神様がいるなら

 翌朝、シナイとヨシュアの目の前には、頭を下げたままの二人がいた。


「昨日は、本当にごめんなさい。俺、二人の気持ちも何も考えずに酷いことを言った。分かっていなかったんだ。勝手に自分がいい気になってた。本当にごめんなさい」


 シナイは訳が分からず、ただヨシュアの顔を見ては、頭を下げている二人を見て、首を傾げる。


 これを何度も繰り返した。


 シナイが、あの人たち、ずっと頭下げたままだよ?


 そうヨシュアに伝えるとヨシュアは二人に、顔を上げてください、何度も慌てて言うのだが、二人も譲らない。


 ごめんなさい、と何度も何度も声に出す。


 根負けしたのか「分かりました」そう言うと、シナイが不思議そうに、今度は頭上げたよ? ヨシュアに言う。


 ヨシュアは胸を撫で下ろすと、本当に気にしていないと、むしろこちらは食事も分けてもらったのに、礼も出来ていないと言い、頭を下げた。


 シナイにも、ほら、とふんわりと伝え、「あ、ありがと…」シナイが首を縦に傾け、直ぐにヨシュアの陰に隠れてしまった。

 それをデライが優しく笑う。ダンの目は、しっかりと二人を見て。


「それで、二人にお願いしたい。二人とも、俺らの仲間として旅団に来て欲しい」


 突然の事にヨシュアは口を動かしている。


「もちろん強制はしない、嫌であれば嫌、と言って欲しい。シナイは死霊と会話が出来るだろ。ヨシュアは、人のオーラを見ることが出来る。旅団には、大勢の大事な人を失った過去があるものが多いんだ。そんな彼にもう一度、死んでいった者の言葉を伝えてやりたい。そして、俺たちは時に人を殺める事もある。俺だって、人を手にかけた事が有る。そんな俺たちの心が曇らないように、ヨシュアに見守って欲しい。これが俺からのお願いだ」


 昨晩の弱った少年はそこには居なかった。


「今すぐ返事をくれ、とは言わない。ただ、俺らもずっとここに居る訳じゃないから、それまでに考えて欲しいんだ。頼む」


 ダンは二人を見つめ続け、もう一度頭を下げる。


「私からもお願いだ。力になって欲しい。頼むよ」


 デライも同じように、おふざけなどなくしっかりと。


 シナイとヨシュアは困惑していた。二人とも力によって痛い目を見続けてきた。それが急に正反対になるのだ。


「少しだけ、考えてもいいかな。急には返事できそうにないから」


 シナイはまだ理解が追い付いていないのだろうか、心ここに有らず、となっている。


 二人は頭を下げたままでいると、何も言わなかった時間を突然、腹のなる音がし引き裂いた。


 みなが一斉に音の出所に目をやると、顔から今にも煙が出そうになっている、純粋な少女が一人。三人はそれを見ると、自然に笑みが零れる。


「とりあえず、飯でも食べようか。というか、もう一緒に食べる気で持って来ちゃてるしね。ほら、ダンもヨシュアも呆けてないで。お姫様がお腹を空かせているんだ、さっさと動かないかいー」


 デライの号令で、全員が動き出す。シナイはまだ赤くなっているが、腹の虫には敵わない。いくら抑えてもグルル、と可愛らしい音を鳴らし続けている。


 その日、四人は共に過ごした。


 ダンが訓練で初めて、マモノを目の前にしたとき、怖くて泣いてしまった事。


 シナイが初めて会った時は、泣き止まなくて大変だった事。


 ヨシュアが歩いている時に、ぶつかった人に因縁をつけられ、二人で駆け回った事。


 デライが最近太ったのを、気にしている事。


 四人は笑い合った。


 夜になり、ダンとデライは夕食を買いに行く、と言って、外に出ていった。先程までの笑い声が、ボロボロの部屋に反響して煌びやかに彩る。


 ヨシュアはシナイを見て、どうしても聞きたかったことを尋ねる。ヨシュアの中ではもう決まっていたのだ。しかし、それにはシナイの気持ちが必要であり、一人で決められることじゃない。


「シナイはどうしたい? 二人の言う通り、旅団に行ってお手伝いするか、それとも、このまま二人だけで仲良く過ごすか。どっちがいいかな?」


 シナイは、少しだけ考えた後に言ってくれた。


「一緒なら何でもいい! ヨシュアと一緒ならいいよ!」


 この少女は、どこまでも綺麗だ。この色を守る為なら私は、悪魔にだって魂を売り飛ばせる。


 よかった、ほっとした。

 

 私たちの下に迎えに来てくれたのは、天使でした。私たちのような者でも、報われていいのでしょうか。


 あぁ、このままでは涙を我慢できそうにない。私が泣いたら、シナイが悲しむではないか。堪えろ、笑え。


「ずっと一緒に居よう。ここではない所になるけど一緒だ。これからもずっと。それじゃあシナイ、歌を歌おう。」


 盲目の男は、世界で一番可愛らしい死神を抱き上げ、歌いだす。


——いつのひか そのひをまとう まずしくも


 わらってふたりで そこにはふたり つれだしてくれる


 だきあって えいゆうがきて しあわせに——


 日が昇っている。少女と男は、長く住んだこの小屋に別れを告げることに決めた。ここで起こった様々な思い出に感謝する。神様がいるのなら、二人は同じことを言うだろう。


「いい返事をくれてありがとう。晴れて、これからは俺らの仲間だ。よろしく」


 ダンは二人に向かって、頭を下げる。


 それから四人は、旅団の飛空艇に向かう事が決まった。


 そう言えばと、ヨシュアが、お世話になった人が数人居るので、礼を言いに行きたいと。相手は、何も思っていないだろうけど、助けられた恩は、しっかりと礼を言いたいのだ、と言い二人はそれを小屋で待つことにした。


 ヨシュアは、手を引かれて歩いていく。


 この街にも世話になった。本当ならもっと早くに野垂れ死んでいても、おかしくは無かった。

 慈悲をくれた人たちの色を辿って、感謝を述べる。幾人も幾人も。覚えていない者、拒絶する者が、ほとんどであった。それでも続ける。


 道中、教会に寄った。ここの僧侶には、よく助けられた。一番、礼を言わないといけないな。教会に入る事を嫌がるシナイを少しだけ外に待たせて、僧侶と話す。




——おい、あれ見ろよ。あそこの教会の前に居るのって死神じゃねえか? 前から、男と一緒にいる所為で手を出しにくかったけどよ、今は一人みたいじゃねえか。ちょうどいい暇潰しが出来たな、お前ら——


 一人で待っているシナイを数人の影が覆い尽くす。そして、その影はシナイを連れて、街のはずれへと向かっていった。


 シナイは殴られた。蹴り飛ばされた。


 朝に食べた食事が吐き出されてしまう。声を出すことも出来ない。


 男たちは随分と醜い笑顔で、小さい命を弄んでいる。


 そうして、少し経つと、もうシナイには動く力も無くなっていた。辛うじて呼吸をする。一生懸命に吸って吐いて。


 それを見た男たちは、賭けを始める。内容は、町の外に放り出して、マモノの餌にしてやろうと。それが、明日まで生きているか、それとも死んでしまうか。なんて面白いゲームなんだ。そう言って笑い出す。


 そして、シナイは担がれ、町の外に連れて行かれる。


「この辺りでいいだろ」


 男たちは、シナイに唾を吐き捨て笑いながら去って行く。話し声が聞こえるが、それは、いくら賭けるかを言い合うだけの、酒場のような会話であった。




「ありがとうございました」


 ヨシュアは、僧侶と話を終え、外へ向かう。


「シナイ。待たせたね」


 声がしない。すぐさま辺りを見渡すが、シナイの色だけが見つからない。


 シナイが居ない。


 何度も叫んだが、声は帰ってこない。ヨシュアは近くの緑色の光に走り寄り、少女を見ていないか話す。


「どんな子なの? 特徴は?」


 悔しかった。


 言えなかった。


 シナイの髪の長さは、色は、どんな目をしているんだ。分からなかった。思わず黙ってしまう。どうしたら伝えられる、少女の事を。その時、頭に一つだけ言葉がよぎった。


——死神なんだって——


 言いたくなかった。少女の事をそんな風には呼びたくなかった。それでも男は言った。


「死神って呼ばれてる女の子だ! 見かけなかったか!」


 それから、何人にも聞いて回った。何度も何度も男は罪を犯した。その痛みは、体中を裂かれたかのようだ。


 あの綺麗な藍色はどこだ。どこに行った。


 なぜだ、なぜ神はここまで私たちを嫌う。何をしたというんだ。

 物を盗んだことか?

 勝手に小屋に住み着いたことか?

 私が目が見えないからなのか?

 何故なんだ。


 何度も躓き、壁にぶつかり、人に突き飛ばされる。それでも立ち上がり走り回った。


 痛い、痛い、痛い、痛い。


 身体ではない。


 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。


 息が出来なくなりそうだ。

 男の心を支えている、か細い枝をポキリ、ポキリ、と黒い腕がへし折っていく。


 目が見えていれば、シナイが攫われることもなかったのに、直ぐにシナイのところに行けるのに。

 シナイの顔を見れたのに。




 雨が降り出す。


 もう、ダメかな。

 低く獣の様な声が響いている。

 聞こえる。その声は段々とこちらに向かってくる。


——寒いよ、ヨシュア。

 痛いよ。苦しいよ。何処にいるの? 一緒に居ようって、言ってくれたのに。結局こうなるのかな。

 痛みを段々と感じられなくなることが、痛い。

 苦しさを感じていられるのは、何時いつまでなのか考えると、苦しい。


 神様がいるなら、私はお願いしたい。彼が、幸せな人生を歩いていけるように背中を押してあげて欲しい。その為なら、なんだってあげられる。


 欲を言えば、目を見えるようにしてあげて欲しいかな? 私が死んだら、私の目を彼にあげて。両方渡したら、私が顔を見れなくなっちゃうから、片方だけ。お揃いになるんだ。


 私とヨシュアは、似た者同士だから——


 周りには死霊が集まってくる。まるで少女を守るように。そして声を合わせて、歌を歌う。


 この歌。みんな聞いてたんだ。好きなんだねこの歌が。私も好き。


 シナイは歌う。大好きな人の、大好きな歌を。


 いつのひか そのひをまとう まずしくも


 わらってふたりで そこにはふたり つれだしてくれる


 だきあって えいゆうがきて しあわせに




 男はボロボロだった。見えないことに絶望しかけていた。あの色が見えないことが辛かった。


「どこにいるんだい? シナイ。もう出てきておいで。かくれんぼは、もう終わりにしてくれ」


 膝が笑っている。まるで何もできないヨシュアの事を。


 真っ暗になる。暗く暗く。どこまでも一色の世界。色が失われていく。


 そこにはふたり だきあって まずしくも


 しあわせに いつのひか えいゆうがきて


 つれだしてくれる そのひをまとう わらってふたりで


 黒色の世界に一色だけ、色が見える。それは歌になって溢れ出す。

 まるで、世界に流れる命の粒子のように、男の視界を流れている。

 ヨシュアには分かった。これが何か。色は一か所から流れてきている。ヨシュアは流れを辿って走り出す。


 分かったのだ。これが誰の色なのか。


「シナイ。今行く」


 何度も見てきた、綺麗で儚い藍色だったから。


 色を追いかける。また躓いて、また躓いて。でも気にならない。頭の中は一杯だった。

 音も聞こえない。歌だけがヨシュアの耳に響いている。


 思い出す、この歌を。よく二人で歌った。


 夜に、シナイが空を見上げながら、歌っていた。星の数を教えてくれた。数えきれないほどに君から貰ってきた。声が聞こえる、シナイの声だ。


 その声が奏でるのは、大切な人が、好きと言ってくれた、男の歌。


 嬉しかった。救われた。


 歌によって癒すと言っておきながら、本当は自分が癒されたかった、救われたかったのかもしれない。


 それに、ダンとデライに出会った時。

 ダンに言われたことが悲しかった、悔しかった。自分ではシナイを守れない、と言われた気がして。


 違うよ。と言いかけた時に、デライが割って入り、ダンを叱ったのを見て、少しシナイには優しくしすぎたかな? と考えてみたりしたんだ。


 段々と近くなっていき、はっきりと、その目で光を見ることが出来る。やっと見つけた、ヨシュアの光を。ヨシュアの目に光を与えてくれた一人の少女を。


「シナイ!」


 藍色を両の腕で覆う。


 でも、自分にはどうすることもできない、力がないから、こうすることしか。叫びながら光を抱きしめる。体が傷だらけになるのが分かった。でも、そんなものはどうでも良かった。

 目の前にいるのは、ヨシュアの天使だから。

 助けなければならない、このままでは、二人が同じ未来を辿るのは明らかである。ヨシュアはシナイに、逃げなさい、とささやく|。シナイを抱えても、ヨシュアには何も見えないから。どうにかこの娘だけでも、助かって欲しかった。


——嫌だよ——


 そう聞こえた気がしたが、ダメなんだ。生きてくれ。拒絶するシナイに声を荒げた。


「早く逃げろ! 馬鹿者!」


 初めて怒った。びっくりしただろうな。泣いているのが分かる。光が遠くなり安心した。

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