宮澄あおい
これからは、桜の花びらとともに。 『文字が桜の花びらになるとき』
【作品情報】
『文字が桜の花びらになるとき』 作者 宮澄あおい
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893797688
【紹介文】
高校二年生の中山灯子は、現国の時間、その症状に気づいた。
小説の文字だけが散るように見えるようになる。しかも、「何か」を感じると、自分の身体も桜の花びらとなって散っていく。
灯子は体が本当に桜の花びらになって散っているのだろうか?それとも……。
三人の人物の視点から、しだいに明かされていく痛ましい「真実」とは?
「桜の森の満開の下」をほんのちょっとリスペクトした、言うなれば幻想小説型ミステリー。
※ディスレクシアなど実際の現象とは全く関係ありません。
※亀女子とホイップ男子とこしあん男子との様々な面で糖質高めのアオハルということもできますが、それを指摘すると、当該者たちは血圧を測りながら泣いてしまいます。
小説を書き始めるとき、視点の選択に迷うことってありません? 私は一人称が得意だから一人称で、私は三人称が得意だから三人称で──そういう単純な得手不得手の話だけではなく。
この作風ならこの視点が合ってるよね、このタイプの小説ならこの視点が一番作品の魅力を引き出せるよね──といった観点から視点の選択に頭を悩ませる作者様も大勢いることと思います。
さて、今回紹介させていただくこちらの作品なのですが──良かったです。一人称小説としてとても良かった(著しい語彙力低下)。
紹介文にある通り、「灯子は体が本当に桜の花びらになって散っているのだろうか?」という部分が根幹に関わる一つのキーになっておりまして。ここでその真偽について言及するのはネタバレになってしまう分難しいのですが、私「Ep.8」のある表現に"引っ掛かり"を覚えるまでこの現象をフツーに受け入れていたんですよね。
ジャンル「現代ファンタジー」でもないのに(私の記憶が確かなら一時ジャンルは「ミステリー」であったような気がします)。
そこがね──すっごい良かった(だから語彙力)。一人称って三人称一視点以上に視点人物の見聞きしているもの、感じているものが全てじゃないですか? 小説を読んでいてこの手の「あっ、自分まんまと呑まれてたわ」という 感覚が中々に久しぶりだったので。
あと、一人称小説特有と云っていいかもしれない表現の変遷が良かったです。これただ登場人物ごとによく書き分けられているねーというお話ではなくて、たとえば──ここから先読んでる人間にしかわからないポイントで申し訳ないのだけれど、「Ep.7」の斯波くんから見た"彼女"の外見描写って可憐さにフォーカスしつつも一歩引いてる感があるんだよね。
ところが「Ep.32」になるとすでに一度"彼女"に対して想いを打ち明けている、彼女に対する自らの想いを自覚しているというある種の解放感からか、外見描写に著しい語彙力低下が見られるんですよ(笑)。
そういう細やかさがね──いいなぁと。
ストーリーとしては、「桜の花びら現象」の真相に迫るに当たって後半どうしてもヘビーになりがちでしたが、知っている人間なら思わずニヤリとしてしまう──ストーリーにおいて小休止的役割を果たす小ネタも随所に散りばめられており、決して重苦し過ぎない良き塩梅で展開されていたと思います。そういう意味ではお餅大好きな彼はバスケのみならず、この作品のある種のセンターポジションであったと云っても過言ではないのかもしれません(──そうか?)。
──彼女はもう体が桜になって散ることはない。
その感情が二度と彼女を傷つけることはないと、桜の花びらを散らす引き金になることはないと信じたい。
これからは、"桜の花びら"とともに。
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