第7話 本決まりなん?来週からこき使われんの?マジ?

「そ、そんな、親御さんに何の連絡もせずにいきなりなんて……」

 博崇が女子高生の店番をなんとか阻止しようとしているところへ、

「へえ~!幻の和菓子!面白そう!」

 岩根さんが、目をキラキラさせて女子高生の方へ向けた。

(え?この店に入ってきて、一番、輝いた顔ですやん?あの仏頂面は何やったんです?)

 話を途中で遮られて置いてけぼりにされた形の博崇は、心の中で毒づいた。

「名前はなんて仰るの?それ、K女子高の制服だよね。何年生?」

 岩根が女子高生の手を握らんばかりの勢いで質問している。

「みふじかざね、と言います。漢数字の三に、植物の藤、風の音と書きます。K女子高の2年生です」

 女子高生はハキハキと話した。背の高いうえにヒールの高い靴を履いている岩根と向き合うと、見上げるような形になるが、物怖じせず、虚勢を張るでもなく、真っすぐに岩根の目を見つめていた。その姿に、博崇はふと目を奪われた。そういう態度を、自分はもう何年も目にしていない。目にしないようにしていたし、そういう生真面目さを正面から受け止められる自信はなかった。

 (―――幼稚園から持ち上がりの内部生の誰もが、たぶん)

 眩しいようなものを見る気持ちで、博崇は目をそらした。

「風の音でかざね」

 岩根が繰り返す。

「あっ、名前から想像する外見と違うね、って言われますけど」

 風音が少し自虐的に笑いながら予防線を張った。まっすぐな瞳から一転して、作り笑いをする。

 「いいえ。とても風情のある美しい名前だと思います。万葉集に”わが宿のいささ群竹吹く風の音の……”という歌があって、それを思い浮かべた。昔から人は、目に見えないからこそ、風が起こす音にさまざまなものを読み取ろうとしてきた……。とてもすてきな名前だと思います」

 岩根は、まっすぐに風音を見つめて、はっきりと褒めた。”美しい”と、”すてきだ”と、正面を切って言われた風音は、一瞬ぽかんとした後に真っ赤になった。少し目が潤んでいた。

 「あ、ありがとうございます。そんなこと、言われたの初めてです」

 (僕も初めて聞いたわ。”美しい”とか”すてき”とか、相手を見て言う人、初めて見たわ。……ああ、ちゃうな、兄貴はときどき独り言で言うてたな。あんなん言うたら、裏で何を言われるか、わからんわ……お気楽なことやな)

 目の前で繰り広げられる情景が、博崇にはひどく立ち入り難いものに見えて、居た堪れなかった。

 「祖母がつけてくれた名前なんです。あっ”幻の和菓子”っていうのは、祖母の件で……」

 話が長くなりそうなので、博崇はそーっと立ち去ろうとして後ろに下がりかけた。幻の和菓子なんてどうでもいい。僕には関係ない。僕は、この後、遊びに行かなあかんねん。

 「私もK女子高出身なんだ。幻の和菓子の話、詳しく訊きたいし、これからお茶しない?奢るし。……吉戸さん、彼女のアルバイトの件、本決まりで構いませんか?えーっと週2で?来週から。じゃあ、そこの弟さんも、来週からうちの研究室で資料探しとかしてもらうってことで!」

 「あっ、じゃあ、よろしくお願いします。履歴書は来週持ってきます!」

 岩根と風音は、旋風のように去って行った。

 「……えっ?本決まりなん?」

 彼女たちの勢いにあっけに取られていた博崇は、ふと我に返って、祖父を見た。

 「そやな。来週からこき使われてきぃ。それまでは店番と和菓子の特訓や」

「えーっ!!」

「えーっ、ちゃうわ。今回これを真面目に務めへんかったら、小遣いは取り上げ、内部進学もさせへんからな。自分で大学受験してもらうさかいな」

「なっ……んで、そんなに厳しいのん、突然。今までは……」

「今までは、健一がおったからです。健一がいーひんようになった以上、あんたが頑張るしかないやろ。頑張らへんのやったら、あんたをこの家に置いといて遊ばしておく意味なんかあらへん。どこなと行かはったらよろし。そや、やる気のある三藤風音さんという人も来てくれはることやしな」

「はあ?!なんやそれ」

「恨むんやったら、努力を怠ってきた自分を恨まはるんやな。まあ、辞めてもええねんで?うち―――鶴松屋清雅の評判はガタ落ち、一家離散、次男はD高校中退で働きに出る―――みたいなことになってもええのんやったら?ああ、年寄が骨身を削って働いて来たのになあ、ああ、かわいそうなワシらやで」

 祖父はこれみよがしに、腰を曲げて年寄りらしく見せながら、よろめいて見せた。

 「―――わかったわ!」

 博崇は、我慢比べに敗けて言った。祖父は、柔らかな物腰と裏腹に気骨のある人間で、やると言ったら孫の大学進学を阻むくらいはすることが博崇には分かっていたのである。

「そうですか。お気張りやす」

 間髪入れず、祖父から励ましが返ってきた。博崇は唇をかみしめたが、どうにもならないことは分かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御幸町二条下ル。 日向 諒 @kazenichiruhanatatibanawo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ