なりたいものがまたひとつ
小説を書きました。
思うところがあって本当は書きたくなかったのだけれど、試しに書いてみたところやっぱり達成感では実益を生む行動よりこちらの方が遥かに勝っているようで。その現実を突きつけられると解っていたからまあ書きたくなかったのだけれど。
ほとぼりが冷めたら原作に収容する予定。ほとぼりとは。
ちなみに達成感基準で物事を見ると、意外だったり残酷だったり兎角色んな発見があったりする。やり方としてはAという作業に取り掛かる前に「このAから得られる達成感はこれくらいだろうな」と踏んで十点満点中何点で予想をつける。で、実際にAが終わったら「取り組んだ結果こんな感じだったな」とこれまた十点満点で採点する。
要は、作業に取り掛かる前の期待値と取り掛かったあとのギャップを見る。
これをすると、大して期待してなかったのにやってみると案外面白かったことや逆にメチャクチャ期待していたのにやってみると案外そうでもなかったことが浮き彫りになったりする。別に仕事以外でもできる──というか余暇の領域でこそやってみると新しい発見があるやもしれないので、興味のある方はどうぞ。
打って変わって、ここ最近あえて見ないよう努めてきたものがあって。
ただ、もやもやするくらいだったら凝視とまではいかずとも視界から外さない方がよい──というか、こんなものを発信している時点で間違いなく収めていた方が良いわけで。
心のどこかで自分ならできるという思いあがりがあったのかもしれない。
君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる。『君の神様になりたい。』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054897622138
私は作品──小説や音楽とかで他人を救うことは不可能だと思っている一方、読み手がそれを都合よく解釈して勝手に「元気になりました!」と立ち直るケースは充分にあり得ると思っていて。
ただ、信じているものと心奥で憧れているものはまた違うと云うか、やっぱ「私ならできるイズム」はあったかもしれない。正直。
人があえて見ないよう努める理由ってそりゃあ色々あるとは思うのだけれど、私にとって残酷なことを云うと結局大した手を打てない自分を見るのが厭なんですね。
うん、最近そのことに気づいた(笑)
あと、これもまた最近気づいたことなのだけれど、やっぱ踏み切る──ジャンプするにしても足許固まっていないとしっかり踏み切れないじゃないですか。まあ、この場合のジャンプってポジティブな意味合いではなく身投げ的な意味合いで使っているのだけれど(仮にこれがポジティブな話題だったとしても地固めは要るでしょうよと思われ)。それ考えると、踏切に至るまでの道程がドロドロだったら中々前には進めないじゃないですか。
とどのつまり、私が目指していたもののひとつって泥だったのかもしれないなぁと。
これ書いてて自作を思い出したけど、考えたらまだそこまで話が進んでなかったので何とも云えねぇ。ただ、あの頃から「ただ誰かの時間を稼ぐ」ってことは自分の中で結構大きなウエイトを占めていたのかもしれない。
なりたいものがまたひとつ。ではまた。
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