懐かしさに照らされて

@smile_cheese

懐かしさに照らされて

私は懐中電灯を持っていない。

この先の未来をどうやって進んでいけば良いのか。

その道しるべを照らす明かりを持っていないのだ。

スナックでのバイトは楽しかった。

冗談混じりに後を継がないかと誘われたこともあった。

だけど、それは私が本当にやりたいことではない。

だからといって、他に何かやりたいことがあるのかと聞かれれば、私は黙りこんでしまうだろう。

お世話になったスナックのママは前向きな人だった。

経営難でお店を続けられなくなったときも、弱音を吐くことなくあっさりとお店を閉める選択をした。

若林さんだってそうだ。

仕事のために海外まで飛び出したりもした。

マスターだって、きっと今頃は。

みんな、やりたいことが明確で、懐中電灯で照らした先を真っ直ぐに進んでいるんだ。

私だけが真っ暗闇の中を、手探りで、進んでいるのかも後戻りしているのかも分からないまま、ただ一人でもがいているんだ。

こんなとき、いつだって相談に乗ってくれたのはママだった。

だけど、今はもう、どこにいるのかも分からなかった。

結局は自分でなんとかするしかないんだ。


こんなとき、私はいつも図書館に足を運ぶ。

昔から本を読むのは好きだった。

子供の頃の夢は小説家になることで、何度か小説を書いたこともあった。

けれど、慌ただしく過ぎ去っていく時間の流れに乗り遅れないようにと必死になっていている内に、いつしか書くことも止めてしまったのだ。

夢を諦めたことに後悔はないけれど、代わりになるような夢はまだ見つかっていない。

私はこれから一体何者になっていくのだろうか。

そんなことをぼーっと考えていると、誰かが私の手を掴んで二、三度引っ張った。

目線を落とすと赤い服を着た小さな女の子だった。


「お姉ちゃん、絵本読んで?」


慌てて女の子の母親が止めに入ったが、私は「大丈夫ですよ」と答え、女の子に絵本を読んであげることにした。

絵本なんて何年ぶりに読むだろうか。

『わすれられないおくりもの』というタイトルと表紙の絵には見覚えがあった。

幼い頃に読んだことがあるのか、偶然どこかの本屋で目にしたものか。

それは定かではなかったが、なんだか温かく懐かしい感覚があった。

私は女の子が理解できるようにゆっくりと物語を読み進めていった。

そして、物語も終盤に差し掛かった頃、


「お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」


気がつくと私の頬には大粒の涙が流れていた。

女の子のために読んでいたはずなのに、すっかり絵本の世界に入り込んでしまい、主人公のアナグマに感情移入してしまっていたのだ。

絵本は子供のためだけのものだと思っていた私の先入観は見事に砕け散った。

涙を拭い、絵本を最後まで読み終わると、私はすぐさま本屋へと向かった。

そして、さっき読んだ絵本と他にも何冊か気になった絵本を買った。

私は足元に落ちていた懐中電灯を拾ったのだ。


一冊の本で人生が変わることがある。

私にも書けるだろうか。

私はゆっくりと懐中電灯で周りを照らした。

そこには道はなく、360度どこを見渡しても平地だった。

ふと、大好きな詩が頭に浮かんだ。


『僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる』


立ち止まっていては道はできない。

恐れるな。前に進もう。

懐中電灯なんて最初から必要なかったんだ。

私は何者にだってなれるんだ。



完。

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