第3話 彼女との出会い 

「この春から、このクラスを受け持つことになった秋田だ。僕が君達と同じ年の頃は、とにかく悩みが多かった。気軽に打ち明けられるライトなものから、それはもう墓場にまで持っていきたいくらいのヘビーなものまでね。けれど、悩むことは決して悪いことではない。立ち止まることすべてが悪いことではない。大人になるとね、じっくり考えてもいられなくなる。上司からは急かされる、部下からはせっつかれる。学生のうちくらいだ、時間を無駄に使って良いのは。僕はね、そう思う」


 ぴかぴかだけれどもちょっとぶかぶかの制服に身を包んだ生徒達をぐるりと見回して、そんな挨拶をする。


 すると、乗りの良さげな男子生徒が「先生そんな年じゃないじゃん」なんて言って、なぁ、とクラス全体に同意を求めた。その言葉に一部の女子は視線を合わせてくすくすと笑い、どうやら「この先生は多少いじってもOKそうだ」と判断したらしい男子は「てか、先生って何歳なの?」と気さくに尋ねてくる。


「僕は33だ。君達より20歳ほど上かな」


 なんて返すと、あちこちから「ウチの父さんより若い」だの「お母さんと同い年だ」などと言った声が聞こえてくる。

 晩婚と言われるこの時代だが、この年で中学生の子どもがいる、というのは、ここいらではさほど珍しいことではない。僕の大学時代の友人達はまだ独身だったり、結婚していても子どもがまだ保育園だったりするのだが、地元の友人は「ウチの子、いま思春期でさぁ」なんてぼやいていたりするのだ。


「よし、先生の自己紹介はこれくらいで良いだろう。それじゃあ次は君達の番だ。そっちの端からいこうか。名前と……そうだな、好きな教科と……あとは、入部を考えてる部活、それ以外にも何かクラスの皆に伝えたいことがあれば自由に」


 そんなことを言っても、大抵の生徒達は好きな教科や部活動を答えるので精いっぱいだ。いくら同じ小学校の友人がいるとはいっても、着慣れない制服に身を包んだ彼らは一様に妙な緊張感の中にいる。


 小学校のノリでふざける度胸がある者、真面目にしゃべっている自分に気恥ずかしさを覚えて小声になる者、単純に人前で話すことに慣れていない者などなど、そのどれもが何とも微笑ましい。


 その中の一人、ある女生徒に、僕の視線は釘付けになった。

 

 紫陽しはる


 思わずそう言ってしまいそうになり、慌てて口を押える。

 

 よく似ている。

 柔らかそうな長い髪は校則通り、耳の下で二つに結われている。毛先が軽くうねっている。紫陽もそうだった。パーマなんてかけなくても自然とこうなるのよ、とよく言ってたっけ。

 いつもちょっと不機嫌なように見えてしまう、つんと澄ました小さな唇に、少々吊り上がった目。だけど、そんな彼女が笑うと、まるで、固く閉じていたつぼみが春を待ってゆっくりと開くように、身体の内側がゆるりじわりと温かくなるのだ。そんな不思議な魅力のある女性だった。


 その生徒――春川桜子もまた同じ雰囲気を身に纏っていた。似ているのは見た目だけではなかったのだ。


 もしかして、君のお母さんは『紫陽』という名前ではないのかい。

 

 いや、名簿は目を通している。

 紫陽なんて変わった名前を見落とすはずがない。

 ええと、名簿、名簿は……ああそうか、そういうのはデスクの中だった。いや、後で確認すれば良いか。


「……先生? 先生? もう終わりましたけど?」


 前列の生徒が身を乗り出し教卓を叩く。それで我に返るまで、僕は座席表の『春川桜子』という名から目が離せないでいた。

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