枯れる寸前の向日葵
この頃はまだ気づいていなかった。
俺たちの関係は、俺の周りの関係は、とても複雑化し始めてきていることに。
紡いできた糸に新しい糸が入って、絡み合ってぐちゃぐちゃになってきていることに。
――――――――――
ふとガラス越しに外を見てみると雨が降っていた。ゆっくりと弱く、今にも止みそうな雨が。
だがその雨は止むことなく、降り続ける。
「あ、これも必要」
そう言いながら琉生さんはカゴに何かを入れる。
スーパーに来ている俺と琉生さんは、何日か分の夕飯の買い出しをしていた。
俺がカートに乗せて押しているカゴに「これも必要」「あれも欲しい」とどんどん入れて行くのだ。俺に許可も取らずに。
一応お金は多めに持ってきているので多分足りるとは思うけど。
「小麦粉?そんなもの要ります?」
「も〜。海斗は何を作るか分かってないでしょ?」
「そりゃ、琉生さんが教えてくれないので知りませんけど」
小麦粉を使って作れるものってなんだろうか。
コロッケ、メンチカツ、カツ………。
思い浮かぶのはどれも揚げ物ばかりだ。
自炊をしないせいで思い浮かぶ料理が一般的に知られているものばかりだということに気づく。
例えその3つだとしても、琉生さんはじゃがいももひき肉も豚肉も入れていない。
「あ、豚肉見っけ〜」
「もしかして、カツ、ですか?」
琉生さんは俺の方をちらっと見てから豚肉を入れる。そして首を横に振った。
「ノンノン。違いますよ」
とても可愛らしい顔で。そしてそのままかごを持つ手を持ち直し、先に歩いていってしまう。
俺は思わず「可愛い…」と声を漏らした。
「なんか言った?」
琉生さんが笑顔で振り向く。その表情は、やっぱり可愛い。いや、可愛いという言葉だけでは琉生さんを表すのには全然足りない。
なんと言えばいいのだろうか。どうやって表せばいいのだろうか。
美しくて、可愛くて、本当に消えてしまいそうな笑顔。儚いという言葉が1番似合う、向日葵のような笑顔。
「枯れる寸前の向日葵だ…………」
無意識にその単語を発する。
琉生さんは「どういうこと?」と俺に聞き返す。
だが俺はその問いに答えられなかった。だって、自分でも意味が分からなかったから。知らない間にその言葉を発していて、自分でもよく分かっていないのだ。
「琉生さんの、笑顔が…………」
次の言葉も無意識だった。
自分の中で理解する前に言葉が発されていくのだ。
自分自身が怖いと思った。怖くて俺は、ただ立ちすくんだ。
「私の笑顔が、枯れる寸前の向日葵なの?」
琉生さんが俺に問うたその時だった。
「おい、そこ邪魔なんだよ!!」
俺の背後から低い声の怒鳴り声がした。
それを聞いて、しばらくそこに立って琉生さんと話していたことに気づく。
「ご、ごめんなさい………」
発してから気づいたが、酷く小さな声だった。
「すみません……。行くよ、海斗」
謝りながら琉生さんは華奢な手で俺の手を握ると、少し早足で歩き始めた。
何故かドキドキした。
琉生さんは何も知らない。
俺がドキドキしていることを。
胸の奥からの振動を抑えられていないことを。
俺の手は僅かな熱を帯びていることを。
「………ごめん、なさい」
「なんで、海斗が謝るの。そこで突っ立って喋ってた私も悪いから海斗は謝らないで」
怒っている口調ではないが、さっきと比べると少しきつい言い方で俺に言い聞かせるように言う。
「……さってと」
肉のコーナーから離れて野菜のコーナーに行くと、琉生さんは俺の手をそっと離してカゴを持ち直す。そしてそのまま野菜の並んでいる棚を物色し始めた。
俺はなんとなく話しかけづらくて、とりあえず黙ってついて行くことにしようとすると不意に琉生さんが俺の方を向いた。
何を言われるのかとドキドキしていると、予想とはかけ離れたことを言われる。
「キャベツって、どこにある?」
あまりにも予想とは違ったので口を開けたまま唖然とした。もしかしたら怒られるかもしれない、そう思っていたからだ。
「海斗?聞いてる?………あ、もしかして、怒ると思った?」
「ああ…………うん」
「怒るわけないじゃん。…………私もちょっと怖かっただけだよ」
あれ?
俺はふと疑問に思う。
同じようなことが誰かと一緒にいる時にあったような気がしたからだ。相手は怒っていると思ったけれど、実は相手も俺と同じく怖かったというようなことが。誰だったかは忘れてしまったけれど。
「んで、キャベツ探そうよ」
「あーー、うん」
琉生さんは俺の事を置いてどこかへ行ってしまった。
慌てて琉生さんを俺は追いかけた。
――――――――――
「はー、疲れた疲れた」
「歩いただけじゃないですか。それより何を作るのか、教えてくださいよ」
買い物も程々に俺と琉生さんはのんびり帰途を辿り、たった今家に着いた。
帰るなり琉生さんはカバンをその辺に放ってソファーに身を投げる。ちなみに買い物をしたビニール袋は俺が持っていたので、そのビニール袋を冷蔵庫の近くに持っていく。
「気になる〜?」
ソファーから起き上がり顔をこちらに向けてにやにやされる。
そんな琉生さんを横目に、俺は買ったものを整理するために疲れきった手で思いっきり冷蔵庫を開ける。
「気になりますよそりゃあ。人の家のキッチンで変なもの作られたりしたら、後片付けが大変ですからね」
「本当に自炊しないんだね、海斗は。普通、買ったもので大体想像が着くでしょ」
「知らなくて悪かったですね」
少しだけ言い方が気に触ったので、機嫌が悪そうに言ってみる。
「わーごめんね、海斗くん怒っちゃった?」
うっざ。
「…………あれ?」
「どうしたの?」
「いや………ずっと既視感があって」
「何に?」
俺は考える。その答えは案外簡単に見つかった。
「琉生さんに似たような性格の人がいるんですよね」
「へえ、どんな子?」
どんな子…………。その子は。
「琉生さんと同じ名前の子ですよ」
「あーーー」
思い出したと言うように声を上げる。
「名前も同じで性格も似てて………顔つきも似てるかもしれないな。ドッペルゲンガーみたいですね」
「そ、そうなんだ」
すると琉生さんは何故か知らないけど喋るのを止める。そして沈黙が訪れ、俺がビニール袋から食材を出して冷蔵庫に入れる音だけが空間に響く。
「…………そんで、結局何を作るんですか?」
「ああ!話逸れてたね。………実は実は〜」
楽しそうに笑いながら琉生さんは俺がいる側まで来て、そして冷蔵庫と電子レンジが置いてある棚の間に手を入れた。
そして出されたものとは。
「こーんなものを見つけてしまいまして」
「…………ホットプレート?そんなのあったんですね」
「自分の家の物くらい把握しなよ〜。改めて、今日は何にするかと言いますと…」
まだビニール袋に入っていた小麦粉を手に取って言った。
「お好み焼きです!」
元気いっぱいに。
「お好み焼きです、か…………」
思いつかなかった。
昔から俺の家ではお好み焼きの粉を使っていたから、小麦粉でも出来ることを忘れていた。
「え、お好み焼き、嫌い?」
「そんなことないですよ。お好み焼きは完全にお好み焼きの粉を使うイメージだったので、小麦粉でも出来ること、忘れてました」
「あー、確かにお好み焼き粉のが楽だからねえ」
頷きながら琉生さんはキッチンの棚からボールを取り出す。
「もう作るんですか?」
「早めに準備しとこうと思ってね〜。って言っても、もう5時だけど。あ、先にお風呂入っててよ」
俺の方は見ずに着々と材料をボールに入れていく。
「分かりました。………というか琉生さん、2日目なのに馴染みすぎじゃないですか?」
「え?あー………ごめんごめん。気の所為じゃない?」
「なんで謝ったのに誤魔化すんですか」
「あっ…………まあ、いいじゃん?」
「…………まあ、いいですけどね」
そんな会話をしながら俺は残りの食材を冷蔵庫の中に入れた。(途中で琉生さんがビニール袋の中から直接取り出すこともあった。)
――――――――――
「へえ〜、凄いですね、広島のやつですか」
「すごい棒読みじゃん………」
はあ、とため息をつきながら琉生さんは箸を並べる。
「いやいや、本当に凄いと思ってますよ」
「嘘でしょ〜〜」
頬を膨らませてから、琉生さんは俺の向かい側に座る。
「いただきます」
2人揃って手を合わせる。
「ん、おいしい」
思わず大きめの声を上げてしまう。
「でしょ!私は大阪のやつよりも広島の方が好みなんだよね」
「確かに、初めてこれを食べましたけど、俺も広島の方が好みかもしれませんね」
「なんか具材を食べてるって感じがするのが好きなんだよ」
「わかります」
ひとしきり感想を言ったあと、お互い黙々と自分のお皿に乗っているお好み焼きを平らげていく。
「美味しかったあ」
琉生さんは心底幸せそうに呟く。
「お茶でも飲みますか?」
「飲みたい飲みたい。待って、私準備するよ」
俺が立つよりも早く琉生さんが立ち上がって、台所へパタパタ歩いていく。
「いや、俺やりますよ」
「ん、でも、昼間ちょっと暇で〜」
言いながら琉生さんはコンロ近くでガサガサと音を立てる。
そして素早くお茶の準備もし始める。
「紅茶と緑茶あるけど、どっちがいい?」
なんだか板にハマっているなと思った。
そして想像してしまった。
「っ……………」
もしも琉生さんと結婚したら、こんな風なのかな、と。
「どうしたの?」
「あ、いや………」
「顔赤いけど、のぼせた?いやけど、さっきまでは赤くなかったよね」
「な、なんでもない」
照れてしまった顔を隠すようにそっぽを向いた。琉生さんは気づかないまま疑問詞を浮かべていた。
「それでどっち?」
「あー、どっちでもいいですよ。琉生さんの好きな方で」
「じゃあ紅茶ね〜」
カチャカチャと食器の音がする。
その音を聞きながら閉め忘れていたカーテンを閉めようと立ち上がる。
窓越しに空を見上げると、暗かった空がチカチカと光っていた。
「できたよ」
俺を呼んだ琉生さんは、紅茶のパックが入ったコップと何かが乗っているお皿を並べていた。
「ラスク?」
「正解!食パンがちょうどあって、砂糖もバターも揃ってたから」
琉生さんは俺に手招きをする。
それに応えるようにテーブルに近づいた。
「へえ、調味料なんてうちにあったんですね」
「砂糖と塩とバターと油とかはあったよ」
「驚き」
「自分の家の冷蔵庫事情くらい把握したら?」
「まじで何もしないんですよ。せいぜい牛乳飲むくらい」
「じゃあなんでトースターとかの機器は揃ってんの?」
「…………母親に自炊してるように見せるためです。全部実家から持ってきてるから、コストはゼロ」
「冷蔵庫見られたら終わりじゃん」
テンポのいい会話を進めてから、椅子に座る。
「ん、おいしい」
「私もそう思った!」
「思ってたんですね……」
自覚済みだったんだ。
けど確かにこれは自画自賛してもいいと思う。
「なんか特別な調味料とか入れたんですか?」
「ううん。バターと砂糖だけだよ」
「嘘だあ」
「嘘じゃない」
へえ。最近のレシピは凄い。
「普段手作りのご飯を食べないからじゃないの?」
「………確かに、出前とかコンビニとかですね」
「やっぱり」
「自炊用の食費は出してもらってるので、それを使って」
琉生さんは微妙な顔をする。
「それ、親に嘘をついてるってこと?」
「正直自炊なんて出来ませんし、それを言ったら、毎日親が家に来ますよ」
「………そしたら私バレるじゃん」
「そうですね。それもあるので、やめてください」
少しだけ微笑む。
「いつかバレるよね」
「まあ」
「そっか」
琉生さんが浮かべた笑顔は、先程見た、
枯れる寸前の向日葵のようだった。
近いけど遠い、数センチ。 鼠鞠 @mknorange___
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