それは"対岸の花見"なのか(曖昧さを受け容れるということ) 『婦婦《ふうふ》の部屋』

【作品情報】

婦婦ふうふの部屋』 作者 吾妻栄子

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054897578930


【紹介文】

 都会の片隅で暮らすアラフォーのカップル。


 自作語りで恐縮なのですが、某自作に「BL」タグをつけるとき、つかの間ためらった記憶があります。自作には男性同士のわかりやすい"絡み"がないからです。やはり「BL」というタグをきっかけに作品を読む読者は、男性同士の惹かれ合いを、イチャイチャを求めているのではないか──。「BL」の後ろに「の境地には到底至らなかったため」というタグをつけたのは、私なりの読者に対する配慮なのです。

「BL」「GL」というタグを目にしたとき、あなたがその作品に抱くイメージ、期待する作風は一体如何様いかようなものでしょう。ストレスフリーのイチャイチャであれ、同性同士ゆえの葛藤やすれ違いをつぶさに描いたものであれ──やはり多くは"せっかくフィクションに触れるのだから"と美男美女を求めてしまう、"対岸の花見"を楽しむ気持ちで彼・彼女らが織りなす関係性を眺めていたいと思う部分があるように思います。

 本作は紹介文にもある通り、「都会の片隅で暮らすアラフォーのカップル」のお話であり、彼女らは確かに愛し合っているのでしょうが、奈緒美なおみには夫とお腹の子どもを亡くした過去があり、たまきとて離婚した夫に似た俳優を贔屓している一面(もっともこの部分は奈緒美の主観に基づく見方ではあるのですが)があります。


「アラフォーのカップル」である以前に、それぞれが一人の人間であることを切に訴えてくるのです。


「それも確かに正解だから、私はきちんと丸を付けた」の一文がやさしい。同時に曖昧さを受け容れる上で必要なのは、やさしさばかりでなく知性であるとも思うのです。

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