死神ちゃんと夜更かし

向日葵椎

死神と夜更かし

 1


 恐ろしい妖怪や化け物、それらひっくるめた超常現象的なものの中には、その行動や生態になんらかの制限を持つものも少なくない。吸血鬼だったら日光に弱いとか、狼男は月が隠れてしまうと人間の姿に戻るとか。森や山、それから川なんかに縄張りを持つとされている妖怪もいるが、そこから出ないのであればそれもまた制限と考えられる。その場合、そこに踏み込もうとしなければ恐ろしい経験をせずに済む。その領域を侵さなければ害を加えられることはない。

 私は最近それをよく実感している。


 ある夜のこと、ベッドで眠りにつこうとしていた。何者かの視線を感じながら。きっと仕事で疲れているんだろう、そう思っていた。誰かの視線を気にする悪い癖をこじらせて仕事では息が詰まりそうだったし、今日は湯舟にも浸かっていない。これはストレスのせいだ。しかし次第にそれは気のせいでもなければ過度なストレスによる症状でもないとわかる。

 仰向けに寝た状態でふと目を開けると、何やら頭上の方から黒い影のようなものが目の前に迫ってくるではないか。暗い部屋の中、底知れぬ恐怖が体中を満たす。私はすぐさま身をよじり、ベッドから飛び出し、部屋の電気をつけた。恐怖のせいか体は思ったより軽かったのだ。


「うわまぶしい!」


 その黒い影のようなものが言った。そして私の勘違いでなければ女の子の声のようだった。急に明るくなったせいでまだ目は慣れていなかったけど、壁に手をついたままじっと見つめるとその姿が見えてくる。


「おいまぶしいぞ!」

「あ、はい。すみません」


 とりあえず電気を消した。やっぱり女の子の声だった。それから私が電気を消す直前にやっと見えたものが確かであれば、長い棒状のものを持って黒い衣装を着た髪の長い女の子の上半身が、壁から生えていた。

 再び暗闇に包まれると、その影は安堵のため息をついてから言った。


「私は死神、お前の魂を刈りにきた」


 人間の言葉が聞こえたせいか、たまった疲れのせいか、事態がよく飲み込めていないせいか、私はすっかり落ち着いてしまった。なるほど死神。やはりあの棒状のものは鎌だったのか。

 沈黙。すぐにでも襲ってくるわけではないようだ。こちらがなにか言う番のようなので、質問してみることにした。とはいってもあなたは本当に死神かとか、どうやってここに現れたとか、そんな現実的なことじゃない。


「えっと、死神様。私は殺されてしまうのですか」


 あまり現実的とは思えなかったが、魂を刈るっていうのは殺すということなのだろうか。


「そうだ。この鎌でお前の魂を刈り取る」

「なるほど」


 そう言って頷いてはみたものの、その鎌は暗くて見えないよ。でも素振りしてるような音がしているし、死神も気合十分って感じだ。


「なぜ私なのでしょう」

「理由か。偶然見かけた。諦めるのだ」

「偶然か」


 ポツリとつぶやき、その場に座る。偶然とあっては仕方がない。寝室にある窓から夜空を見てみるが、私にとって最後の夜だというのに星は見えない。どんどん疲れを感じてきた。いつもこうだ。いつも周りのなにかに振り回される。幼稚園の頃は声がバズーカのように大きい先生がいて毎日泣いていたし、小学生の頃は球技に誘ってくる悪魔のようなクラスメイトから逃げ続け、中学生の頃では引っ越し先の家に当たり前のように入ってくる昆虫や小動物と、それから近所の親切なおばさんに怯え、高校生になると低気圧と湿度と花粉と静電気のことをいつも気にして、大学生になっても世界の人間の多さを想像するだけで気絶しそうになるのにその中に将来出ていかなくてはならない未来が怖くて、あと自分の身長が伸び続けていることに恐怖し、社会人になれば想像通り人目を気にして息が詰まる毎日。この空に星は見えないのだ。


「おーい」


 死神が呼んでいる。


「ちょっと待ってください今いいとこなんです」


 目を閉じる。どうせ殺されるならこの疲れがたまって眠ってしまいそうな今がいいだろう。今まで宝くじを買ったときとか都合のいいときばかり神様にお願いしてきたけども、今は死の神にできるだけ痛くしないように、あと一瞬で終わらせてもらえるようにお願いしてみよう。最後まで自分勝手な人間だ。でも、最後くらいはわがままでもいいだろう。床を見つめてため息をつく。最後か、なにかやり忘れたこととかなかったかな。――あ、新発売のカップ麺。あれ絶対にマズいと思うんだけどどんな味なのかすごく気になってたんだ。それからまだ恋とか――


「おい。もういいか。はやくこっちにこい」


 死神が呼んでいる。そろそろ振り返るのはやめにしておこう。

 死神のほうを見てみると、目が暗闇に慣れてきたせいか姿がよくわかるようになっていた。


「こっちにこないと届かないだろう」


 死神が鎌を持った細い腕をこちらに伸ばしている。そこにいるだけで胸が締めつけられたように苦しくなり、この部屋の空間が世界から切り離されたような感覚にさせるのは、あの子が本当に死神だからかもしれない。壁から細い体をちぎれそうなほど必死に伸ばしている女の子が放つ独特な緊張感のせいかもしれないけど。


「あ、はい。すみません」


 立ち上がってベッドの方へ向かう。死神の伸ばした鎌が鈍く光っている。だんだん距離が近くなる。あれに触れると魂が刈られるのか。それとも首や胸をあの刃先で刺したりするのだろうか。聞いてなかった。立ち止まってみると鎌の刃先が目の前でぷるぷる震えている。自分がどんな殺され方をするか知っておいて心の準備をする必要もあることだし、ちょっとだけ聞いてみよう。私が近づかなければ届かないみたいだし。

 そうか。思わず「あ」と口を開く。


「どうした? はやくこい」


 死神が不思議そうな声で呼ぶ。


「嫌です」


 恐れからではなく素直に声が出た。


「死神様がきてください」


 続けてそう言った。わざわざ自分から刈られにいくことはなかったのだ。私はもう疲れて眠りたいけど、永遠の眠りにつきたいわけじゃない。


「なにを言ってるんだ。これ以上は入れないから呼んでいるのに」


 死神は私に向けて鎌を伸ばし、必死に振っている。

 やはり。


「私はこれ以上進みません。死神様がこっち側の壁か床にでも生えてきてください」

「なんだと! 人間の分際で生意気なこと言うんじゃない。この門はそう簡単にぽこぽこ開けんのだ! 戻れはするがもう場所は変えられん」


 もう疲れた。ため息を吐き出しながら戻り、電気をつける。


「うわ、だからまぶしいと言っているだろう!」


 死神は両手で目を覆っている。

 だめだ、本気で眠い。ベッドの枕と反対側、つまり死神と反対の位置に倒れこむ。ここならあの鎌でも届かない。明るいし目測ではっきりとわかる。


「もう寝ますね。死神様には申し訳ないですが、明日も仕事なので」

「死神は今が仕事中だ! おい、勝手に寝るんじゃない」


 死神は怒鳴っているが声はだんだん遠くなる。意識はすぐに途絶えた。


 翌朝、目が覚めると死神はいなくなっていた。あれは妙な夢だったのかもしれないが、私が寝ている位置はベッドの枕と反対側、そのままだ。

 ぼんやりとした頭であたりを見まわしたが、次の瞬間には時計の針が指している数字に驚いて飛び上がり、心臓にせかされるままに会社へ急いだ。


 2


 そしてまた今日が終わり、腐敗して肉がとろけ落ちそうなゾンビの気分で帰宅する。シャワー浴びて、適当になにかかじって、電気を消して、ベッドへ向かう――と見せかけて電気をつける。


「だからまぶしいと言っているだろう!」


 死神が現れた。


「やっぱり今日もくると思いましたよ」

「死神としてあのまま引き下がったままでいることはできないからな。さて、今日こそはその魂刈らせてもらおうか」

「嫌です」

「えーなんでだー」

「明日も仕事があるんです」

「死神は今が仕事中だ!」


 騒がしいが、鎌が届かないところまで行って寝れば大丈夫なことはわかっている。初めは驚いたが慣れれば問題ないし、もう疲れてそれどころじゃない。それに今日は対策がある。

 塩だ。詳しくはよくわからないが、よくお清めに使われるし、もしかしたら効くかもしれない。隠し持っていた袋を取り出し、とりあえず塩を振りかけてみた。


「味付けするんじゃない!」

「ダメでしたか」

「そんなので死神がどうこうなるか。まったく顔にかかったじゃないか。うー、しょっぱい!」


 死神は唇を舐めてぎゅっと目を閉じている。

 そんな死神を見ていたらちょっと申し訳ない気持ちになってしまったのか、胸に圧迫感のようなものを覚えた。私は生まれてから人に怒鳴ったことはあっても、叩いたり物を投げつけるようなある程度の正確さが必要となる攻撃をしたことはなかった。慣れていなかったのかもしれない。


「……ごめん」


 できるだけ小さな声で言った。

 死神は聞こえなかったようで、なにやら小さくボソボソと言いながら両手で黒い衣装についた塩をはらっている。それから頬を膨らませて「お風呂入ってくる」と言ったかと思うと、すっと壁の中に消えてしまった。

 結果として追い払うことには成功したが、微妙な気まずさと、それから私の枕元に鎌を残していった。そのままにしておこう。それがせめてもの償いということで。

 スマートフォンの時計を見ると、もうとっくに日付は変わっていた。死神はお風呂にどのくらい時間をかけるのだろう。戻ってくるまで待つつもりだったが、襲ってきた眠気の方には勝てず、また今日も枕と離ればなれで眠りについた。


 3


 なんだろう、物音がする。ぼんやりと目を開くと部屋は薄暗い。電気を消したんだっけ。スマートフォンを見ると午前五時過ぎ、まだ起きるにはだいぶ早い。また物音がする。時計の秒針よりもっとゆっくり、紙がこすれるような音だ。枕がある方から聞こえる。もそもそと顔をそちらに向ける。

 死神がいた。それもちゃんと足のある。私の枕をクッションのように抱いてベッドの上にぺたんと座り、本を読んでいる。物音は本のページをめくる音だったらしい。どうして襲ってこないのだろう。それから――


「ごめん」


 頭の中が柔らかい羊毛で満たされているようにぼやけていたが、その一言が追い出されるように口からぽんと出た。

 死神と目が合う。しかしすぐに本で顔を隠してしまった。


「寝るときは電気を消した方がいいぞ」

「……はい。でも」


 本を読むなら明るい方がいいのに。そんな思いも、柔らかい羊毛に包まれて取り出せなくなってしまい、私は再び眠りについた。


 翌朝。今夜も死神はきている。どうしても片づけたかった仕事に時間がかかってしまい、夜中に帰って寝室を覗いたときには、もう壁に生えていた。今朝見た全身の姿ではなく、今夜も半分。腕を組んで睨むような目つきで私を見ている。


「遅いぞ、死神を待たせるな」

「すみません。でもシャワー浴びるのでもうちょっと待ってください」


 死神は「えー」と言いながら壁から出た上半身をだらんと垂らす。腕や長い黒髪をゆらゆらさせる。そうしてた方がちゃんと不気味に見えるよ。

 そんな死神を残し、リビングルームに上着と荷物を置き、バスルームでさっとシャワーだけ済ませる。シャワーを浴びている間、少しだけ今朝見た全身姿の死神のことを考えていた。襲ってこなかったことからして夢だったのかもしれない。人間には物事の「ない部分」を補おうとする力があると聞いたこともあるし、夢の中で私の想像がその力を働かせたとも考えられる。

 シャワーを済ませてリビングルームへ戻る途中、開けておいた寝室の入り口から死神の声がする。


「おーい、終わったか」

「はい。でも夕食済ませるのでもうちょっとだけ待ってください」


 死神は「えー」と言っている。さっきのようにうなだれているかもしれない。今日も疲れたしすぐにでも寝てしまいたかったが、今夜は気になっていた新発売のカップ麺を食べることにした。そのままキッチンに向かってお湯を沸かし、カップに注いでと……


 ――数分後――


 カップ麺用のタイマーが鳴る。「あ」、死神をほったらかしてしまっていたことを思い出した。カップ麺を持って寝室に向かう。様子を見に行くついでにそこで夕食をとることにしよう。時間としては夜食みたいだけど。


「遅くなりました」


 床にカップ麺を置いて座る。


「おお。やっときたか。ではこっちに」

「いただきます」


 両手を合わせてカップ麺を食べ始める。死神が「おい」と言っているが気にしない。騒がしい環境で食事することには慣れているんだ。会社の昼飯はオフィスから出ずにパンやおにぎりをかじりまたすぐ仕事に取り掛かる。そんな生活が私を強くしているのだ。というか、そう思わないと辛い。


「おーい」


 何度か死神が呼んでいるが気にしない。死神の呼び声になど反応してしまったらいけない、というのもあるが、夜遅くに食べるカップ麺は格別に美味しい。ハンバーグ唐揚げ入りカレーラーメンなんて、わがまま小学生が見ている夢みたいだけど現実は厳しいはず、そう思ったけどなかなかいける。


「おいったら」


 死神がひときわ大きな声で呼んだので見てみると、大きな瞳を輝かせてこちらを見ていた。小さな鼻をぴくぴくさせながら。


「もしかして食べたいんですか」


 死神は「うん」と何のためらいもなく大きくうなずいて答えた後、興味津々な表情はそのままに「その吸って食べるのもやってみたい」と言った。死神は麺を食べたことがないのか……いや当たり前か。


「死神様、食べても大丈夫なんですか」


 一つ疑問が浮かんだのだ。これは死神が人間界の物を食べるとどうのこうの、という心配ではなく、この前「仕事中」って言ってたから。


「全然問題ない」


 死神はきっぱりと答えた。


「いいですよ」


 そう言ってカップと箸を渡そうとすると、死神は鎌を置いた。なんのためらいもなく。そして手を伸ばして受け取った。死神はまじまじとカップの中を見つめると、湯気と匂いをめいっぱい小さな胸に吸いこんで、いよいよ箸をつけた。しかし、麺を箸で持ち上げることができない。そもそも箸の持ち方が違う。鎌を持つみたいにただ握っているだけだ。何度も麺を持ち上げようとするが、そのたびに麺はつるつると逃げていく。でも死神の表情は夢中で、一生懸命だった。


「ちょっと貸してください」


 そう言って、箸を死神から受け取る。ここで箸の持ち方を教えてもいいのだが、それではラーメンが冷めてしまうし、私はいつになったら眠れるのかわからない。


「はい、あーんしてください死神様」


 麺を一本だけすくって、口を開けて見せる。

 死神は「え?」と首をかしげたが、すぐに意図を理解して「ああ。あーん」と口を開けた。麺はすすりなれてないとむせてしまいやすいから、とりあえず一本だけにしてみた。麺の端っこを死神の唇にはさませてあげると、死神は麺を慎重にすすり、そしてうまくいったことに驚いたような表情でこちらを見ながら麺を味わった。


「美味しいですか、死神様」

「うん、とても美味しい」

「よかった」


 この食べる人間を選びそうなカップ麺が死神の口にも合ったことがだろうか。自分でもよくわからないが思わずそう言った。とりあえず確かなことは、死神はジャンクフードという美味しい悪魔に魅了されてしまった、そんな笑顔だったということ。

 少しもたたないうちに、死神は「あーん」と口を開け催促を始めてしまったので、しかたなく続けて食べさせてあげる。死神は麺がすすれるということがわかったので、次はしっかり一口分くらい。


「ちょっと熱いかもしれないですから、そうしたらフーってしてくださいね」


 言い終わらないうちに死神は麺に口をつけて「あち」と言った。ひるむことなく息を吹きかけ冷ましてから麺をすする。

 麺を味わう死神はどこかうっとりしたような表情でカップを見つめている。そう、目の前にはまだたくさんのラーメンがあって、カップが空になるまで楽しみ続けることができるのだ。美味しいものを後にとっておく性格の私が手つかずにしていたハンバーグとか唐揚げも。ここでふと思ったことがある。


「私はなにをしてるんでしょう」

「なにがだ?」

「いえ、なんでも。はい、あーんです」


 死神は気にせずラーメンを楽しむ。死神に答えを求めてもしかたない。私は深夜に、壁から生えた死神に、夜食を食べさせてあげている。それだけのことだ。

 結局、死神はすべて食べきってしまった。今はカップを持って残ったスープを飲んでいる。カップ麺とはいえ濃厚系でボリュームもそれなりにあったけど、見た目のわりによく食べるんだな。そもそも死神に胃があるのかはわからないが。


「ぜんぶ食べちゃいましたね」

「ふー、なかなかよかった」

「よかったです」


 死神は満足そうな笑みを浮かべて伸びをした。それからあくびも。お腹が満たされて少し眠たくなってしまったのかもしれない。


「お前がなぜ生きるのかわかった」


 死神はさっぱりした表情に戻って、しっかりとした口調でそう言った。

 どういうことだろう。話が見えていない私の様子を見た死神は頷いた。


「まず前置きといこう。死神には人間の魂が見えるんだ」


 死神は言った。そしてその後にきょろきょろとしてから深刻そうな顔をして「この秘密は絶対誰にも言うんじゃないぞ」と口元に手をあててひそひそと言った。死神に魂が見えるのはそんなに不思議とも思えないのだが、死神の様子からするとこれはとても重要な秘密らしい。私もつられてひそひそ声で「はい」と返事をした。


「あと魂の状態もわかる」


 すぐに声の調子が戻った。それからちょっと得意げな顔をしながら続けた。


「それで、初めてお前の魂を見たとき、それはひどく弱々しいものだったから、刈り時かと思っていたんだ。あそこまで弱れば簡単な仕事なはずだった。しかしいざ刈ろうとすると抵抗するではないか。これはいったいどういうことか。このことを死神なりに考えてみたんだ」


 私は弱った植物のように見えていたのだろうか。たしかに、刈ろうと思った植物が逃げ出せば誰でも驚くだろう。


「初めて私を見たときというのは、この寝室でのあの夜ですか」

「そうだ。近くに弱った魂があると死神のセンサーがぴんと反応するのだ。そしてその場所に門を開いて魂を刈って帰る。そのつもりだったんだが」

「逃げられたんですね」


 他人事のように言うと、死神は怒るでもなく「うん」と言ってから少しだけ考えるように間をおいて続ける。


「この数日間で気づいたことがある。お前の魂は、死神がお前の目の前に現れたときに力を取り戻していたのだ。しかし、なぜ魂は力を取り戻したのか。これは命が危機にさらされて起こる反応ではない。刈られるほどの状態になった魂にはそんな反応を起こす力すらないからだ。ではなぜか。その理由はこのカップ麺にあったのだ」


 スープを飲み終えた後のカップを私に見せる。いまいち話が飲み込めていない私の薄い反応を見て、死神は説明した。


「死神がお前の目の前に現れることで、お前は魂が刈られてこのカップ麺が食べられなくなると考えた。そして求めたのだ、とても強く!」


 やっぱりちょっとわからなかった。死神はなにをいっているんだろう。


「死神の教科書にも書いてあった。強く求める魂は力を取り戻すとな。お前が強く求めているのがカップ麺であることを確信したのはついさっきだ。私がカップ麺を食べる姿を見てお前の魂はまた力を取り戻した、それも今まで以上にな。つまりこのカップ麺が目の前で食べられてなくなるのを見て求めたのだ、とても強く!」


 死神の教科書。またわからない言葉が出てきたぞ……いや、あのとき夢で見た死神が読んでいたのは死神の教科書だったのだろうか。新しい情報について聞いてみたい気もするが、これ以上混乱するのは避けたい。

 死神は自らの理論に頷きながら納得している様子だ。

 今、一つだけ言いたいことがある。私はそこまでそのカップ麺が食べたかったわけじゃない。でもせっかくの死神の理論を白紙に戻すのはかわいそうだ。ついでに前から気になっていることに関係しているのか聞いてみよう。


「死神様が半分しか入れないのもカップ麺になにか関係があるのですか」

「いや、それは関係ない」

「では元からそういうもの、ということですか。見たところ不自由なように見えたので、もしやと思ったのですが」

「それも違う。恥ずかしい話だが、これは失敗なんだ。普段はこんなことない」


 死神は普段は全身の姿らしい。もし私の前に全身の死神が現れていたら助かっていただろうか。そんなことを考えてしまう。死神は続けた。


「あの日、この門から初めて出てお前の魂を見た日だ。私は力を取り戻す魂の反応を初めて見たんだ。それが面白くて、奇妙で、きれいで、実のところ私は楽しんでいたのかもしれない。それでな、気づいたらこれだ」

「門がちゃんと開かなかったと」

「うん。きっと集中力が乱されたからだろう。これにはけっこうコツがいる。まあ、もうすぐこの門も自然に消滅するだろうから、次からは気をつけることにするよ」


 死神の話をまとめると、私はカップ麺で命拾いをした。


「それで、私の魂はどうなるのですか」

「今ほどの魂の強さがあれば、まだ刈り時ではないだろう。それにまた弱ってもカップ麺のことを思い出して力を取り戻すだろうしな」

「私は見逃されるということでしょうか」

「そうだ。もう目の前には現れんからカップ麺が食べられなくなる心配も、死神に食べられる心配もないぞ」


 死神はくすくすと笑っている。私のことをとんでもなく食いしん坊だと思っているらしい。勘違いだけど、それは今更言ってもしょうがない。


「そうですか」

「今回はいい勉強になったよ。ありがとう」


 お礼を言われてしまった。死神のくせになんて清々しい表情で笑うんだろう。


「お。また魂が力を取り戻したな。まーたカップ麺が食べたくなったのか。これは空だぞ」

「もう、違いますよ」


 死神からカップを受け取る。


「ではな、そろそろ時間だ」

「はい。ありがとうございました」

「礼を言われることはしていない。魂を大事にしろよ」


 そう言い残して死神はすっと壁に消えた。私の枕元に鎌を残して。


 それからまた死神がくるようになったのは言うまでもない。今度は玄関から。


「おい、どうして教えてくれなかったんだ!」

「私も気づかなかったんですよ」


 さて、明日は休みだ。カップ麺でも買いにいこう。

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