小説の感想の返信我ながら驚くほど見ないマンだった頃の話

 タイトル通り、小説の感想の返信我ながら驚くほど見ないマンだった頃の話をします。過去形で書いているように、現在は小説の感想の返信なるべく見てるマンです。なるべく。


「見ない」と云っても、これは何も返信の内容に関心が持てないからとか、返信見るの面倒臭いからとかではなく、私の場合そもそも感想を書く主たる理由が「構ってほしい」だったりする。


 小説投稿サイトにおいて、「構ってほしい」と云えば成程それは自作を読んでほしいということですね? みたく解釈されがちだと思うのだけれど、面倒臭いかな別段そういうことでもなくて。

 誰かの作品に感想書いた時点で、「自分は今日も誰かと繋がった」という痕跡を残せた感覚があるんですよね。それ欲しさに書いているので、あなたの書いた感想に返信がありましたよーという通知が来るとテンション上がるんですけど、じゃあそれ読むかって云うとそれは別にいいんですよね。中身は肝心じゃないから。

 返信があった、すなわち今日も今日とて画面の向こうでは誰かが生きていて自分と繋がりを持ってくれたんだという実感さえ得られれば満足なので。基本スタンスが猫なのですよ。すこぶる構ってほしいと思うときだけ、構ってくれいみたいな。だから、小説の感想の返信我ながら驚くほど見ないマン──だった。


 ここ最近は、小説の感想の返信なるべく見てるマンであろうと努めている。


 これは他者の返信に目を通すことでよりその人との関係を深めていこうとか、違った価値観に触れることでより自分の創造力をブラッシュアップしていこうとか、そういうことではなくて単純に集団生活を生きる現代人としてこれってどうなの? と疑問だったので。人らしく改善していけるところは、改善していこうかなと。

 最近web小説読んでいて感じたメリットは、読んでいると「私、いまゆとりをもって生きてるな」って錯覚できるんですよね。錯覚なのかよって云われたら、まあ錯覚だと思うんですけど。所謂認知的不協和の解消というか、命張って助けたんだからオレ絶対この娘のこと好きでしょみたいな。まあよく云えば、根拠のない焦りを払拭できると云いますか。

 あと、認知的不協和の解消理論って以前どこかで書いたなと思って探したら、下の記事で書いてました。気になる方はどうぞ。


 親愛なるあなたへ 『爆弾』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054917621580


 実用書も面白いと云えば面白いのだけれど、あの手の本ってどうあがいても人生より良くすることが目的なので、凄い切迫感があるというか、「あれ? 私、いま人生余裕ないのかな?」という焦燥感に駆られたりして、ここしばらくちょっと読んでられなかったりする。特に健康に関する書籍とか、載っている情報自体は役に立つのだけれど、やはりいずれも根底にあるのは「いかに長生きするか」だから。健康ではありたいけど長生きしたいかと云われたらそれ別問題なんよなーとか考えたりしてしまって、ページをめくる手が頓挫してしまったり。

 それゆえ、エッセイと小説の更新ぼちぼち再開しようかなーとか、小説読んでみてもいいかなーとか思えるようになったのは、それだけもうちょい余裕持って生きてもいいんじゃねという方に気持ちが傾きつつあるからではないかと思われ。そのせいか、最近洋画やらマンガやら遠ざけていたフィクションを素直に楽しめている気がする。つまるところ何が云いたいかって『東京リベンジャーズ』くっそおもろい。

 今回はそんな感じ。ではまた~。

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