★み、水も言も巡れと言う夢幻話 第五話


「それにしても、朧者がわざわざこんれいの列を襲いに現れるのか」

 枝にして焼いた兎肉を食べながら、栖伊が深刻な口調でつぶやく。

「命がく春の季節になら、多少は朧者が増加する。でもいまは七の月だろう? この時期に、集落に近い位置に群れをなして現れるのはめずらしいことだ」

 八重は兄弟を順番に見て、兎の肉をあぶりながら口を開く。

「失礼な質問をするけれども……二人とも、程度は違えど奇現にかかっていたんだよね?」

「こっちの世へ流れてきて、自由になったばかりのころはな。でもせきふうじられてからは、奇現よりも、身のうちにわく恨みが生んだけがれのほうが、俺にはきつかった」と、たんたんとした口調で答えたのは亜雷で、そんな彼を栖伊は尊敬のまなしで見ている。

「兄様は自分に『亜雷』と新たな名を付けることで、奇現のしようじようやしたんだ。おれにも同じように名付けて止めてくれた」

「な、なるほど……」

 八重は少し考えた。

(亜雷の一部を、私が『黒葦』と名付けて呼んでいたことは、どうなるんだろう)

 それはひょっとして、亜雷にあまりよくないえいきようあたえていたのではないか。とうとつにそのことに気づき、八重はおそる恐る亜雷のほうをうかがった。

「だが、兄様が封じられ、おれもまた同じ目にった。おれのほうが、失意が強かったせいかな、あっという間に奇現が再発したようだ。今度は、もうはらい切れないだろう」

 名付けの効力がせた、という意味だろうか。

 自分の死をえながらも、栖伊の表情はおだやかだ。いや、あきらめているだけにすぎない。

「できれば早めに、兄様に殺してほしい。朧者には変わりたくない。変形する以上に、かみになるのがいやだ。おれは神通力が強いほうだから、自我を失って朧者になればかなりのたいやくをばらまくようになるだろう」

 大厄という言葉の不気味さに、八重はぞわりとした。

「朧者だっていずれは野にかえるけれど、神通力の強さが死を迎えるまでの期間を長引かせるにちがいないよ。そうなったら、その間におれはきっと堕つ神あつかいされるんだ」

 堕つ神と呼ばれ続ければ、言葉に力が乗って、本当にその存在に成り果てる。

 基本的には、人々が朧者に厄、恐れ、恨みなどの意味を付加させたものが堕つ神だ。だからさいもよおし、封じる。ただしこの世界における人々の、神々やもののろいに対する定義がひどくあいまいなため、前身が朧者でなくとも、たいをもたらす存在はみなまとめて堕つ神扱いされる。

(定義が曖昧っていうより……世界全体がまだ整っていないっていうか)

 だからこそ、『名付け』こうに重い意味が生まれる。名付けの重要さをようやく人々がにんしきし始めたというところだ。

「……これ、最後のばんさんかな?」

 と、栖伊がまったく笑えないじようだんを言った。

「俺は、おまえを殺すためにこいつを連れてきたんじゃねえわ」

 亜雷は、しんみりした空気を無視し、兎肉を刺していた枝のせんたんを八重に向けた。

「この女は無性だからそもそも奇現に罹らねえって理由もあるが。おどろくほどたましいがつるりと丸い。しかもうろだ」

 二人のえんりよな視線に晒され、八重はびくりとした。

「洞児は生じたばかりの頃なら、いまの八重と同じように魂がかんぺきに丸い。こちらの世界に染まるにつれ環性が現れて、多少なりとも魂が変形するもんだが、こいつにはそれがない。そのせいで無性のままだ」

 亜雷の説明を聞いて、八重は考え込む。それは前の生のおくを保持していることと関係がある気がする。魂に、新たな自我が芽生えるスペースがないのだ、きっと。

「おそらく八重は無意識の中で、『奇現なんぞありえない、罹るわけがない』と思っている。環性についても『なんだそれ、変なの』っていう認識なんだ」

「まさかいま、私のこえ真似まねをした? 私そんなゆるい声?」

 引く八重には取り合わず、亜雷は真面目まじめな顔でぽいと枝をほうり投げる。

「だからこっちの世にある、すべての病にかんせんしない。……いや、八重が『ありえない』と感じる病のすべてに、か。俺は、もしかしたら八重の魂に刻まれているその感覚が、栖伊の奇現も治せるんじゃないかと思っている」

「……はっ!? 私が? 私、ちょっと名付けができるだけで、医者じゃないんだけど」

「医者も生まれたときから医者じゃねえだろうに」

 とんでもないくつろうされた。

「私が無意識に全否定しているから、それがめんえきの役割を果たしているって意味? その免疫が、ほかの人にも効果を発揮する可能性があるということ?」

 混乱しながら八重が口早に尋ねると、亜雷は微笑ほほえんだ。

「おまえは理解が早い」

 八重にとって、その言葉はあまりしようさんにはならない。便利な存在、というマイナスイメージにつながる。

「でもその理屈だと、私が一度奇現を受け入れたら、免疫も消失するってことにならない?」

「ならない。おまえはとっくに、頭では奇現が存在することを認めているだろ」

 亜雷は断言した。

「俺が言っているのは、魂の在り方だ。本能と言いえてもかまわねえ。それがこちらの世にある変形を寄せ付けない。後天的な知識が、先天的な感覚にかなうわけがないんだよ」

 言い負かされて、八重は息をめた。

(やっぱり私が前の人生を忘れていないことが関係しているんだ)

 発熱や頭痛などなら前の世界でも体験した。でも奇現という病は存在しなかった。八重の魂はいまだ前の世の色をしているために、奇現に染まらない、存在しないものに左右されるわけがない、ということなのだろう。

ためしに八重、栖伊にれてみろ」

「触れる? ……って?」

 けいかいする八重から栖伊へと亜雷は視線を動かし、「栖伊、げ」とあごで示した。

 栖伊はいくぶんしぶったが、再度亜雷にかされて、諦めたようにはだの前を開く。

 八重はどうようしながらもつい気になって彼の胸部をちらちらと見た。その後、恥じらいを忘れてぎようする。ほうを借りたときにもちらっと見たが、彼の胸にはやはり異変が現れていた。

「奇現がぞうまでしんとうしている……」

 八重の独白に、栖伊はしようする。

「だから、もうおれは長くないんだよ。ここまで症状が出てしまったら治せない」

 そう言って栖伊は、ふたでも開けるかのように、黒ずんだ胸部のをばりばりと開いた。

 八重はいつしゆん、ひっとけ反ったが、

「これは──」

 と、すぐに彼の胸部から目をはなせなくなった。

 たとえば風邪かぜや頭痛にも種類があるように、奇現もまたいくつかのケースに区別される。

 自我をなくして朧者となるときもあれば、ろうすいの果てに罹るときもある。老衰による発病は『かん』とも呼ばれ、見た目が変わってきよだい化しても暴れない場合が多い。

 死に至るまでの流れは違っても、最終的にどうなるか、という点においては変わらない。

 こちらの者たちの死とは、独特だ。

 きた命は、自然に還る。肉体は変形し、ふくれ上がり、血肉がけ出す。やがて骨は石木化し、そこにちゆうがわくようになる。奇現に罹った肉体のみに寄生するむしだ。

 まれに、先に蟲がたかったり、血肉が失われるパターンもある。

 ──目の前の栖伊もまた、すでに病の重さを示す症状が身に現れ始めていた。

 腹部の血肉がごっそりと失われ、骨が見えている。

 その骨がまるでび付いているかのように変化している。臓器のほうは石化と縮小が見られた。骨には小さな尸蟲がびっしりと張り付いていた。

 蟲といっても、いわゆる「こんちゆう」の形態とは異なる。たとえるなら、まゆだ。こうたくがあるため、純白というよりは白金に近い。サイズは小指のつめ程度で、一部がうっすらとすいてきのようにき通っている。こうすればするほどとうめいさを増し、白金の色に近づく。

(こんなふうになっていたのか……)

 奇現におかされた者の体内を間近で観察するのはこれがはじめてだ。正直なところ、もっとグロテスクな状態をかくしていたので、意外と平気なながめに八重はまどった。少し不気味だが、それ以上になんだか箱庭の森的な、静かなふんがある。臓器のほうも赤茶色の石が詰め込まれているような感じなので、人体という印象がうすい。

「い、痛み、とかは……?」

 八重は細い声でたずねた。

「もうないよ」

 栖伊は困ったように答えると、枝化しつつある胸骨に指をわせた。

「私がさわってもだいじよう?」

「いいけど──やめたほうが……いくら八重が無性でも、直接触ればかんせんする恐れがあるよ」

 ひかえめにづかってくれる栖伊に、八重は曖昧に笑う。

(さっき亜雷が予想していた話、正しいかもしれない)

 理性の部分では、奇現という病気を認めている。が、感覚の部分では、「やっぱりありえないわ。私の知る病気じゃない。ほうっぽい」という感想のほうが先に立つ。

 八重は繭を、つんとつついた。あっ、と栖伊が動揺した声を上げる。

 何度か八重が繭をいじると、骨にからみ付いていた糸が切れて、ころっと外れてしまった。

 八重は手のひらに転がってきた繭を、つい指でんだ。かたいのかと思えば、ふにふにしていて、なんだかグミのようだ。その思いがけないかんしよくに驚き、とっさに指を離してしまう。

 落下した繭は、触ったときはやわらかだったはずなのに、地面の小石にしようとつした瞬間、こんっという硬い音を立てた。

 おそる恐る拾い上げてみて、八重は再び驚く。つまんだところがへこんで、ややビーンズ形になっていたが、骨から外れたことが原因か、繭は完全に硬化していた。

(本当に白金のかたまりみたいだ)

 このままほうしよくひんにできそうな美しさがある。どういうことなのかと静かに混乱する八重の手から、亜雷がその繭を取り上げる。

「兄様、感染する!」

 あわてる栖伊に、亜雷は目を向けることなく言う。

「いや、もう心配ない……完全に金属に変化している」

 その後、短いちんもくが流れた。

 骨に寄生した尸蟲は後、どこかへ消えると聞くが、草木に生命力を復活させる力があるとも言われている。確かに朧者が野にかえった一帯は、大地の力がせいする。それがめぐみに変わり、人々の生活を支えてきたといっても過言ではない。

 だが尸蟲が、こんなふうに金属化するとは聞いたことがない。

「さあ、俺の弟を手当てしろよ、八重先生」

 顔を上げた亜雷がすこぶるてきがおを見せていった。

 八重はあつに取られた。まさかここで彼にも先生呼ばわりされるとは思わなかった。

 できるわけがない──と言いかけて、栖伊が見つめていることに八重は気づく。栖伊の、あきらめかけていたおだやかなひとみに少しだけ期待のかがやきがかんでいたが、八重の表情を見ると、彼は困ったようにまぶたせた。

「……いや、無理はしなくていい。おれは死んだってかまわない」

 その言葉は、八重には「死にたくない」と聞こえた。

 死にたくない。生きたい。

 身体からだの奥底からほとばしるような、そういう強い感情を八重はすでに知っている。

「や、やりますよ。やりますとも。奇現専門の医師とは私のことだ」

 八重は、自棄やけになってさけんだ。視界のはしに、小さく笑う亜雷の姿が映った。



続きは本編でお楽しみください。

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かくりよ神獣紀 異世界で、神様のお医者さんはじめます。 糸森環/角川ビーンズ文庫 @beans

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