★み、水も言も巡れと言う夢幻話 第三話


「なんで、黒葦様の姿のときは助けてくれたのに、せきから解放した直後は私を殺そうとしたの」

 考えられるのは、「本体が解放されたので、八重の存在が用無しになった」という説だ。──ちがっていてほしい、と八重は、黒太刀をでながら心の中でいのった。

「……結局、殺せなかっただろ」

 亜雷の答えは、八重の望むものではなかった。いま亜雷がどんな顔をしているのか、とても確かめられない。

「だいたいな、八重は毎年俺に向かってまつろえ服えと唱え続けてきたじゃねえか。なら八重は俺に対して責任がある」

 八重はぎょっとした。

 思わず亜雷をれば、彼は人の悪いみをかべていた。

 まだ亜雷は、八重に少しも心を開いていない。なにか理由があるからこうしてとなりにいるだけだとわかる冷めたまなしだ。

あめつちよ、俺に身をささげるから、たとえはなればなれになろうとも我の意のままに、永遠に永遠にひざまずけ。そう何年も俺に向かって八重は望み続けた。いいさ、その望みをかなえてやろうじゃねえか。ああも情熱的に俺がほしいのだと言われたらな!」

「違う、そんなつもりじゃない」

 八重の反論には耳を貸さず、亜雷は腕をばして黒太刀をつかみ取ると、身軽に立ち上がった。あせる八重を冷然と見下ろす。

「知るか。俺をたぶらかした八重が悪い。──さあ、弟を起こすか」

 勝手に会話をち切って、亜雷がさやから刀身を引きく。

 言い訳の言葉を並べようとしていた八重は、黒い刀身の輝きを見て、口をつぐんだ。

(休息目的じゃなくて、はじめから弟のためにこの泉に来たのか)

 亜雷は、太刀を両手でかまえると、見えない敵でも斬るかのように水面に向かってぶんっと勢いよく振り下ろした。

 ──たん、景色が変化した。

 いや、場所自体は変わっていない。

 しかし、泉はれていた。まるで月のクレーターのような、かわいた地面がき出しになっている。八重と亜雷は空になった泉にかる橋のようなとうぼくの上にいて、そこは変化する前と同じだった。

 周囲は、青いやみに包まれている。れ日も、鳥の声も、草花の上をちようも消えている。

 さい時と似たじようきようだ。指一本分、次元がズレたような世界に八重たちは迷い込んでいる。

「八重、この中に弟がいる」

 亜雷は、クレーターのような泉の底を指差した。あちこちに、ビスマスけつしようめいたがくてきな形の鉱物のかたまりが転がっていた。こうたくのある神秘的な青色がほとんどで、角度によってはみようにじいろを見せていた。

 大きさも形も様々だったが、それらの中にすべて、こんちゆうや魚、動物の骨らしきものが入っている。虫入りのはくのようだと八重は思った。

「このどれかが、弟さん……?」

 美しい形の──それこそ花耆部の段々畑のような形をなす鉱物群を見つめながら八重がたずねると、亜雷はうなずいた。八重をきかかえて、クレーターめいた泉の底にとんと飛び降りる。

 鉱物は、八重のたけほどの塊もあれば、一メートルもないものまで色々だった。

「そら、八重。まわれ」

 つやめく青にれていた八重は、亜雷に背を押されて軽くつんのめった。

「廻れって……」

「奇祭と変わらねえ。やれ」

 簡単にそう言われても、どんな歌を歌って廻るのが相応ふさわしいのか。

「弟は奇現におかされて変形が進んでいると言ったろ。その上、ふういんされている。だから、まずは解放するためにたたき起こせ。いっそ首をち取ってやるってくらいの過激なしゆを投げ付けてやれよ」

 亜雷が胸を張って言う。

(弟さんを討ち取ってどうするんだ……)

 八重は何度も亜雷のほうをり返りつつ、古代のせきをも思わせる幾何学的な形状の鉱物の間をおずおずと進んだ。そこで、適当に目に付いた細長い棒──これも銀色がかった美しい青をしていた──を手に取って、しばらくもつこうする。

「はよしろ。いつまでも神通力で大気をゆがませられねえ」

 亜雷が背後からさいそくする。

 なるほど、奇祭のような場を作り出して、呪が乗りやすくしたようだが──。

(ええい、わからない。なるようになれ)

 八重は、手に持っていた棒を祭具に見立てて、かかげ持った。

 奇祭〈廻坂廻り〉のほかにも八重はよく使者の役目を任される。無性は病にかかりにくく、またしようにもたいせいがあるからだ。そうしてけ負った奇祭の中に、『廻る』系統のものがいくつか存在する。

「ひー ふー みー よー」

 唱えた文字の数だけ、おおまたで歩を進める。

「いー むー なー やー こー とー」

 そうして、鉱物の間をゆく。

「えー りー うー ちー いー かー けー よー」

 基本的にこの世界の奇祭は大半がじやれいたぐいをはらうものだ。

「ひふみよいむなこと り討ちいかけよ」

 八重がいま唱えているのは〈ひふみいかく〉という奇祭でうたう呪だ。しき存在を呪でもってしずめ、討ち取る。

「日み夜 む名や 言選り 打ちけよ」

 唱えていると、鉱物の中の虫や魚、動物の骨がわずかに動き始めた。

(あぁ、出てくる)

 鉱物から飛び出てきた大きな蜻蛉とんぼが星のように青くかがやき、羽をふるわせて宙を舞った。続いて魚が飛び出し、八重のまわりを泳ぐ。次に山羊やぎの骨がかろやかに飛び出て、宙をけていった。美しく、それでいて不気味さも感じさせるながめだった。はちが、飛蝗ばつたが、さめが、わにが、馬が、鳥が──輝く生き物たちが、音もなく青闇の中を駆けめぐる。

「ひふみよ いむな やこと ひふみ よいむ なやこと」

 廻れば、呪も巡る。

 そのうち、ずれて、くずれていく。

 言葉の順が組みえられる。

「いむことひとうちとり よみやかえりこむ かけうたなり……」

 唱えるうちに、知らず新たな呪が浮かぶのだ。

「忌むことひと討ち取り みや帰りこむ うたなり

 亜雷の望むように、首を討ち取るかのような過激な歌で、ねむれるたましいを叩き起こす。ひたすら呪を舌に乗せて、八重は鉱物の柱の間を練り歩く。

 ──そうして、気がつけば星のように輝く生き物たちは彼方かなたへ消え、八重の前に四つ足のけものの骨だけが残っていた。

「事うけう 答えよ」

 組み替えられた言葉が、勝手に八重の口から飛び出す。その直後、骨の獣はきらめきを放ちながら血肉を得た。白銀の毛を持つとらだった。

 色合いは異なるが、亜雷が綺獣化したときとよく似ている。しまよううすめで、とても神秘的だ。額の毛の模様がぼんのように読める。銀色の目の周りには黒っぽいくまりもあった。

「──ああ、ありがとう。おれは栖伊。かつての本質の名はもうたまからけずられてしまって、あにさまに、この地で新たにそう名付けられた。それさえも失いかけていたとは……」

 びやつが最後の煌めきをぶるぶると頭を振ってはらい落とし、そう言った。

つうに返事をして問題ないのかこれ)

 その判断を亜雷にしてもらおうと振り向いたとき、奇祭の場がもとの正常な状態にもどった。

「ええっ!? ……ごほっ」

 ──戻れば当然、泉の水も復活する。

 一気に身体からだが水に包まれてパニックにおちいる八重のこしおびを、白虎がくわえた。もがく八重をごういんに連れて、水面へと駆け上がる。

 ざぱっと飛び出して、白虎は八重ごと泉のふちへと降り立った。き込む八重を、耳をせて心配そうにのぞき込んでくる。

 どうやら一人でさっさと泉の縁になんしていた亜雷がこちらへ近づき、八重が掴んだまま忘れていた棒をうばい取った。それはいつの間にか、ひとりのしろ太刀たちに変わっていた。カラーが異なるだけで、鞘のふんは亜雷の黒太刀とよく似ていた。

「八重、どうだ? 弟の魂は無事か?」

 ようやく息を整えたびしょれの八重を案ずることもなく、亜雷がせわしない調子で尋ねる。

(私のあつかい……)

 八重はかたを落としながらも、両手の指で窓を作った。

 そして指のまどしに、栖伊と名乗った白虎の姿を映す。これは簡単なまじないで、真実の姿が窓に映る。べつのなにかに変じた化け物を見分けるときの初歩的なものだ。

 窓に映ったのは、肩につきそうな長さの銀髪の男だった。ひとみは、かした雪のようなんだ銀色。こうさいかぶ環紋は、五つ星そっくりだ。

 体格は、亜雷とほぼ同じ。こちらの彼のほうがじやつかんせいかんな顔つきをしているだろうか。そのおかげで少々あつてきな雰囲気も感じるが、浮かべている表情はやわらかい。

 着用のしようぞくも亜雷といろちがいだが、彼のほうはてんがなかった。

「どうかな。おれの魂は変形していないか?」

 ぎんぱつの男……栖伊が楽しそうに、けれどもかすかな不安をにおわせて八重に問う。

 八重は指の窓をずらし、直接栖伊を見た。そこにいた白虎がひげをそよがせて、指の窓から見た青年の姿へと変身した。

「……だいじようです。魂は歪んでいないよ」

「そう。それはよかった」

 栖伊がみを深める。

「間に合ったか」

 亜雷もうれしそうにくちびるほころばせて、先ほど八重から奪った白太刀を栖伊にわたした。これはどうやら栖伊の所持品らしい。

「おまえは八重というのかな?」

 栖伊が、八重と亜雷を順に見て、やさしく尋ねる。

「八重のおかげで、おれはこうして一時、正気を取り戻すことができた。感謝する」

「いえ、そんな。私は亜雷にたのまれただけだよ」

 あたたかな目で栖伊に見つめられ、八重はまどう。

(え、優しい。亜雷の弟とは思えない)

 この虎兄弟は、顔立ちと性格が逆だ。一見おんだけれど実際はあらっぽいのが亜雷で、りんとした顔つきだがどこかおっとりしているのが栖伊。

「……あの、『一時』って、どういう意味?」

 八重が疑問を口にすると、栖伊は目を伏せて微笑ほほえんだ。

「おれはたぶん、もうおくれだ。一度の呪いではこの身の奇現をとめられないよ。またすぐに正気を失うだろう。……そうなったらだれであろうとおそってしまう。……兄様に会えたのは嬉しいが、一刻も早くげたほうがいい」

 栖伊は悲しげに説明すると、げんそうな顔つきになった亜雷を見た。

「先にふうじられたのは兄様のはずだが──八重が兄様を解放してくれたのか?」

 彼の問いに答えたのは、亜雷だ。

「俺は『奇祭』の対象にされて、毎年こいつにじゆを投げ付けられていたんだよ」

「呪歌? ……祝い歌ではなくてか?」

 いぶかしげに首をひねる栖伊へ、亜雷が皮肉な笑みを見せる。

「違う、呪歌だ。それも服従を強要する力強い歌だ」

 そこで兄弟は同時に八重を見た。なにを考えているのか、二人の表情からは読み取れない。

「いや、あの。呪歌と言われても。私はただ、奇祭の使いに選ばれて、そこで教えられた歌を口にしていただけだから、決して亜雷を服従させるつもりは……。そもそもどんな意味を持つ奇祭なのかもよくわかっていなかった気がする」

 張りつめた空気にえられなくなって八重がしどろもどろに弁明すると、二人は同時に息をき、しようした。

「……まあともかく、こいつが『従え従え』とうるさくうつたえてくるだろ? 弱い人間のくせに俺をしもべにしたいとは、いったい何様なのかと腹が立った。しかも常磐ときわ堅磐かきわの約定を望んでやがる。ごうまんにもほどがある」

 もっさりしたまえがみの間から覗く亜雷の目は、かげになっているせいか、少しにごって見えた。

 重みを感じるそのまなしと、たったいま吐き出された言葉の意味に、八重はされる。

(あれ。亜雷が私にけんり下ろそうとした理由が、ちょっとわかったかもしれない。かいざかまわりという奇祭の始まりも、亜雷とびひん様のふういんがきっかけなんだよね……?)

 実際、この奇祭は百年近く前から始まっていると聞く。もしも亜雷が本当に神仏のたぐいの存在なら、下位の立場の人間から毎年しつこく『永遠に服従しろよ』と強要されれば当然、腹も立つ。しかも封印された事情が事情だ。

 八重に、亜雷を従属させるつもりはじんもなかったが、無知は罪とも言う。

「だが八重の呪歌が結果的に俺の身から少しずつおりを落とし、奇現の進行をとめた」

 亜雷は身をかがめると、ふと雰囲気を変え、しげしげと八重の濡れた髪を見つめた。……どうせわかめっぽいとか思っているに違いない。

「ああ、何度も八重に求められることで、存在がはっきりして、清められたわけか……」

 なるほどというように栖伊がうなずく。

「八重はどうも変わった魂を持っているようだね。たとえ一時にすぎずとも、ちかけのおれをこうしてもとに戻した。もしかしておれと同じぎようごん性か? ……だがそれもみようだ、八重からは少しも神通力を感じない」

「こいつはせいだ」

 横から亜雷が勝手に人の環性をばくする。

「無性。それもめずらしいな。しゆうなのはそのためか」

 栖伊が目を丸くする。

「いや、だがそうであっても、独特な魂だ」

 栖伊は八重の魂を見定めるように目をらした。環紋の五つ星が、くるりと動く。

 幸魂性は神通力持ちが多いので、かいしんれいに関することがらに精通している。

 おそらく八重が前の人生のおくを所有していることが魂にえいきようしているのだろう。

「栖伊が亜雷と兄弟なら……、栖伊もやっぱり、神なる者……ですか」

「そうなんだろうが、すべて遠い過去のことだからなあ」

 栖伊はあいまいに答えた。

「いまのおれは、兄様が名付けた『栖伊』という存在だ。それだけだ」

「でも」

 もとの自分に未練はないのだろうか。

 思わず問いかけそうになったが、八重は急に寒さを感じてくしゃみをした。

 夏の季節だとはいえ、山の中は空気がひんやりとしている。おまけに全身みずびたしだ。濡れたころもが体温を奪ったらしい。とら兄弟のほうは、まったく濡れていない。

「これはいけない。……いま着ている衣はいで、これを羽織るといい」

 親切な栖伊は、自分のほうを脱いで八重にした。

 この世界では、たけながの袍の下にはだを身につける。じゆばんのような作りの肌着だ。夏なら半襦袢タイプだったりそでなしのうすのものを着る。男性は肌着なしの袍一枚ですごすこともある。

 栖伊は袖なしタイプの肌着を袍の下に着ていた。

 八重はなんとなく意識してしまい、目のやり場に困って視線をらした。彼は亜雷よりも精悍な顔立ちだが、それにしたって美しく、若々しい肉体を持っている。

「大丈夫、そのうちかわく」と、八重はえんりよし、栖伊にその袍をき返す。

 基本的にこちらの人々は、というより花耆部のたみは厚着を好む。夏であろうと、水場以外ではあまり肌をさらさない。

 男女ともに袍の作りが丈長なのは、ひとえに肌の保護のためだ。こちらの世界の動植物は生命力が強く、大きい。春夏などの草木がよく育つ季節では、下生えをき分けるだけで手足に切り傷がつくこともある。八重は、前の世の意識がじやをして、動植物のサイズに戸惑うことが多々ある。並みに大きな犬と山中でそうぐうしたときは、そのおそろしさにぜつきようせずにはいられない。部で飼育されているにわとりなんかもゆうで二倍はある。卵だって大きい。

「……いや、だめだよ。女の身はか弱いものだ。着なさい」

 ぐいぐい来る栖伊にあせって視線を彼にもどし、八重はぎくりとした。

 先ほどはすぐに目を逸らしてしまったので気づかなかったが、肌着のえりからのぞく栖伊の胸にあざのようなものが浮かんでいる。

 八重は無意識にむなもとを覗き込もうとして、さっと襟を直した栖伊に苦笑された。

「どすけべろうが」といやそうな顔をした亜雷にも手のひらで軽く頭をはたかれる。

「ちっ、ちがう。そんなつもりじゃない」

 めいな誤解に八重はあわてふためき、首を左右に振った。

「あぁそうかよ、俺をくつぷくさせたのも身体からだで回したのも弟のはだかを視線でめ回そうとしたのも、全部そんなつもりはなかったってことかよ。あらためてののしってやるわ。傲慢どすけべ野郎が」

「なんでだ!」

 せんりつする八重の横では、栖伊がずかしそうに片手でほおを押さえている。

「とりあえずそのへんで火をおこして衣を乾かせ。……このじよがあたりをはらって清めたから、しばらくはおぼろものも野生動物も近づかないだろうよ」

 提案する亜雷からけいべつの目で見下ろされ、八重は心に深い傷を負った。痴女ってなんだ。

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