花と畢生 『花を生け続ける姫君』
【作品情報】
『花を生け続ける姫君』 作者 宮澄あおい
https://kakuyomu.jp/works/16816452219527377379
【紹介文】
——その道が、生き地獄であったとしても。
時は戦国乱世。乳母は自分の仕えるお姫様の身を案じる。
お姫様の家は崩落の一途をたどっていたからだ。
※戦国時代をモチーフにした伝奇ものです。モデルとなった事件・人物はありますが、本当に参考程度ですので、歴史小説ではありません。
※幼い少女に欲情する人がでてきます。物語上における表現であり、現実における犯罪行為を容認する意図はありません。
作中における〈花〉の変遷が面白いなぁ──と。
「壱 杜若」において、生け花は相応の身分にある者のたしなみとして描かれています。この時点では、あくまでたしなみでしかなく。〈花〉は物語のヒロインである彼女の美しさを際立たせるもの。飾り立てるものとして機能しているわけですが。
調べてみると、この生け花というのが面白くてですね。流派にもよるそうなのですが、フラワーアレンジメントが三六〇度どこから鑑賞しても美しいを志す一方、生け花は鑑賞者の視点が決まっているそうで。
とどのつまり、この角度から見てこそ完成形。
この立ち位置から対象を味わうのが大前提。それ以外からどうか〈私〉を見ないでね──というのが生け花の主流なあり方らしい。
そう考えると、立場上男に生まれた方が何かと都合は良かっただろう(男に生まれたかっただろうと書くのは何やら違う気がした)彼女──以降影を見せてゆく彼女が、鑑賞者の立ち位置を指定する花を生け続けるという構造自体、物語として面白くも皮肉めいているなぁ──などと。
〈花〉はときに彼女の代弁者、時の流れを指し示すものとして機能するのだけれど。当然のことながら、特段姫さまのために何かをしてくれるわけではありません。こと「漆 山桜」においては、姫さまをただ俯瞰するもの──彼女を取り巻く景色の一部に過ぎず、どこか距離さえ感じてしまいます。
それが「玖 彼岸花」において、はじめて〈花〉が物語に干渉してくる。
と、同時に「もう元には戻れない感」(戻りたい元とやらが明確にあったかどうかはさておき)も色濃くなるわけで。初見だと「終 あまたの花々」に「え、もう最終話?」と感じた方は少なくないと思うのだけれど。再読すると「拾 梅」において登場する梅の花はもはや花器がない以上、柱に括りつけられる他ないわけで。
鑑賞者を失ってしまった。
見せたい完成形を失ってしまった。
こうなると、なるほど次は最終話しかないよね──と。妙にしっくりきてしまいました。
乳母によれば彼女は「貞淑なお方」というある種の完成形はそのままに、荼毘に付したわけですが。それが、真に彼女の遺したかった完成形であるかどうかは定かではありません。そういえば、生け花というのは花だけでなく枝ぶりや葉、苔に至るまで花を取り巻く総てを鑑賞の対象とするそうで。
そういう意味でも、まさしく生け花のような作品だったなぁと思います。
他の方のレビューにもありますが、この花と畢生を二万文字に収めたのが凄い。
巧緻な筆致で、されど軽やかに綴る"抗い難いもの" 『ミルセフォルフィナ様と騎士レイデン』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354055072341384
ところで、『ミルセフォルフィナ様と騎士レイデン』のレビューでも触れたのだけれど、私は宮澄さんの書く登場人物の退場が好きです。無駄がないというか、過度に読み手の情を煽らないと云うか、命の散りざまってしずかだよなぁと思わせてくれるので。
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