★み、水も言も巡れと言う夢幻話 第四話


◆◆◆◆◆◆◆


 栖伊からありがたく袍を借りたのち、泉が見える場所で火を熾していると、亜雷は「すぐに戻る」と説明になっていない説明を残して木々の奥へと消えた。

 どうせならかわぐつも乾かそうと、八重はひもを外し、それも火の横に置く。衣もくつも一時間あればほぼ乾くだろう。

 八重と栖伊はたきから少しはなれたところに立つ古木の根元に移動し、そこで休息を取ることにした。夏でもふもとより空気がひんやりしているとはいえ、さすがに火の前は熱い。

 地面から飛び出ている根の上でひざかかえ、八重は一息つく。そばに座っている栖伊はかさのように広がる枝葉をあおぎ、れ日に目を細めていた。

 その様子につられて八重も頭上を見る。時折通りける風が葉をさわがせた。快い波音を思わせる葉のざわめきにしばらく耳をかたむけたのち、再び栖伊のほうへ視線を動かす。

(これから、どうしようかなあ)

 木漏れ日にいろどられている栖伊の姿を見つめながら、八重はぼんやりと考える。日の位置を見るに、朧者との遭遇から数時間は経過している。

 それならすでに美冶部、花耆部の両方に、八重たちの行列が朧者にしゆうげきされたという知らせが入っているだろう。その際に八重が行方ゆくえ不明になったことも伝えられたはずだ。

 今後のことを考えるだけでおつくうになり、八重はいきを押し殺した。

 一息ついたことで、いままで意識の外にあったろうかんも急に押し寄せてくる。まぶたも重い。

 皮肉な話だと八重は思う。他人の負担にならないよう、輪の中からはじき出されないよう、真面目まじめに生きてきたのに、すべて失う結果になっている。

 じゃあいままでの努力やまんは全部だったのだろうか。

 ──努力しているから、我慢しているから私に振り向いて。「ここにいていい」ではなくて「いてほしい」という一言がほしい。その求めすぎる重い心が無意識に強くにじんでいたのか。

(なにもかもむくわれるはずはないって、わかっているつもりだったんだけれどなあ)

 なんだか自分の存在がすごく見苦しく感じる。そう気づいたことが、なによりつらい。

(あーだめだ。ネガティブになっているときに考えすぎると、ろくなことにならない)

 八重がこめかみを押したとき、栖伊がこちらを向いて、思いがけずしんけんな表情をかべた。

「なあ、八重の着ていた衣は、はなよめが身にまとうしようのひとつのような気がするが……」

 できればこのままほうむりたかった話題をストレートで持ち出され、八重は抱えていた膝にがっくりと顔を押し付けた。

「もしかして兄様にとついだのか? にえてきに」

「贄的て」

 なにを真顔で問うのかと思いきや……と、八重は栖伊の発想のとつさに引いたが、そういえば亜雷が先ほど自分たちの出会いについてを説明していたのだ。八重の身はさいほうじられたもつだと思われてもおかしくはない。

「違う。……でも、なぜか亜雷は私に恩義……真っ先に殺されかけたけれども、たぶん恩義……? らしきものを感じたみたいで、れいじゆうすると言ってくる。本当にかしずいてもらいたいわけじゃないから、好きに生きてほしいんだけど」

 あなたの兄様の暴走をとめてほしいという思いで八重がぼそぼそと申し立てると、栖伊は少し考えるりを見せてから、にこりとした。裏のないみに、八重は毒気を抜かれる。

「兄様の考えは兄様にしかわからない。だがおれもおまえには恩義を感じている。兄様がおまえに従うのなら、おれもやはりひざまずこう。……といっても、おれはいつまた正気をなくすかわからない役立たずだが」

 そのおだやかな表情とぎやくめいた発言の落差に、八重はまどった。

「それで、花嫁衣装のひとつを着用していたのはなぜだ? だれかに嫁ぐところだったのか?」

 八重はまゆを下げた。思いもよらぬ出来事が連続し、八重自身もまだ完全には心の整理がついていない。

「一応は、嫁ぐ予定があったんだけど……私だけじゃなくてほかの女性もいつしよにね」

「集団けつこんか? ……もしかして八重の暮らす部は、他の部にじゆうりんされたのか?」

 心配そうに問う栖伊に、八重は慌てて否定した。

「違う違う。同性婚のしすぎで、嫁ぐ側の部に問題が出たんだよ。奇現が増加したんだって。うちの部も環性のかたよりを解決するために、他の性の血を入れたいって話になったんだ。それで、たがいの部から十人ずつ民をこうかんするんだよ。こっちは女性を送って、あっちからは男性ね」

「ふーん……? 同性婚のり返しで環性が偏るというのはわかるけど、げんの増加にも関係があるのか? だまされていないか、それ?」

 栖伊が疑わしげにつぶやいて、あごに指を当てる。

「本当に相手の部から圧力をかけられたわけじゃないよ。……そういえば、平原の多い国ではしんりやくによる集団結婚が多いんだっけ? 亥雲いずもは山地の国だから、もともと部同士の結束があまり強くないんだよね……。せいぜい商人が物を売りに来るくらいで」

 九十九つづらりの険しい地形が自然のたてとなり、部同士の争いを減らしている。だが利点ばかりではない。行き来のしにくさが原因で、よそと交流が絶えてりつする部も多く、人口の減少問題などになやまされるはめになる。

「私や女性たちは、むかえに来てくれた夫候補と、そっちの部へ移動するところだったんだけれど、ちゆうで朧者におそわれて、その──みんなとはぐれたんだよ」

 わずかなプライドが邪魔をして、置き去りにされた事実をはっきりと口に出せない。

 だが、八重の表情とふんで、そのときになにがあったかを栖伊は正確に察したようだ。

「それは災難だった。だがそのことで八重が心を痛める必要はないよ。花嫁を守れぬなんじやくな男のもとに嫁がずにすんでよかったと、喜べばいい。夫なら死しても妻を守るものだ」

 彼は本当に亜雷の弟なのか。づかあふれるなぐさめが胸にしみる。

「いや、私は……亜雷が言った通り無性だよ。私の部はごん性に偏っていて、嫁ぐ予定の部は荒魂のたみで形成されていた。私以外の女性たちは皆、和魂の環性だもの。荒魂の彼らが彼女たちの安全を優先するのは本能のようなものだってわかってる」

 八重はだいずかしくなって、つい言わずともいいことを口にした。先ほどは誰かにこうていされたいと思っていたのに、実際に望んでいた言葉を差し出されるとおびえてしまう。

「だから八重がせいになるのはしかたがない? おれはそうは思わないが……まあ、その男たちにとってはそうなのかもしれないな」

 八重のけいはくなごまかしにも栖伊は真剣に答える。──真剣だったからこそ、美冶部の男がとった行動を栖伊が否定しなかったことに、八重は胸がざわめいた。

 先に彼らをかばうような言い方をしたのは八重のほうなのにだ。

(私は、私を見捨てた彼らを本音では批判してほしくて、わざと反対の言葉を口にしたのか)

 自分は物わかりのいい顔、かんようさを見せておきながら、栖伊には逆の反応を求めている。

 でもそこで、期待した反応を得られなかったため、がっかりしたのだ。

 そんなきような自分に八重は苦痛を感じた。

「だが、八重が自分の価値はこの程度だと決め付けているのなら、まわりもいずれ流されて、そう思うようになる。八重は、それでいいのか」

 栖伊が厳しくも、なだめるようにも聞こえるこわで言う。

「……よ、よくない……!」

 八重は、つっかえながら答えた。

「なら八重だって、他の女性のように優先されていい。そうだろう?」

 かろやかに言われて、八重はぎゅっと口を引き結ぶ。

 現実的に八重は美冶部のたみに切り捨てられている。そこはもう起きてしまったことであり、いまさら変えられはしない。だが栖伊は八重がそのときに感じたやるせなさを、美冶部の男たちの考えも飲み込んだ上で認めてくれている。

 八重がずっとほしかったのは、こういう肯定ではなかったか。

「……栖伊も、役立たずじゃないよ。すぐに正気をなくしたとしても……、いい」

 八重は感謝を伝える代わりに、栖伊から目をらしてぼそぼそと言った。

「そうかな。……八重はわかりやすくて、いとおしい子だなあ」

「はあっ!? 愛おしいって……!」

 ぎょっとすると、なにか変なことを言ったかというように栖伊は目を丸くする。

(あぁわかった、神様目線かあ!)

 八重は、あせってしまった自分を恥じると同時に、栖伊の言いたいことをあくした。短い命をせいいつぱい燃やして生きる愛しい有情の者たちよ、みたいな高みからの価値観による発言だろう。

 いつしゆん期待してしまったじゃないか……と少しばかりうらめしくなったが、冷えていた胸に熱がともったような気もする。

「──なあ、兄様ならどうする?」

 ふと栖伊が顔をななめに向けて、楽しげにたずねた。

 はっとしてそちらに視線を投げれば、両手に灰色の毛のうさぎすうひきぶら下げた亜雷が古木の根に足をかけて八重たちを見下ろしていた。いつもどってきたのだろう。

「なにがだよ?」

 眉をひそめる亜雷に、栖伊が笑いかける。亜雷の上にもれ日が等しく降り注いでいる。

「妻を置き去りにしてげる夫に、なんていう言葉をかける?」

「死にさらなんじやくろう

 それ以外にあるのか、とけん丸出しの表情で言い捨てて、亜雷はたきのほうへ行ってしまった。そこでさくさくと兎をさばく。

 栖伊は声を上げて笑った。

「兄様は過激だな」

「……栖伊なら、なんて言う?」

 小声で尋ねると、栖伊はたくらむような表情を浮かべた。

「おれは、争い事はきらいだが……、はらわたを見せろ、かな」

 この二人がまぎれもなく兄弟であることを実感した瞬間だった。

 どちらも同じくらい過激だ。そう引きつつも、先ほどまでの苦しい気持ちはいつの間にか八重の胸から消えていた。

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