小説を書くのが孤独で辛いというあなたへ
小説なんてものを嬉々として(あるいは鬱屈として)書いているうちは、真の意味で孤独になるなんて難しいのではないかと思う今日この頃。
遠く 『冷えた朝に、ドライブ』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/16816700426137109670
上記リンク先で「虚構を描くという孤独な行いは、そう易々とあなたをひとりにはしてくれない」と書いたのですが──。
書いているうちは孤独を気取っていても、いざ書き終わると「誰かに読んでほしい」と思うのが大半の物書きの
内なる虚構を描くという孤独な行いが、しかしあなたをひとりにはしない、「もっと外の世界と関わりを持て」というある種防衛システム的な働きを見せるのは面白いよねーくらいのニュアンスで書いたわけです。
とはいえ──大半と書いた通り物書き皆が皆そうではなくて。
作品を仕上げたところで別段「誰かに読んでほしい」とか、他者からの反応を求めない、場合によっては(それが作品に対するお褒めの言葉であれ耳に痛い言葉であれ)拒む人だって中にはいる。
ただ、そうした人でも虚構の描出が生む力というか、アウトプットがもたらす心理的なメリットから完全に逃れるって無理じゃね? とは私は思っていて。
たとえば、「誰かに読んでほしい」とは思わないタイプの人でも仕上げたら仕上げたで、もっと良いものが書きたいから勉強しようと本屋や図書館に足を運んだりとか、雑多だった頭の中が書き出すことですっきりしたからちょっと散歩にでも行こうかな、今晩のおかず一品増やそうかなとか。
どうあがいても外の世界と接点を持つ方へ向かざるを得ないと思うのですよ。
たとえ、特別読まれることを欲していないタイプの物書きだったとしても。
だから──小説なんてものを嬉々として(あるいは鬱屈として)書いているうちは、真の意味で孤独になるなんて難しいのではないかという冒頭に至る。
「小説を書いているあなたはひとりじゃない」というより、「小説なんてものを書いているうち、ひとりになれるなどと思うな」みたいな。
それゆえの「そう易々とあなたをひとりにはしてくれない」なのですよ。
そう考えると、情操教育の一環でよく「あの雲は何に見える?」「あの星は何に見える?」とか、子どもに質問したりするじゃないですか。あれって雲やら星やらそれ単体ではあって当たり前、風景と化しているものに自分なりの意味──“物語”を与えることで「世界はあなたの意味づけ次第で変わる、もっと世界に関心を持て」と教えているんだなーなどと思ってみたり(この辺りは精神科医である
私は小中高と自分以外読者のいないマンガや小説を吐き出し続ける──という謎のスパルタ創作活動に執着していたのだけれど、あれとて今思い返せば未来の自分に向けて書いていたのかもしれないなぁと。
現にいい年した私が今でも偶に読み返しているので。
だから、当時の私は孤高ここに極まれりというか、創作者のあるべき姿はこれ! みたいな歪な信仰のもとそれを続けていたように思うのだけれど──心のどこかで未来の自分をもう一人の読者として想定していたのかもしれんなぁなどと何やらロマンチックな夢想に走ってみたり。
これ自体が先に触れた物語の付与なのかもしれんね。誰一人読者のいなかった創作の日々は一見すると無価値で無意味だったけれど、未来の自分をいかすために書いたのだと思えば成程悪くはなかったなと。
これを書いていて、最近空を見上げたことはあっても雲やら星やらをぼんやり眺めたことってないなと気づいた。
『デジタル・ミニマリスト』によれば「リンカーンが戦時の大統領という重大で難しい職務をりっぱに果たすことができたのは、一人きりで思索にふける時間を確保したから」ではないかと、「一人きりで過ごす時間」の大切さが語られていたので。私自身に国家を救う予定はありませんが、偶には雲やら星やらをぼんやり眺めてみたいと思います(ちな海にはまだ行けていない)。
今回はそんな感じ。ではまた~。
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