第11話 盗子

 盗跖とうせきは上半身を寝台から起こしてもらうと、しわだらけの手でわんを持ち、真っ白になったあごひげを上に向けるようにして鳩のスープを口に含んだ。よわいは八十を超えていた。若き日の面影はかすかに残っている程度で、若い頃の知り合いが今の盗跖を見ても、誰もそれが盗跖本人であろうとは思いもよらないだろう。光陰は矢のごとく過ぎ去り、盗跖はここまで生き抜いたのだ。

 いつしか盗跖は若い手下から『盗先生』と呼ばれるようになった。今日もお気に入りの若い弟子に介助してもらいながら、食事をしたり若い頃の話などを聞かせていた。


弟子「盗先生、盗賊にも徳というものは必要なんでしょうか?」


盗子「ああ、盗賊の道にも『五つの徳』が必要だ。まず誰のどの家に何があるかをきっちりと調べるのが『智』だ。その集めたあらゆる情報を精査して標的を一つに定めるのが『明』だ。仲間に裏切られないように操るのは『信』だ。仮想敵を作って自分達は正しいと思わせるのは『義』だ。そしてもうけを公平に分け与えるのは『仁』だ。この『五徳』がそろわないと、いい盗賊とはいえないな」


弟子「なるほど、だから盗先生は今まで誰にも捕まらなかったんですね」


盗子「いや、それだけじゃまだまだ甘い」


弟子「まだ何かあるんですか?」


盗子「まず自分の分をわきまえて、大き過ぎる夢を持たないことだな。国家の君主などというのは偉そうに見えるが、そのほとんどは俺と似たようなやからだ。だが俺と君主とでは行使出来る力が桁違けたちがいだ。自分より強い者とは争わないことだ」


弟子「ならば、どうして盗先生はもっと強い国を盗らなかったんですか?先生なら、きっと強い国を持てたでしょうし、作れたはずです」


盗子「世の中、上には上がいるのだ。下手に君主などになってみろ。内では俺よりもっと能力の高い臣下にその座を狙われ、外では俺の国を虎視眈々こしたんたんと狙う獰猛どうもうな君主ばかりだ。これじゃあ命がいくつあっても足りん」


弟子「何だかいやな世の中ですね?」


盗子「世の中が悪いわけじゃない。悪いのは人の心だ。俺はただそれを利用したにすぎない」


弟子「誰も利用されていることに気が付かなかったんでしょうか?」


盗子「人というのはな、感情が激しく揺さぶられると真実が何も見えなくなってしまうものだ。喜ばせたり、不安にさせたり、焦らせたり、怒らせたり、欲をかき立てたり、憎ませたりすると、途端にものの本質が分からなくなるんだ。あとはもっともらしい理屈をくっ付けて、少しずつ誘導していけば誰も利用されているなんて思わないだろうよ」


弟子「そんなに簡単なものですか?」


盗子「まず、相手が何を望んでいるかを見極めるんだ。そして相手が望むものを与えてやる。富と名誉と色のうちのどれかで大体の奴は落ちる」


弟子「全部欲しがる人もいるでしょうね?」


盗子「それが権力者だ。そいつらがあちこちにいるから、今も乱世が終わらない」


弟子「なるほど。で、その次はどうするんですか?」


盗子「そうやってある程度仲間を集めたら今度は仮想敵を与える。つまり『こいつは悪人ですよ』と誰もが分かりやすい標的を示してやるということだ。すると憎しみが増幅されてもっと視野が狭くなる。そして共通の敵を持った仲間の結束はより固くなって、自然と仮想敵を叩き始めるようになる。こうなるともう悪口大会の始まりだ。皆競って罵詈雑言ばりぞうごんの狂喜乱舞よ。あとは俺の本性がバレないように時々偉そうなことを言ったり、正しそうなことを言ったり、共感するようなことを言ったり、憎しみをあおってやったりすれば『言いなり人間』の出来上がりだ。そこまで来れば、あとは少しそそのかすだけで利用できるようになる。

 だがな、この手を使っているのは俺や君主だけじゃないぞ。『えせ君子』どもも同じだ」


弟子「どういうことですか?」


盗子「幸せっていうのは追い求めた途端に逃げ始める。幸せは追いかけるもんじゃなくて、ある時ちょっとしたことでふと気が付くもんだ。生まれてから死ぬまでずっと幸せだった奴なんかいやしないし、生まれてからずっと不幸だと言っている奴はほんの少しの幸せに気付いていないだけだ。なのに『えせ君子』は自分の教えを守ればその幸せが手に入る、立派になれると信じ込ませているのだ。いわば『幸せになりたい』という欲を悪用しているだけだ。そうやって視野を狭くしておいて、不安や恐怖を吹き込んだり憎悪を植え付けてやると狂信者の出来上がりという訳だ」


弟子「では一体、人は何を信じればいいのでしょうか?」


盗子「他の奴らは分からんが、俺が信じているのは『欲』と『憎悪』と『俺自身』だけだ」


 そう言い終わると、盗跖は弱々しく眠りに落ちた。

 これが天下に名をとどろかせた盗跖の成れの果てか。結局この人は、どこまで行っても自分しかなく、孤独だったのではなかろうかと弟子は思った。


 数ヶ月後、盗跖は寿命をまっとうし静かに乱世を去った。すると手下達はしだいに散り散りになり、盗跖の率いた盗賊団はいつの間にか消えていた。この若い弟子の消息も分からないままであった。








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盗子〜悪党の屁理屈 佐野心眼 @shingan-sano

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