『一つの秋をかけて葬った私の片割れを打ち捨てて』を読んで

 補足すると、『家出』も読んでいます。

 応援コメントに記すには私情が多過ぎた(というより深過ぎた)ので、こちらへ記します。

 

 ──この1年余り50本ほど小説を書いてきましたが、不幸なことに生きるか死ぬかという時の方がいいものを書くようです。


 件の一文を読んだ折、確かにその傾向はあるのだよなぁ──とつい頷いてしまいました。ただ、誤解のないよう云っておくとこれは何もその方に限った話ではないと思うのです。

 たとえば、これをお読みになっているあなたが熱烈なアンチだとして。日々誰彼構わず誹謗中傷の発信に勤しんでいたとしましょう。そんな折、あなたの躰が病魔に侵されていると判り、余命三日であると告げられました。はたしてそれを受け止めてなお、最期の刻までアンチ活動に励んでいられるでしょうかというたとえ話なのですが。


 私、まず間違いなくアンチ活動の続行無理だと思うのですよ。


 あと三日で尽きる命と解っていたら、言葉をどぶに捨てている暇ないじゃないですか。ここで「いいや、私は最期の一瞬までやるね!」と貫ける人がいたらそれはそれである意味逞しいのだけれど。


 思うに、生きるか死ぬかという狭間に立っているとき特有の「言葉選びのセンサー」みたいなものって私はあると思っていて。


 当然、作品の良し悪し全てをそのセンサーが左右しているなどと主張する気はないのだけれど、少なからずウエイトを占めている部分はあるのではないかなぁと。

 

 EX.今日明日にでも死のう死のうと思って止まない物書きたちへ 『瑕R255G255B255』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054899906473


 その「言葉選びのセンサー」を思い知ったのが、うつ病で亡くなった母親の遺書を目の当たりにしたときで。内容については上記リンク先でも触れたのだけれど、まあ一行だったのですよ。

 衝撃でしたよね。映画やドラマでもせめて便箋一枚分はしたためるじゃないですか。もしくははなからないか。十八年ひとつ屋根の下で暮らして来た母親が家族に宛てて書いた最期の手紙が一行ってあり得る? と真面目に現実を疑ったのだけれど。


 ただ、「闘病生活」と一度書いてその上から「幻聴」と書き直した痕跡を見つけたとき、「あっ、これ以上に家族に宛てたものとしてやさしい言葉ってないかもな」と思って。


 だって、これから死ぬのですよ? それくらい極限まで追い詰められている人が遺書をしたためて──途中「あっ、"闘病生活"っていう表現だとちょっと具合悪いな。よし、"幻聴"にしとこ」と書き直しているのですよ。その心境でその配慮、凄くないです?

 だから、私はあの一行にやさしさの極北を見たというか──些かおかしな表現だけれど、家族に遺す言葉として充分過ぎると思った。今になって思えばだけれど。あと、欲を云えばそもそも遺すような事態に陥ってほしくはなかったのだけれど。兎角、私はあの一行に人として辿り着けない境地を見た気がしている。


 だから、そういう時特有の「言葉選びのセンサー」って誰にでもあり得るのではないかと。

 

 当然、紛うことなき本音が「欲を云えばそもそも遺すような事態に陥ってほしくはなかった」であることは云わずもがなとして。

 

 ──この1年余り50本ほど小説を書いてきましたが、不幸なことに生きるか死ぬかという時の方がいいものを書くです。


 件の一文を読んだ折、もう一つ思ったのが"よう"ならまだいいのかな──と。ここで当人に断言されたら、外野としてはわりかし成す術ない感あるのだけれど、"よう"ならまあいいかなと。まだそちらの方がいいものを書くという確信はないわけで。向かってみないことにはわからないのではないかなと。

「これからさ、全部これから」

 何やらこれ自体が「見ていられない」ひとつの物語であるかのような気がしてきた次第。

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