明日もまた知らない誰かの昨日と同じ日になるの 『』

【楽曲紹介】 

『』 vocal:

 youtube.com/watch?v=O7uy4ws5-RU


 自作『黒ノ都』には水原透みずはらとおるという十六歳の男子高校生が登場する。


『黒ノ都』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054919328175


 軽いネタバレになるのだが、Phase2にて彼は妹である水原未紗季みさき助けにいくかどうかで葛藤することになる。本気でというのは文字通りの意味で、「いやぁ、助けようと自分なりに頑張ったんだけどね?」というポーズで終わらせる気はないという意味である。

 結局、透は本気かどうかはさておき助けにいく方を選ぶのだけれど、これは何も周囲からの評価が気になった──妹を助けにいかない薄情な兄だと思われるのが厭だったとかではなく、そもそもこの時点で彼の周囲には『DIE_SET_DOWN』ばりにさっきまで命だったものが辺り一面に転がっているので。つまるところ、彼の行いを評価する“周囲”など存在しないのである。

 妹のために自分の身を投げ出さない、冷血な兄にはなりたくない。自身が見るに堪え得る人格者でありたい。そうした思いから、透は妹を助けにいくという選択肢をとるのである(しかも、そんな妹が大事だから助けにいくわけではないという一面の存在に気付いてしまっているところもまた彼の生きづらいところ)。


 他己評価より自己評価に重きを置く──というより、振り回されるたちなのだ。


 この周りから自分がどう見えているかより、自分は自身の“目”に映す自己として相応かを重視してしまうタイプというのは、自作に頻出するキャラクター像だったりする。それは、他ならぬ作者がそのタイプなので。周りが自分を良しとしようと自分が自分を良しとしないと中々に身動きが取れない。そういう質なのである。


 ここ最近アウトプットに対する罪悪感みたいなものがある。

 

 これの正体は明らかで、要するにリフレッシュをしたくないのだ。何か書き出してしまったらそれなりにスッキリするとわかっているので、「書く」だけでなく「読む」も含めてこと小説との接触を回避しているきらいがある。

 根本は、ヤケ食いや明日早いとわかっているのにいつまでも夜更かししてスマホにかじりついているのと同じ。健康な心身から遠ざかるという痛過ぎない自傷行為である。

 ただ──こうして久方ぶりにエッセイは書いているので。良い方向に向かいたいとは思っているのだ。この行いによって、好転する何かがあるという確信はあるのだ。自分の中にそういう一面があるならまだ良しとしたい。


 さて、これより先は伝わる相手にだけ伝わればよいのだが、「寂しい」と云われるのは結構効く。


 類語として「あなたのことを大切に想ってますよ」「大事にしてますよ」とかは若干嘘っぽく響くのに「寂しい」は──効く。で、効いたがゆえに今こんなものを書いているのだろうし、効いたということは読み書きから距離を置いているこの現状、然して幸せではないのでしょうて。

 人間不幸がデフォルトと云われたらそれまでなのだけれど、このままでいることが違うのはなんとなーくわかっているので。ぼちぼち何とかしたい今日この頃。

 ──ここまで書いて自身の状況を端的に表す言葉があるとしたらそれこそ「寂しい」なのではないかと、我ながら巧いこと思いつくもんだなとちょっと笑えた。

 

Q.いい加減楽曲紹介を騙った自語りはいかがなものかと

A.正直頭に残りづらいというか、一二回聴いただけじゃ口ずさめない曲なのだけれど、それゆえ聴いたとき特別感があるというか、聴いている間だけそこに浸っていられるみたい儚さが好き(伝われ)。

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