感想さえあればという幻想【やる気スイッチを見つけよう】
ネタバレすると、外発的動機づけだけでモチベーションを維持するのって限界あるよねってお話。カクヨムでとにかく感想がほしい人たちが参加する企画あるじゃないですか。あなたの作品を読ませてください的なヤツとか、お互いに作品を読みあって、感想を交わして
もちろん感想を書くこと自体はすごく有意義だと思っていて。だからこそ、こんなエッセイ──もといおすすめ作品集を始めたわけですが(まあ、今回特に作品はおすすめしないわけですが)。その手の企画の詳細にどうにも気になる一文があって。引用すると思わぬところで火種になりそうなので意訳致しますと、感想をもらってやる気に繋げましょう──みたいな一文。
感想があれば、何かしらの反応があれば、とりあえずやる気が出ますみたいな云い回しだけど──マジで?
感想をもらったら嬉しい、ありがたいと思うのは至極当然のことで。何もその感情を否定しているつもりはないということをまず解ってほしい。ここで云いたいのは、感想は嬉しいしありがたくもある。だから、何かしらの反応さえあれば自分はやる気が出るんだ。モチベーションを維持できるんだって考え方は危うくないってこと。
もっと突っ込んだ云い方をすると(これはもはや執筆に限った話ではないけれど)、感想がもらえ続ければ、高評価がもらえ続ければ、フォロワーが増え続ければ、読者が増え続ければ、あなたのやる気は無尽蔵なのかって訊かれたら──イエスとは云えなくない? 実際それでやる気が出る分には一向に構わんよ。
ただ、所謂やる気スイッチが他者からの証明っていう外部にしかないのはつらくねってお話。
私が感想を書く、Twitterで他薦をしている背景には「ヘルパーズハイ」という目的があって。人間は他人に親切にすることでやる気が出る。「誰かの役に立った」と実感することで脳にドーパミンが分泌されるようになっている。
このとき、何もすっごい親切をする必要はなくて。自己犠牲にならない程度の親切で、脳が「何だよ自分余裕あるじゃん」って認識して、時間に対する焦りがなくなる。気持ちに余裕が生まれて、生産性もアップするっていう実験結果が出ている。
親切がやる気に繋がるっていうのは、何も私が優しいとかそういうパーソナリティの話ではなく、脳の仕組みの話であって。よほどサイコパス度が高いとか、そういうのでもない限り誰にでも起こり得る現象なの。人間は、そういうふうにできている。
私が他人の作品をそこそこ積極的に宣伝している理由のひとつはそれ。Twitter登録して間もない頃は、長文での感想ツイートが多めだったのだけれど、これ「小さな親切」の定義からちょっとずれてるよな、小さくはないよなって気付いて。宣伝ツイートにしても二言三言の感想だけに変更した。
そもそもツイートってすぐ流れるし、内容があまりに作者様向けだと何となく作者様当人しかふぁぼりつ(らぶりつ)しづらい空気になるから(だから偶に意図してコミカルな文面にすることもある。あんま功を奏してないけども)。長文感想ツイートに時間割くうま味って、現時点ではそんなないよなーって。
で、ここまで読んでこういう誤解をしている人、少なからずいるんじゃないかなーって思う。えっ、じゃあ、待てよ。それ目的で感想を書いている、宣伝しているのだとしたら、全てを親切で括っているのだとしたら、もしかして──作品そのものに別段魅力は感じていないのかみたいな。
「そんな──あのときくれた面白いは嘘だったのかよ。信じていたのに。畜生。畜生。ああ、いいぜ。やってやるよ。今こそ決別のときだ。姫乃只紫。お前を倒す‼」
みたいになるじゃん。こっちも大して事情呑み込めてないくせに「受けてたぁーつッ‼」とか弾みで返したくなるヤツじゃん。
念を押すけど、あくまで理由の一つだから。想像してみ? 科学の視点からSNSのデメリットについて触れてたような人間が内心つまらないと思ってる作品読んでたったの二言三言とはいえ感想つぶやいてるとか怖くない? それが事実だとしたら私このエッセイ(普通にエッセイって書いちゃってるよこの人)のタグにホラーってつけてるわ。「へぇー創作論・評論かー。えっ、ホラー? ホラー⁉」って思わず二度見するヤツじゃん。
私人生において一番大事なのは時間だと思ってるから。面白いと思ってるから時間注いでる。読んで感想書いたり宣伝したりしてる。その点はどうか理解して。
感想や高評価で気分アゲアゲになるのは普通のことだと思う。それを抑圧しろだなんてことを云いたいわけではない。他者からの証明に依存する姿勢をディスってるわけでもない。それディスってるってつまりは純度が低いって云ってるわけじゃん。お前範馬勇次郎かよってなるでしょ? 純度が低い(ゴメンもう一回書いてみたかっただけ)。
ただ、やる気スイッチがそこしかないのは心もとないから。
自分は何のためにこれを書いてるんだろう、何が自分を物書きという立場に繋ぎとめているんだろう、他者からの証明以外で自分が書くことに意味感(意味があるような感覚)を見出す瞬間ってどんなときだろう。たとえば──Twitterわかる人にしかわからない内容で恐縮なのだけれど、「RTした人の小説読みに行く」っていうヤツあるじゃない。それどんな気持ちでRTしたの? その人に自作を読んでもらって何を得たいと思ってるの? 自分の作品を読んでほしいっていう思いの根幹にあるのは何? そういうことだよ。
このやる気スイッチはさまざまだと思う。私みたく小さな親切にそれを見出す人もいれば、物書き同士の交流にそれを見出している人もいると思う。好きな作家の作品を読むとか、単に身体を動かすとかね。
スイッチを探す上で、感想をもらえたらどうして嬉しいんだろう、評価されたらどうして嬉しいんだろう、褒められて認められてどこに向かいたいんだろうみたいな。そういうところから考えてみるのもよいのではないかなーと思う。
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