一人称小説の表現にアドバイスする前に思い出してほしいこと

 小説家になろうで活動していた大学生の頃、当時交流のあったユーザーさんと人物描写の話になりまして。最近読んだラノベのヒロインに関する描写が「美少女」の一言だけだった、チョイ役ならまだしも主要人物の描写ならもっと詳細にしてほしかった──的なことをその方はおっしゃっていたわけですが。当時はくだんの作品を読んだことがない以上あまり強くも云えなかったので、まあ云わんとしてることはわかるよ──ぐらいの無難な返事に留めておきました。


 ただ、内心ではそのとき主人公が置かれている状況──主人公のパーソナリティとか、語彙力を含む知識量とか、そのときのメンタルとか、そういうのを踏まえた上での「美少女」だったんじゃね? その一言でしか表現できなかったんじゃね? そこで脳死気味に詳細な描写を求めるのって何か違くね? と思ってた。


 この何の考えもなしに詳細な描写を求める姿勢止めときな──とまでは云わない。私はそれを云える立場にないし、そういうのを周りに強いることは視野狭窄の前触れだと思っているので。それこそ、趣味でやっているというのであればなおのこと。ただ、見ていて偶に「いや、それでええんか?」と思うところもあり。

 以前Askewさん(今日も今日とてしれっと名前を出してゆくスタイル)とTwitterで話していたのだけれど、たとえば他人の顔を見て会話ができない、ましてや異性なんてもってのほか──みたいな外向性よわよわ設定の主人公が、初対面のヒロインのビジュアル滅茶苦茶つぶさに語り出したら「オーイッ‼」ってならない? 

 そのあとでシャイな俺がまともに顔を見れるなんて、もしかしたらあの娘は俺にとって特別な存在なのかもみたいな補足があるんならいいけどさ、以降も他のキャラの髪質とか、輪郭とか、目つきとかまつ毛の長さに至るまでしれ~っと描いてあったら「設定ーッ‼ 設定はどこーッ⁉ 見えなーいッ‼」ってならない?


「何かとりあえず細かく描写しといたらええんやろ」みたいな考え──色々と軽んじてる感が透けて見えると「いや、別に止めようとは思わんけど──ええんか?」ってなってしまう。


 唐突に自作の話題をして恐縮なのだけれど、『安定限界』も『群青マイルド&ビター』もはっきり云って中高生の文体は全く意識していない。これはひとえに私の実力不足もある一方、故意にやってる部分も少なからずあって。作風から推測できる読者層から考えて、文体で彼らが中高生であることをアピールする重要性って低くね? 内容で中高生のマインド表現できてたらそれで良くね? というのが私の考え。もちろん異論は認める(自分で云うのもアレだが両作品は中高生陰キャが極めてかかりやすいバイアスについて結構よく書けていると思う。本当に自分で云うのもアレだが)。

 何も一人称小説の表現にアドバイスするな──と暴論かましているわけではない。


 ただ、その表現ってどうなのと指摘する前に、自分がそれを一人称小説としてきちんと読めているかどうかを考えてみませんかってこと。


 たとえば、主人公が役不足とか煮詰まるの誤用をしているのを見たとき、反射的に「はいそれ間違いですよー!」って指摘しちゃうのは、お前気持ちはわからんでもないけど想像力は足りてないよなってこと。

 で、書く側もそういう表現の指摘を受けてあっさり直しちゃう人いるけど(別に納得した上で直す分には一向に構わんけども)、主人公のこれまでを踏まえた上でぱっと見安易なその表現に落ち着いたのであれば──。これ以外考えられない、この表現こそジャストフィットだと思ってそれを配置したのであれば、そこはもうどっしり構えてていいんじゃねって思う。

 

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