EX.今日明日にでも死のう死のうと思って止まない物書きたちへ 『瑕R255G255B255』
【作品情報】
なし
【紹介文】
なし
社会人になって間もない頃、うつ病だった母が他界した。云うまでもなく、うつ病と他界の間にはそれらを繋ぐアクションがあるわけだが、それをここで記述することはしない。書き手の特権である。
母の遺書には「幻聴に疲れました」とだけあった。「幻聴」と書く前に一度「闘病生活」と書いて消しゴムで消した跡があった。成程確かに「闘病生活」では色々と想像があちこちに膨らんでしまう。私のメールの返信が遅かったのがいけなかったか、社会人一年目の多忙さを云いわけに中々実家に顔を出さなかったのがいけなかったのか、当時母と同居していた父と姉の振る舞いにどこか至らぬところでもあったのか。闘病生活という広い言葉の中に、今さら見つけたところでどうにもならぬ理由の数々を求めてしまう。虚構でもいいからと作り上げてしまう。その点、幻聴という言葉の耳触りはやさしい。何せ、傍にいる人間にとってどうにもならない領域だ。共感を示すにも限度のある部分だ。
だから、あれは母の残してくれたやさしさだったのだろうと思う。
そういえば、母が他界してから数日後に夢を見た。私と姉と父で外食をしている夢で、そこに母の姿はなかった。姉と父は笑顔で、私も──まあいい顔はしていたと思う。程なくして、今自分はそう遠くない未来を見ているのだとわかった。母がいなくなったあとのこれから。私はこれを、この景色を受け容れていいのだろうか──そんな迷いが脳裏に浮かんだところで。
「いいよ」と母らしき女性の声──。振り向いたところで、目が覚めた。私は、このあまりに出来過ぎた夢を創作の"ネタ"として扱った(件の作品は現在web小説として公開中である)。冷徹な行いをしたという後悔は微塵もなかった。ただ、そのやり口が──表現の仕方が非常に私らしいと思えた。
さて、どうして今になってこんな身の上話をしているのかいうと、はっきり云って今日か明日にも死のう死のうと思って止まぬ人間に対して、画面越しに見守る立場の人間ができることと云ったらせいぜいこれくらいなのである。
あなたが死にたいという情報を発信したとき、何故か訊きもしていない自分の境遇を「私はああだった」「俺の場合はこうだった」と語る奴がいるだろう。あれは何もつらいのはあなただけじゃないとか、あなたは一人じゃないとか、だから前を向いて共に頑張っていこうとか、必ずしもそういうことが云いたいのではない。生きていれば、生きてさえいれば善いことあるよと、その人にとっての幸福などよく知りもしないくせに、ただただ押し付けたいわけではない。
それくらいしか、あなたに開示できるものがないのだ。コミュニケーションで云う、情報開示の原則だ。相手が名乗ったら、自分も名乗らねばと思うだろう。相手が出身地を明かしたら、自分も出身地くらいは明かすかと思うだろう。レベル3の情報を開示されたのだから、自分もレベル3の情報を開示しようかとなるだろう。あなたに死にたいと開示されて、迂闊に「生きてくれ」「死なないでくれ」とも云えないから、見守る側は自身の脳内検索エンジンに「死」というキーワードをブチ込んで、内心自分でも何を伝えたいのかよくわからぬまま、ヒットしたエピソードを語り尽くす他ないのである。
だから、こういう話をするとき、多くの話す側はどうか都合の良いように解釈してくれと願っているのだ。この身の上話から、広い目で見ればこのありふれた境遇から、生きる理由に繋がる何かしらを見出して、とりあえず今日のところは生きながらえてくれと無責任に願っているのだ。そう、無責任に──。
だって、今日仮にあなたが命を絶ったところで、私は平然と今日と然程変わらぬ明日を送るのだろうし。
そのくせ顔も名前もわからぬあなたに生きていてほしいなどと乞い願うのだから、これを無責任と云う以外なんと云おう。
小説投稿サイトにおいて、今日明日にでも死にたいと思っている人たちに対し、「あなたの作品は素晴らしいのだから」「才能があるのだから」だから、生きていてほしい──という訴えを目にすることがままある。実際その人の作品程度しかまともに知り得ている情報がないので、そういった云い回しになるのも止むを得ないのだが、捉えようによっては残酷だなと思っていて。
何だか──その人の書く文章が下手くそだったら、魅力の欠片もなかったら、才能がなかったらもう死んでいいよと云っているふうに聞こえる。
もちろん云った側には、毛ほどもそんな悪意はなかっただろう。これはあくまで捉えようによってはというだけの話である。だから、そんなつもりはなかった──とここで私に突っかかられたところで、私としては限りなく無の面付きで「いや、云われなくても解ってますけど」と返す他ない。
だから──偶に私はあなたたちの作品を好きと云っていいものか不安になるのだ。
あなたたちの持ち得るものを真っすぐ是としていいか、躊躇するのだ。私の好きが、他の誰かの面白いが、才能も実力もあるという褒め言葉が、良かれと思って吐き出している全てが、「所詮お前にはそれしかないのだ」と数多の刃を突き付けていやしないかと不安になるのだ。けれど、どうあがいたところで私は私に見えているあなたしか、あなたが私に見せているあなたしか尊重することができない。
小説投稿サイトに身を置く者がこんなことを云うのもどうかと思うが、小説には面白いとか、面白くないとか、面白いと感じるまでに時間を要するとか、そういう微々たる違いがある程度で、作品毎の価値なんてあってないようなものだという気がしている。
「小説は読者がいてこそ価値がある」とかいう、はたしてどこで刷り込まれてしまったのか、よくわからぬ主張をする奴を偶に見かけるが、別に読まれていない作品が、どこかの誰かから見て無価値と評された代物が、その瞬間そこから消えてなくなっていいなどという理由はどこにもあるまいて(同時に「小説投稿サイトに作品を公開している以上は読んでほしいんでしょう?」という謎の理論を振りかざす奴にもここで釘を刺しておく。お前は物書きを名乗るわりに想像力が貧困過ぎる)。
もしかしたらそれは、ただ自分のために書いたのかもしれないし、もうここにはいない誰かに宛てたのかもしれないし、誰に向けたものでもない、理解者なんてそもそも求めていないのかもしれないし、有象無象の中から作品に込められた真意を汲み取ってくれるただ一人を求めて書いたものかもしれないだろう。
だから、今日も考える。
あなたの作品は面白いよ、素晴らしいよ。それ以外で、あなたたちに今日も明日も生きていてくれよと厚かましくも乞い願う云い回しを考える。そう、厚かましくも──。たとえ、あなたたちが命を絶ったところで、どうせ私は今日と大して変わらぬ明日を迎える。母が亡くなったあの夜も、久しぶりに再会した姉とは最近ハマっている漫画の話をしたし、何の滞りもなく朝はやって来たし、あの日以降数日食べ物が喉を通らなかった──などという事態にも見舞われなかった。
誰かの作品が誰かを救う神になることなどあり得ないと信じている私は、今日も今日とてこんなものを書いて、顔も名前も知らぬあなたたちの注意が僅かでも死から逸れることをぼんやり期待してしまっている。無論こんな私もいつかはここからいなくなるのだろうが、だからといってそれがあなたたちの消えてなくなっていい理由にはならないだろう。
今日明日にでも死のう死のうと思っている物書きたちへ。今日明日も偶然が続く限りは生きているのであろう物書きより。
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