サーフタウン・テイクオフ

廣木烏里

サーフタウン・テイクオフ

 

 マジックアワーが溶け込む夕暮れの海を前に、ズブ濡れの俺は生まれて初めて煙草に火をつけた。


「不味……」


 全くもって、うまくはない。

 

 海に沈む太陽。空は青色と橙色のグラデーションを見せつける。残酷なほど、その美しさに感動してしまう。


「茜〜色の夕日眺めてたらぁ〜 少し〜思い出すものがありましたぁ〜……ゴホッ、ゴフォッ。オエッ」


 慣れない煙草の煙に身体がえずいた。

 こんないい波が立つ日に、俺はフジファブリックのバラードを歌いながら、涙目で煙草をふかしている。


「あ、先輩! え? ……タバコっすか?」

「カッコいいだろ」

「全然っす。ナオさん、マジっすか? 辞めたほうがいいっすよ。オリンピック、目の前じゃないすか?」

「いいんだよ。もう18歳だから」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

「ほら、副流煙が体によくないから、お前はあっちで練習してろ」

「マジで辞めてくださいよ! ビックリするわ〜」


 後輩は、サーフボードを抱えて海へ駆けていった。

 俺は吸いかけの煙草を揉み消し、携帯灰皿にしまった。


 海岸ではサーファーたちが次々に波を捕まえ、“テイクオフ”している。今日は本当にいい波だ。俺の地元のこの海岸は、2020年東京オリンピックのサーフィン会場に選ばれた日本屈指のサーフスポットだ。

 俺はサーファーたちを眺めながら、ふと思った。波をつかんでボードに立つことを[take off —離陸—]と名付けたのは誰だろう? ピッタリな言葉だな、と。今までそんなこと考えたこともなかったのに。


 俺は2歳でボードに立ったらしい。プロサーファーだった親父の英才教育を受け、15歳でプロサーファーデビュー。高校は通信に通い、バイトで遠征費を稼ぎながら、サーフィン漬けの毎日を送っていた。自分で言うのもなんだが、一応日本では名の通ったサーファーだ。

 2020年の東京オリンピックは、サーファーにとって特別なオリンピックだ。なぜなら、この東京五輪でサーフィンは史上初の正式種目となるから。今年18歳になった俺は、日本代表候補にも選考され、順風満帆だった。「2020年の夏は、東京五輪で優勝する」。それだけが俺も目標だったが、オリンピックが来年に延期になった今、その夢も終わりだ。人生はうまくいかないもんだ。




 俺は濡れたウエットスーツを脱いでリュックに詰め込み、サーフボードを自転車に取り付け、親父の病院へ向かった。

 親父が倒れたのは、今年の三月だった。


「親父〜、元気?」

「おう、来たか」


 親父が日に日にやつれて見える。


「お前、海行ったんか?」

「うん、波よかったから仕事終わりにちょっと遊んできた」

「そうかぁ」


 薄暮の病室に、沈黙が続く。



 窓際に目をやると、母が持ってきた写真が置いてある。

 俺がショートボードの世界大会で入賞したときの写真だ。

 トロフィーを持った笑顔の俺と親父が肩を組んでいる。


 

 親父が言った。


「おう、母さんが夕飯作って家で待っとるやろ。父さんももうすぐ飯の時間やから、はよぉ帰り」


 俺は「おお、そうやな」とだけ返事をして、病室を後にした。


 帰りの夜道で自転車を漕ぎながら、俺は親父の人生を思い返していた。 

 元プロサーファーの親父は、サーフィンを極めるために日本随一のサーフスポットであるこの町にやってきた。世界を目指して、雪の降る真冬も毎日海に通ったという。俺と同じだ。

 だがある日、大波にテイクオフして事故った。なんとか命は助かったが、両足首を壊し、世界進出の夢は断たれた。

 俺が生まれた頃には、親父はサーフショップの店長になっていた。親父は俺にサーフィンを教えてくれた。すっげぇ楽しかった。辛い思いもたくさんしたが。

 「おう、旅行だぞ」と親父が言えば、それは地方遠征だ。俺は「試合でしょ?」と言いながら、親父の四駆にボードを積んで、夜な夜な車で出かけるドライブの時間が好きだった。


 そんな中、急に倒れた親父を心配していた俺だったが、そのときはすぐに気持ちを切り替え、「今年のオリンピックで優勝して、親父を元気づけてやらんと!」と、むしろ意気込んで練習に励んでいた。





「お父さん、余命半年やって」





 一ヶ月前の母の言葉がこだまする。





 親父は末期ガンだった。


 まさか……


 そこから俺の人生は大きく変わった。オリンピックも延期が決まり、親父は余命半年。このままサーフィンだけの生活を続けていくわけにはいかない。


 だから俺はサーフィンを諦めることにした。オリンピック代表候補も辞退した。サーフィン漬けの毎日とキッパリ別れを告げ、代わりに親父のサーフショップで働くことを決めたのだった。



          ♢



 一週間後、サーフショップの電話が鳴った。


「はい、ブルーオーシャンです」

「おう、俺や」


 突然の親父からの電話。


「え、どうしたん?」

「おう、決まったぞ」

「……え? 決まったって何が?」

「お前のオリンピック」

「え?」

「三ヶ月後の7月29日。一宮海岸」

「いやいや、オリンピックは延期やん」


 病気で追い込まれて、おかしくなったのかも知れない。


「親父、今からそっちに行くから待っとき」

「いや、来んでいい。お前は練習せぇ。相手はイタロ・フェレイラぞ」


 イタロ・フェレイラは、世界ランク一位のブラジルのプロサーファーだ。

 やはりおかしい。


「おう、オリンピックも延期やし、俺もこんななってしもうた。俺もお前のオリンピックば見たかった。そいけん、サーフィン協会と町役場に相談して、特別オリンピックば開くことにした」

「は?」


 親父はまともだった。

 言ってることは破茶滅茶で、俺は状況をうまく飲み込めなかったが、要はこういうことだった。

 親父は余命宣告を受けたその日に、サーフィン協会と町役場に電話をしたらしい。冷静に自分の状況を話し、「息子のためにオリンピックを開いてやりたい」と。

 でも、さすがにオリンピックが延期に決まった今、大会を開ける訳がない。そこで親父が言ったのは、「どうせ大事なのは決勝だ。決勝戦だけでいい。そして決勝に上がるのは、俺の息子とイタロ・フェレイラ以外他にない」。いかにも親父らしい強引な理論だ。

 それを聞いたサーフィン協会と町役場は困り果てていただろうが、親父がとどめの一言を言い放った。


「俺がイタロ・フェレイラを必ず呼ぶから頼む」


 結局、協会と町役場は親父の迫力に負け、「じゃあ本当に来日するなら協力する」と返事をしたという。そりゃ余命半年の人間にそこまで言われたら、そう言わざるをえないだろう。

 親父はまったくの人たらしだ。


 そうと決まったら、病室の親父は「どうしたらイタロ・フェレイラを呼べるか」ばかり考えていたという。抗ガン剤治療の合間に、ありとあらゆるところに電話をかけ、情報を収集。顔が広かった親父だが、“世界一を呼ぶ”となると流石に一筋縄ではいかない。そんな親父を見かねて、結局は役場も協会も全面協力で事は運んで行き、親父の《オリンピック開会宣言》から一ヶ月後の今日、ついにイタロ・フェレイラを口説き落としたという。


「おう、そういうことや」


 そういうことや、って。

 てっきり突然の余命宣告で弱り切っていると思い込んでいた俺は言葉も出ない。

 俺には一言も言わずに、なんて親父だ。


「費用は俺のボードコレクションば餌にして、協会に『くらうどふぁんでんぐ』ってやつばお願いした。なんか『らいぶすとーみんぐ』ってやつで中継すれば、結構集まるらしか。詳しくはよぉ分からんけど、そういうことや」


 英単語は間違ってるが、親父の声は真顔の声だ。


「オリンピックや。しっかりやれよ」


 そう言って、親父は電話を切った。




          ♢




 2020年、夏。7月29日。

 東京オリンピックのサーフィン会場、一宮海岸。

 

 キラキラと夏の日差しが反射する朝の海の前に、俺の気持ちは高まっていた。


 三ヶ月前の不味い煙草の味は、もう忘れていた。

 

 親父から電話を受けたあの日、俺は店に「7月29日まで休業」の張り紙をし、すぐに海へ走った。それから毎日、日の出前から日没まで、一日中無心でサーフィンをし、鈍った体を鍛え直し感覚を研ぎ澄ませた。

 波が、海が、塩気が、疲労が、風が、……すべてが心地よかった。


 そして、決戦の今日。

 波も体も最高のコンディションだ。

 

 会場には、LIVEストリーミング用の中継カメラマンがスタンバイしている。親父が企画したクラウドファンディングで資金も集まり、ジャッジも国際サーフィン連盟が行うことになっていた。なにせ相手はあのイタロ・フェレイラだ。今、町中が、いや、世界中のサーファーが、PCにかじりついていることだろう。そして、もちろん病院の親父も。


 その時、カメラマンが突然カメラを振った。

 レンズの先には、トレードマークの黄色いタンクトップを着たイタロ・フェレイラがいた。


 信じられない……。


「Nao?」

「Yes, I'm Nao.」

「Nao! Nice to meet you!」


 俺は彼と固い握手を交わした。

 彼はすぐに無邪気な笑顔を引き締め、言った。


「I'll NEVER LOSE,Nao.——絶対に負けないよ、ナオ」


 俺はこう返した。


「That's my line.——それはこっちのセリフですよ」


 そして俺たちは、波に向かって走った——








          ♢








 2021年、夏。7月29日。

 一宮海岸は、東京五輪のサーフィン決勝の真っ只中だ。


 俺は今、会場にいる。

 決勝は、あのイタロと南ア出身のジョーディ・スミスだ。


「先にテイクオフしたのは、イタロだ!」


 実況中継のアナウンサーがマイクに叫ぶ。


 俺はどうしてるのかって? 俺はオリンピック運営の最前線で、「幻のオリンピック」を作ってくれた親父の仲間たちと肩を並べている。









 東京五輪の開催で、この街も、親父が遺したサーフショップも大賑わいだ。


 家の仏壇には、親父の笑顔の写真とともに、俺とイタロ・フェレイラの2ショット写真が飾ってある。2人で顔を寄せ合い、一緒に1つの金メダルを首にかけ、肩を組んで笑ってる。







 え? 結果はどうだったのかって?








 それは親父に聞いてくれ。



         <完>

 


 

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