遅くなって、もう大丈夫だから」
優しい声だ。でも、そんなこと今は余所に置かなければ。声を出したいが喉が震えない。今、自分に残っている全て振り絞る。
「たすけて……ヨシュアを……たすけてよ……」
何かが爆ぜた音がした。
ダンはその言葉を聞き、一瞬でこの場から見えなくなる。デライもシナイを抱え、追いかける。
シナイは無事かな。絶えず痛みが身体のあちこちを襲う。
これで良かった。
生きる意味をくれた、君を守れたのなら本望だ。楽しかったな。
シナイと出会った時の事、初めて話してくれた事。
泣いて、笑って、怒った時の事。
歌が好きだと言ってくれたシナイ、これが走馬灯なのだろうか。僕には見えないけど聞こえる。
もう一度だけ会いたいな、叶わないけれど。
その時だった。何度も体を襲っていた衝撃を感じなくなった。
「遅れてごめん」
ダンの声がした。
息が体から抜けた。助けが来た。二つの色と、藍色の光が見える。
——生きてた——
安堵もつかの間、わかってしまった。おそらく、シナイは助からないと。
男は知っていた、この光の揺れは、人が命を振り絞って出した揺れを、最後に見せる光をしていたから。
ダンはマモノの首を、瞬きよりも早く斬り捨てる。銀色の線が夜を照らした。
それからは、世界には二人だけだった。
目が合った気がした。綺麗な目で見られた気が。
お互いに生きていることに笑った。顔に出ているかもわからないけれど、確かに笑ったんだ。
それから、デライとダンが黙ってくれている事にも気が付いた。二人ともわかっているのだろう。
ヨシュアが分かったように、二人もシナイの事を分かったのだろう。あの傷ではもう助からないと。だから黙ってくれているのだろうか。
——ねえ、ヨシュア。私、楽しかったよ。
ヨシュアと出会って。
ずっと一人だった私に、自分から触れてくれる人に、初めて出会った。それからだよ、私は孤独じゃなかった。初めての事ばかりだったんだ。こんなに笑うと思わなかった——
「僕もだよ。楽しかった、これからも一緒に居よう。二人で、旅団に入って、みんなの為に出来ることを探して。おいしいご飯一緒に食べよう。ふかふかのベッドを二人で跳ね回ろう。毎日、笑って過ごしていこうよ」
あぁ、止まらない。
ずっと我慢していたのに。我慢できなくなったら、シナイが悲しむから。
ヨシュアはシナイを抱き締める。柔らかい、まるで雲のように、触ったら消えてしまいそうだ。とても綺麗な色だ。澄んだ青空よりも、満天の星空よりも、綺麗な色がそこにはあった。
——あのね、幽霊さんたちが助けてくれたの。
そうかい。
みんな、一緒に歌を歌ってくれたんだ。
ああ、聞こえたよ。
ヨシュアの歌だよ。
うん。
私ね、あの歌が大好きなんだ。
僕も好きだよ。
ヨシュアは綺麗だね。
君もさ、だからずっと、ずっと、一緒に居ようって言ったじゃないか。
そうだね、一緒に居ようって。私も一緒に居たかった。でももうダメみたい。神様のところに行かなくちゃ。
嫌だよ。嫌だ。僕の前から居なくならないでくれよ。僕を一人にしないでくれよ。
ううん。ダメなの、シナイね、神様にお願いしたの。だからもう、お迎えが来ちゃうんだよ。
行かないで。シナイ、シナイ——
「大好きだよ」
少女の顔は、どんな晴天よりも、数多の星屑よりも、綺麗に輝いていた。
雨が急に止んだ。それはきっと、一人、新しい天使が誕生したことなのだろうか。
暗い、暗い夜。
その中に静寂を広げるような銀色が一つ。それを追いかける二つの月がチラリと夜空を照らす。その色は何処までも澄んでいるようで、赤く、黒く燃え上がっていた。
それは、醜い顔をした男達が集まる酒場に降り立つ。一歩進むごとに地面には、悔しさと憎悪が籠っていた。
酒場の豚たちは、それに気が付くことなく金を渡し合っている。どこまでも腐った、人間の黒い部分が見える。
——その賭け、不成立だ。
お前らの今までしてきた事には目を瞑ってやるけどな——
二人は、ドアを蹴り破り談笑の輪に割って入る。
その瞬間、何処までも店が熱く苦しくなった。男達は揃って胸を押さえ、息を何とか絞り出そうとする。
「おい、デライ。やり過ぎだ」
ダンはまるでトンネルの中にでもいるような声でデライを制す。その瞬間、苦しみが少し楽になる。
「すまないね。つい、抑えられなくて。こういうゴミを見ると、どうしてもね」
「おい! お前ら何なんだよ!」
膝をつきながら叫んだ男がその場に倒れる。見ると四肢と首が銀の錠で床に繋がれている。
青い服を着た少年がそれに近づく。
お前ら動くなよ。
その声に皆動けなくなる。この場にいる、大の大人達は少年を目にして、声を出すことも出来なくなった。
「そうやってろ。でも、この程度で済むとは思うなよ」
デライが大きく開いた袖から、円月輪を二つ。繋がれた男に近づき、足の腱を絶つ。
その悲鳴を聞いても二人は顔色一つ変えない。そればかりか表情からは悲愴が見える。
「何を怖がってんだ。あの子が感じた痛みに比べれば、可愛いもんだろ」
全員の身体が床に縛り付けられる。悲鳴を上げようとした者の口から空気が消える。何もできない。手足を動かすことも、首を垂れる事も、声を出すことも許さない。彼女が受けてきたものが、この程度でこいつらに分かるだろうか。分からないだろう。分かるまで続けたいが二人の我慢が持たない。
「お前らは、絶対にやってはいけない事をしたんだよ。お前たちはな」
デライの言葉にダンが続ける。
「俺たちの仲間に手を出したんだ。それもやっと始まった、人生を潰したんだ」
次の瞬間、酒場が銀に埋め尽くされる。二人がそこを後にした時、その箱の中で何度も空気が爆ぜた音がした。
「後悔はしないって、言ったのに。助けられたと思ったのに。なんで、あいつが死ななきゃいけないんだよ!」
少年は何度も何度も叫ぶ。どこまでも勇敢だった少女の事を思い、夜空に向かって雫を垂らす。
「バカ。そんな顔、絶対にあいつにだけは、見せるんじゃないよ。だから、今だけだよ。バカヤロー……」
女の声も夜風に揺れて。それを見下ろす満月は、世界を許すかのように優しく笑いかけていた。
飛空艇が空を走る。
その下は厳かな空気に包まれていた。誰も声を出すことはない。
一人の盲目の男と、護衛隊副隊長、支援隊隊長が丘に向かって、人が整列して作られた道を歩く。男の腕には一人の少女が眠っていた。
男は丘を掘り続ける。それを太陽の熱は容赦なく襲う。
男は構うことなく掘り続けた。何度も何度も目を擦りながら、男が足をたたんで入れるほどの穴を。
もう、その目で見ることが出来ない少女を、男は抱きかかえる。
少女は軽かった。
最後に抱き締めた時よりも少しだけ、それは、男の見えない目を焼いた。
穴にそっと少女を眠らせ、上から土色の毛布を掛ける。副隊長は、それを見届けると、男の前で初めて能力を使った。指先から銀色の線を出し、少年は銀の墓石を造り出した。
「ありがとう」
男の声に、少年は俯いたまま頷く。
「シナイはどんな顔をして、眠っていたんだい」
少年の声は震えていた。
「あいつは、俺が見た、誰よりも強くて、かっこよくて、綺麗な笑顔だったよ」
男の声も細くなる。
「そうか。綺麗なのか。見たかったな、君の顔」
晴天なのに風には湿り気があった。その風を切るように二羽の鳩が墓石にとまる。
その瞬間。男の視界に人が映った。
小さい女の子だ。菜種油色の髪をした、色の綺麗な女の子。分かった。見たことはないが確かに、誰か。頬を一筋の雫が一人ゆっくりと歩き出す。
ほら泣かないで。
声が聞こえた。涙がぬぐわれる。
「もう会えないのか」
男は手を伸ばす。少女には届かない。
「ううん。そんなことないよ。だって、ヨシュアが言ったんだよ。だから大丈夫」
あの日、ヨシュアが初めて、私を見つけてくれた日。シナイと初めて話をした日。
「私とおんなじなんでしょ。見えない人と話すの。誰にも見えない、私と話すの。私たち、似た者同士なんでしょ。だから泣かないの、笑って」
その声を聞いた者は一人を除いていなかった。でも確かにそこにいた。その丘で、二人は笑っていたのだ。
——それじゃ、ヨシュア。またね——
ヨシュアは、その光をどこまでも見送り続ける。
歌が聞こえる。
そこにはふたり だきあって まずしくも
しあわせに いつのひか えいゆうがきて
つれだしてくれる そのひをまとう わらってふたりで
「これが太陽なのか。青空なのか。綺麗だ」
——それでも君の方がずっと——
男の左目には光が差し込んだ。
隻眼の英雄 寫 @utsusu
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