第4話 角川公園に咲く花
「先生?」
休日、散歩コースの一つである角川公園内を歩いていると、後ろから声をかけられた。その聞き覚えのあるような声にドキリとして振り向けば、そこにいたのは桜子である。
当たり前だが、制服姿ではない。
その年頃の女子にしては、地味ともいえるコーディネートである。さらりとした淡い水色のシャツに、細身のジーンズ。彼女以外にも休日の女子生徒を見たことはある。その子らは皆が皆、というわけではないものの、もう少し着飾っていた。流行っているのだろう、じゃらじゃらとしたブレスレットをいくつも重ね、さすがにピアスではないようだがイヤリングまでつけ、軽く化粧をしている子もいた。
そのアクセサリーの類は、まぁ間違いなく安物だろう。
だからきっと――、流行りが廃れれば捨ててしまうんだろうな。それに染み込んでいる思い出を残したがるのは、僕らのような大人だけなのかもしれない。若い彼女らはいまを生きているのだ。
「春川、奇遇だな」
「私の家、ここから近いんです」
そういえばそうだった。
それくらいの情報は一応知っている。
そして、彼女が父子家庭であることも。
「先生はいつもここに?」
「いつもってわけじゃないけど。今日みたいに天気の良い日は散歩したくなるんだ。花が好きで手入れが上手な町内会長さんがいてね。春は桜が見事だし、いまの時期は――ほら、
手毬のようなその花をじっと見つめていた春川は「きれいですね」と呟いてから、僕をまっすぐに見つめた。
「紫陽花は、お母さんが一番好きだった花なんです」
「お――母さん、が」
名前を尋ねても良いのだろうか。
僕は担任ではあるけれども、そこでいきなり母の名を尋ねるのはさすがに脈絡もないだろう。
春川が父子家庭になったのは、いまから3年ほど前。交通事故だったそうだ。買い物帰りに一人で歩いているところを撥ねられたのだとか。これは小学校からの申し送り事項に記されていたもので、実際に彼女から聞いたことではない。
それから、近くのベンチに腰掛けてぽつぽつと他愛もないことを話した。
学校生活にはもう慣れたか、であるとか、最近クラスで何が流行っているのかとか、本当にその程度の。春川に限らず、僕は生徒とこうして一対一で話したことがないことに気付く。『教師』という肩書があって、そして、学校という環境があって初めて僕は生徒の前で胸が張れるのだ。だから、正直なところ、会話は弾んでいなかった。
私服の僕は、角川北中学校1年B組担任の『秋田先生』ではない。ただの33歳の『秋田葉太』という、あれから恋人も出来やしない、つまらない男なのだ。
いつまでもこんなところで話していても仕方がないだろう。
そもそもせっかくの休みに担任教師と世間話なんて、普通に考えれば絶対に御免こうむりたい案件だ。
そろそろ――、と腰を浮かせようとした時だった。
「先生」と、春川が言った。
顔を数メートル先の花壇に向けたまま。
公園の中央には花の全て散ってしまった桜の木があり、それを囲むようにしてその他四季折々の花が植えられている。ちょうど視線の先には紫陽花の花が並んでいる。
「どうした」
何か授業とかクラスのことで相談したいことでも――という僕の言葉を遮るようにして、春川は、
「私は、お母さんに愛されていなかったと思うんです」
と言った。
まっすぐに、紫陽花を見つめて。
「そんな、何をいきなり」
「私は、捨てるのがもったいなかったから、産まれたんです」
「そんなことは――」
ない、とは言い切れなかった。
そして、やっぱり春川は紫陽の娘なんだと、そこで確信を持った。
それが
「お母さんが生きてた時、一度だけ、聞いたことがあるんです」
そこで春川はゆっくりと僕の方を見た。
何となく目を見るのが怖かった。
紫陽と同じ目が――視線が怖かった。
「私のお父さんって、本当のお父さんじゃないかもしれないって」
「えっ……」
正直、もしかして、とは思っていた。
もしかして、もしかするんじゃないか、と。
「お母さんはお父さんのことなんて、もうずっと好きじゃなかったんです。なのに、私が出来ちゃったから別れられなくなって、それで、死んじゃったんです」
いきなりそんなことを聞かされて、僕はなんて返したら良いのだろう。
「先生、お母さんは、幸せだったと思いますか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます