「性嗜好に対する探求心の違いが生んでる差別意識ってあるよね」みたいな自論

 はじめに云っておくと性的「指向」ではなく性的「嗜好」のお話。日本語って難しいね。

 もう名前は記憶にないのだけれど、とある海外の写真家が撮影した花に強い男性性を感じたのである。まあ平易に云いますと、「すげぇ(被写体の)花が男に見える!」ってな具合で(笑)

 それまで“作品”として切り取られた花というのは、往々にして女性性の強いもの、なんなら撮った側も被写体である花を女性っぽく見せようとしている──みたいなイメージがあったので。モノクロの何やら項垂れているように映る花が、男性に見えることそれ自体が新鮮だったのである。

 一方で、フレームに収まった花を観賞するとき、どうも無意識下で擬人化して観ているきらいがあるなという自分に気づき──知らず擬人化してしまっているからこそ、その写真を目にした折「すげぇ斬新」と驚いたわけで。


 こと芸術領域で花と接するとき、人って花を花としてではなく、花がまとったイメージを観ているのやもしれない──などと思った次第。


 美しい花を観ているのではなく、花の美しさを観ているみたいな。ゴメン自分でも何云ってるかよくわかんなくなってきたのでここらへんで打ち切る。


『花と罪悪』 作者 高村 芳

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054934399463


『年間1000作読む人が選ぶおすすめweb小説はこれだ【恋愛編】』経由で読ませてもらった作品(この回をブログに転載した際には、このテキストにリンクが張られていることでしょう)。タグに「性的倒錯」とあるように、「僕」の花に対する愛を描いた短編小説です。

 件の作品をきっかけに「性的倒錯」について改めて考えてみる。

 思うに「性的倒錯」って──すべてがすべてこの自論で片付けられるとは思っていないけれど、性嗜好に対する探求心の違いがマジョリティとマイノリティを発生させているケースあるよなぁと。

 件の作品に登場する「僕」は、花瓶に生けられた花の質感を「あ、これいいな」と感受して追求した(追求せずにはいられなかった)から所謂性的倒錯者に踏み入ったわけで。

 

 つまるところ何が云いたいって、性嗜好的にマジョリティとして君臨している人たちも少なからず“倒錯”と捉えられておかしくないそれを奥底に抱えてはいるのだけれど、単に性嗜好に対する探求心がそこまでないというか、誰しもが落ち着きがちなところで落ち着いてるから「私・俺は性的にマジョリティだよね」と思い込んでるだけなんじゃね? とか思うのですよ。


 私──つい先日までアダルトグッズを取り扱うお店で働いていたのだけれど、やっぱり色々なお客様がいらっしゃるわけですよ。お尻に挿れるおもちゃをレジまで持ってきて「これ挿れたまま車運転しても大丈夫ですか?」と尋ねてくる人やら。でも、その人だって物心ついたときから「お尻にナニを挿れると気持ちいい」とわかっていたわけではないじゃないですか。やはり何かしら「あ、これいいな」と思うきっかけがあって、世の中にはこういうグッズがあるんだ、こういう需要があるんだと深掘りしてからの「これ挿れたまま車運転しても大丈夫ですか?」だったと思うのですよ。


 だから、何度も云うようにすべてがすべてこの自論で片付けられるとは到底思っていないのだけれど、この個々人の性嗜好に対する探求心の違いが生んでしまっている性的な差別意識ってなくはないよな──などと思っている次第。


 あ、ちなみに車の運転に関しては「オススメはしません」とだけお伝えしました。

 実際、人がナニに性的興奮を覚えるかってマジでわかんねぇなと思うところがあって、たとえば──まあ私は男なので以下男性目線でものを云うのですが、AV観て下半身が反応するってアレすごい不思議だと思いません?

 私らはあれを裸の女性ではなく、裸の女性が映っているディスプレイとしてきちんと認識しているじゃないですか。でも、見たら見たで下半身反応しますよね。


 つまり、下半身レベルでは目の前にいる「裸の女性」と「裸の女性が映っているディスプレイ」って区別ついてないんですよ。


 だから、偶に「三次元は抜けない」とか「二次元とかただの絵じゃん」みたいな興奮材料としての三次元と二次元の優劣を決めようとする論争があったりするのだけれど、個人的にはいや三次元二次元がどうこう以前にどちらも偽物だからね? それに反応する人体の神秘というかガバさの方がむしろ気になって仕方なくね? とか思ってしまうのですが、いかがか。

 鈴木祐さんの『最高の体調』では、人類の進化と現代の環境のミスマッチ──早過ぎるテクノロジーの進化にヒトの進化が追いついていないことが取り上げられていたけど、個人的にはこの「下半身レベルでは本物の女性とポルノの区別つかない問題」こそその好例だと思うのですよ。脳の原始的な部分が“のぞき屋”という立ち位置に違和を覚えず、「リアル性行為だわコレ」と誤認しているわけなので。


 ここまで書いて思ったのだけれど──AVを観ているとき人は“のぞき屋”という受動的役割に甘んじているわけですが、官能小説なら自分を性的妄想の主役として配置しやすい、文字情報からエロいシーンを想起するという能動的な楽しみ方によって想像力を鍛えられるので、どうせ自慰行為をするならAVより官能小説の方がイイんじゃね? などと思いました(個人の見解です)。


 本番を想定したとき、目の前にある情報だけしか興奮材料にできないって何かと不便だと思うので。官能小説で鍛えた妄想力が、あなたの性生活の充実に一役買ってくれるシーンも少なからずあるのではないでしょうか(個人の見解です)。

 今回はそんな感じ。この流れで案内されるのは高村さんとしても大分アレでしょうが、『花と罪悪』興味を持たれた方はお読みいただければこれ幸い。

 ではまた~。

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