段ボールおじさん

リュウ

第1話 段ボールおじさん

  2027年夏。

 街は、死んだようだった。コロナウイルスのせいで長時間の外出を制限され、世界崩壊やゾンビ映画の一シーンのような風景が広がっていた。

 地下鉄出口から横断歩道を二つ超え左に曲がるとレジャーホテル街がある。それが僕の仕事場だ。

 朝9時から翌朝9時までの24時間拘束で、二人一組での仕事だった。

 僕は、駐車場横のスタッフルームへ入った。エアーシャワーが終わると、店長の声がした。「OK、平熱だな」扉が開いた。

「おはようございまーす」

 壁一面にモニターが並んでいる。部屋の状況を表示するモニターが一つと、各階の廊下を映す数十個のモニターだ。店長が椅子に座ってモニターをにらみつけていた。

「六割減ってとこかな」銀縁の細いメガネの奥に見える目は、苛立っている。

「緊急事態宣言・・・・・・出ましたね」僕は店長の顔色を伺いながら言った。

「絶対来るね。ヘルマが客を捕まえてるから大丈夫さ」 

 2020年のコロナショックの後、売上を維持するために風俗に特化したアンドロイドを導入した。男女兼用なので店長が”ヘルマ”と命名した。

 ヘルマが得る個人を特定できる情報以外のデータを売って使用料を抑え、AIによる進化し続けるテクニックは、リピーターを手に入れる事が容易だった。

「後はよろしく」店長は、細かな字で売上をメモると部屋を後にした。

 僕は、モニターの前に座った。僕の仕事は、お客に注文品を届けるのと、ちゃんと請求し徴収すること。

「おはよ」ミキちゃんの出勤だ。今日の僕のパートナーだ。

「エアー、どうにかしてよ。髪がぐしゃぐしゃ」ご機嫌斜めなようだ。

「その髪型も僕は好きだよ」

「そういうところ、好きよ」機嫌が直ったようだ。

 ミキちゃんは、あどけなさと大人が入れ混じる不思議な娘だった。去年、入社してから、ずーっと気になっていた。

 今日のミキちゃんは、胸が隠れる長さのストレートヘアで、額が透けて見える前髪、四角いメガネが清楚で知的に見える。

 部屋の奥から、椅子をガラガラと引っ張ってきて、僕の横に来ると椅子の背を抱くようにまたがった。白いブラウスの襟の開いた胸元に視線を惹き付ける。 

 僕は胸元から目を逸らすので精一杯だった。

 そんな僕の心を見透かされているようだ。彼女は、僕の心理状態を見て楽しんでいるのだろうか、物語のアリスのように。僕は本能をひた隠して平静を装った。

「今日、おじさんが来るよ」彼女は、軽く椅子を左右に回しながら言った。

「おじさん?」僕は、モニターを見ながら訊いた。

「段ボールおじさん。みんなそう言ってる。201号よ」

「段ボール箱を抱えているおじさんでしょ」僕は、まだモニターを見ている。

「何が入ってるのかしら・・・・・・」

 僕は、頭の中は色んな想像が浮かんでいたが、言わなかった。

「ね、知ってる201号室って、お化け出るんだって」僕は話を逸らした。

「やだ、都市伝説ですか、私、怖いの嫌いです」

「そう、伝説ってヤツ」そう言いながら、彼女はモニターに目を向けた。

「噂をすれば……、来たわよ」

 段ボールを両手で持ったおじさんが、部屋の選択パネルに立っていた。

 状況モニターの201号室が、誘導中に変わった。

「次は、ヘルマ指名ね」と、ミキ。

 僕は、モニターでおじさんを追いかける。201号室に入ると電話が来た。

 受話器を置くと、彼女は僕の顔を覗き込んだ。そうだと、僕は頷いた。

「セーラー服だって、届けてくるよ」

「セーラー服、好きだよね」と笑いながら僕と席を変わった。

 僕は、階段で地下に降りると、真っすぐ衣裳部屋へ向かった。

 ぶら下がった衣装からMサイズのセーラー服を見つけるとそれを持って、アンドロイドの格納庫に向かう。壁のタッチパネルにヘルマの番号を入力すると、吊るされたヘルマが運ばれてくる。素っ裸で。

 僕は、ヘルマ身体をサイトチェックし。セーラーを着せる。

 いくらアンドロイドとはいえ、なんとなく変な感じだ。セーラー服を着せ終わると、ヘルマを起動させた。軽いモーター音。瞳がゆっくりを開く。僕はヘルマを正面から見詰めて命令する。

「ヘルマ、201号室だ」

「わかりました」ヘルマちゃんは、201号室に向かった。


 三時間後、僕は相変わらずスタッフルームでモニターを見詰めていた。

 部屋の選択パネルに女が一人立っている。女は電話を取った。僕は、ベルが鳴る前に電話を取った。

「フロントです。どうかされましたか?」

「201号室に呼ばれたの」年齢不詳の声だ。

「少々お待ちください」女は直ぐに動き出していた。

(ちっ、行きやがった!)

 僕は、201号室に電話を掛ける。三回目のコールで、やっと電話に出た。

「フロントです。お連れ様が着きましたので、お通ししていいですか?」

「……お連れ様……」というと、受話器を落とす音がした。

 モニターを見る。女はもうドアの前だ。ドアが勢いよく開いて、おじさんが飛び出してきた。女はドアにぶつかり仰向けに転んだ。

 おじさんが廊下を走って行く、エレベータ前、ボタンを押すでもエレベータは、9階だ。おじさんは、非常階段を降りる、女はおじさんを追いかける。

「何やってるの!デリヘルなんか呼ばないわよ!」

 ミキが、叫ぶとスタッフルームから出ていった。

 ホテル前のテレビモニターにミキが映っている。その横をおじさんが、走り抜ける。直ぐに女が追いかけるミキは女を止め様とするが、突き飛ばされた。

 二人は、ホテルを出て、前の路地を走って行く。

 あっと言う間に、女がおじさんに追いつくとバックから、何か取り出すと、おじさんに向けた。パン、パン、パンと乾いた音がホテル街に響き渡る。おじさんが倒れる。女は、ニ三秒、おじさんを見下ろし、走り去った。

 僕は警察に電話しようとしたが、電話のフックを押された。

「余計なことはしない・・・・・・ホテルの外の事件だし……」

 僕はミキの言葉に従った。こういう時は、女の方が肝が据わっている。おじさんの周りに人が集まって来ていた。

 僕は、201号室の掃除に向かった。

 暗い部屋を見渡す。部屋の中央にヘルマが立っていた。

 僕は、床に注意しながらベッドの枕元に向かい、 全照明ボタンを押す。

 ヘルマが停止状態になっている。

(ん?)足元に小さなカプセルが転がっている。僕はそっと手を伸ばした。

「触っちゃだめ!」ミキの声だった。僕は、ミキの顔を見上げた。

「そこを退いて、私がやるから。あなたは、誰もこないように見張っていて」

 ミキは、スマホのような端末とヘルマを繋ぐと、何やら操作をはじめた。

ヘルマの背中が開き、足元に落ちていたカプセルがビッチリと並んでいた。

そう、蟻の卵のようだ。ミキは段ボールから、厚さ三センチ程のA4サイズの箱を取り出した。その箱に小さなカプセルを入れて蓋を締めた。しばらくすると、画面に英数字が流れるように表示され、止まった。

「第9番コロナは、なかったわ」ミキは、唖然としている僕を見て言った。

「ああ、分からないわね。後で話すわ」

 段ボール箱から眩しい光が出ている、そこから手が出てきた。

(幽霊?これが201号室の幽霊……)

 僕は、ただ見つめるだけだ。金縛りのように体が動かない。

 ミキは卵の入った箱を段ボールから現れた人に渡した。そして、光が徐々に無くなっていく。僕は段ボールから目が離せなかった。

「掃除をお願い」ミキは、僕に気づいて言った。僕は慌てて掃除を続けた。

 ミキとスタッフルームに戻った。ミキに訊いても「後で」と言うだけだった。

 

 夜が明けようとしている。僕は、バックヤードでエレベーターを待っていた。

 なんとなく外を眺める。雲一つない青空が眩しい。

 朝帰りの男女がチラホラ見える。道端にハトが数羽歩き回っている。

 いつもの風景。変わらない風景。

 ふっと、この仕事に就いた日を思い出した。

 2020年の夏。

 ヒトに感染する7つ目のウイルスが流行った年。

 働き方が変わった年。

 資本主義の下層にいる僕は、やる気を無くしていた。

 生きるために仕事を探した。

 そして、ここを見付けた。この仕事の客は、無くならなかったから。

 たぶん、この先も無くならないだろう。

 あれから、なーんにも変わらないなぁ。

 昨日の出来事が、遥か昔のように感じる。

 ミキには、何一つ良いところを見せれなかったな。嫌われちゃったかな。

(あれ、ミキは9番目って言ってたな。今回は8番目のコロナなのに……)

 僕はエレベーターに乗った。


「ねぇ、起きて」

 その声で僕は目を覚ました。そこには、裸のミキが居た。

 鼓動がバクバクと音をたて、身体を震わせた。

「昨日の事、覚えてる?」

 勤務があけてから、ミキの車に乗ったところまでは覚えている。

 その後は、覚えていない。

 ミキは、仰向けの僕をまたいで馬乗りになった。僕は動こうとしたが、力が入らなかった。

「ゴメン、クスリを飲ませたから、動けないわ。

 あなたは、選択して貰わなければならないわ、簡単な二択。

 私たちの仲間になるか、死ぬかよ」

「私は、あなたが素敵な人だって知っているわ」

「十年後に九番目の厄介なウイルスが発生するの。私たちは検体と個人データを集めて、ウィルスキャリアーを特定して、ウイルスの発生を封じこめるの」

「ウィルスの発生は、人間同士の接触を制限する。

 精神的ダメージによって人々は、自滅してしまう」 

「……十年後?」

「私は未来からきたの、信じる?」ミキはからかうように言った。

「おじさんがやられたのは、封じ込めを辞めさせたい人がいるということ。

 あなたは、彼の代わり。私を助けて……どうする?」

 どっちを選んでも選ばなくても、僕は死ぬことになる。

「君になら、殺されてもいいけどね」僕は、ミキを見詰めて言った。

(本当に?)とミキが笑う。

「仲間になるよ」

 ミキは私を包み込むように抱いた。私の頬は、柔らかいミキの胸に押し付けられた。ずっとこのままで居たかった。

 僕は、分かっているんだ。ただ生きていても、何もいいことは無いって。

 ミキと一緒に生きる事が僕には必要なんだ。

 

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段ボールおじさん リュウ @ryu_labo

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