純白ショートケーキ

しおぽてと

純白ショートケーキ

 黒井俊くろいしゅんは最近、疑問に思うことがあった。それは、前の席に座りショートケーキを頬張っている澤城聖子さわしろきよこがデートの時に必ず白いワンピースを着てくること。思い返せば、初デートをした半年前も白のワンピースを着ていた気がする。

 ワンピース以外の服がないのかとも考えたが、デート以外では赤色のカットソーにジーンズを組み合わせる姿や緑のワンピース等を着こなし、大学内ではお洒落さんとして通っている。白いワンピースと言っても、柄や形は毎回違い着こなしも少し変えていた。

 先程、店員から運ばれてきたばかりのコーヒーを一口味わう。独特の酸味と深みのあるコクに思わず舌鼓を打った。テーブルの端にあるメニューに目をやる。「HOT珈琲・五百円也」とメニューの一番上に書かれてあり、それだけの価値はあるなと思った。

 視線を聖子の方に向けると、苺を皿の端に寄せてショートケーキをもぐもぐと幸せそうに頬張っている。時折、手を休めてはアイスミルクティーを挟み、再びもぐもぐと味わう。聖子に目をやりながらカップをソーサーの上に戻す。視線に気づいたのか、聖子はいったん手を止めた。


「なに?」

「いや、別に」


 慌てて視線を逸らすと、二、三度瞬きしてから聖子はちょっと首をかしげる。


「嘘ね」

「なんでそんなこと、」

「だって俊くん、嘘を吐くと右瞼が痙攣するもの」


 ぱちんっ、と右瞼を抑える。咄嗟に目を瞑ったものの、力が強かったからか痛かった。


「なーんてね。本当は鼻の穴が少し広がるの」


 一枚上手な聖子に敵わないと思いつつ、瞼の上から手をのけた。腕を組み、右手の親指と人差し指の第二関節で鼻先を軽く摘んだりして少し悩み、あのさ、と口を開いた。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 答えられる範囲なら、と聖子は微笑んだ。アイスミルクティーの中で、カランと氷の溶ける音がする。


「お前さ、俺とその……デートの時は絶対に白のワンピース着てくるよな」


 一瞬だけ聖子の動きは止まったが、すぐにアイスティーを一口飲んだかと思うと、それで? と一言。店内の騒がしさを静かな声音で両断したものだから、俊は少し首を竦めた。しばらくとしないうちに二人のテーブル席にだけ沈黙が訪れる。地雷を踏んでしまったのか、もしや聞いてはいけないことに触れてしまったのかと考えながら内心冷や汗をかく。どことなく気まずい雰囲気に俊は居たたまれなくなり、何故かカップを両手で持つとコーヒーを口に含む。数分前に感じた旨味はどこへやら、口内に苦味だけが広がる。コーヒーには焦りの色を浮かべる自身の表情が、店内の照明とともに映っていた。

 どうすれば良いと脳を必死に回転させる俊の耳に、くすっと小さな笑いが聞こえた。聖子の方を見ると必死に笑いをこらえているのか体が小さく震えている。


「俊くん、焦りすぎ」


 聖子は笑みを湛えたまま半分となったショートケーキの真ん中にフォークを真上から刺すと、大きな口をあけて残りをペロリと平らげた。リスのように頬を膨らまし、口の中に入れたケーキをしっかり咀嚼するとごくんと飲み込んだ。アイスミルクティーのストローを指先でつまみ、三、四回ほど喉を鳴らした後、ぷはっと気持ちの良い一言。


「それと、気づくの遅すぎ」

「……悪い」


 謝らなければならない気がして呟くように言うと、コーヒーカップをソーサーの上へ。純白の生クリームがついたままのフォークを、皿の上に一つだけ取り残されていた真っ赤な苺に突き立てた。さくりという儚げな音と共に、苺の中にフォークの先が沈む。ふと、聖子は俊から視線を逸らしゆっくりと口を開いた。


「白ってさ、汚れやすいよね」


 唐突だったが少し間を置いてから、ああ、と俊は首を縦に振る。聖子は腕を動かし、俊の前に苺を差し出した。フォークに残っていた生クリームには、苺の果汁でほんのり赤色に染まっている。口を開けて苺を食べようとすると、だめよ、と聖子は手を動かし横に逸らした。どうやら食べさせてくれるわけではなかったらしい。


「……まだ、わからない?」


 えっ、と俊は首をかしげる。聖子はむっと顔を顰めると、ぱくりと苺を食べた。瞬間、んっ、と表情が歪む。どうやら酸味の強いものに当たったようだ。

 しばらく眉間に皺を寄せていたが、喉を鳴らすなり聖子の表情はもとの愛らしさを取り戻す。一呼吸開けてから、上目遣いで俊を見上げると、あのね、と聖子は恥ずかしそうに紡いだ。


「白は、汚れやすいでしょう?」

「……汚れやすいな?」


 白色のワンピースを胸の辺りでちょいとつまみ上げ、ふいと俊から目を逸らすなり聖子は続けた。


「いつでも、何色にでもなれるんだから」


 二、三度瞬きを繰り返し、聖子の言葉を脳内で繰り返す。そうして――ようやく意味を理解した。

 何色にも染まれる白を着ることで、聖子は〝その日〟が来るのをずっと待っていたのだ。

 次第に俊の頬に上っていく。照れ隠しに急いでコーヒーを飲んだ。残り少なかったのだが、それでも気管に入ると喉に大きなダメージを与える。咳き込んでいると、大丈夫っ? と聖子が驚いた声を出した。大丈夫、とは喋ることができず、何度か頷いた。

 しばらくして咳きは納まり、呼吸は正常に戻る。手の甲で軽く涙をぬぐい、心配そうに見つめている聖子を前に恥ずかしさが舞い戻り思わず口ごもった。


「あ、ぅ、そろそろ出よう」


 提案をして、俊は急いで席を立ち、伝票を持つと振り返らずレジに向かった。ポケットから長財布を取り出し支払いを済ませていると、一足遅れて鞄を肩に提げた聖子が傍へとやってきた。ありがとうございましたと店員の声を背中に受け並んで店を出る。

 西に沈み行く太陽の光が、二人を朱色に照らす。夕方だからか、駅前には帰宅途中の学生や節電の影響で早く事業を終えたサラリーマンの姿が多く見られた。これからの予定は特になく、良い時間までいつも通り俊の家でDVD鑑賞をすることになるだろう。レンタルショップは駅の隣にあり、喫茶店の前にある交差点を渡った先にある。信号はちょうど赤に変わり、駅へ向かう大勢の人達に混ざった。


「あの、さ……」


 前に立っている簾のような髪をしているサラリーマンの後頭部に目をやりながら、隣に立っている聖子の手を握る。小さくて柔らかく、ひんやりとした手の感触に思わず口元が綻びそうになるのを堪え、静かに続ける。


「もう少し……待っていてくれないか?」


 大事にしたいからこそ、常に理性と戦いながらも何とか自我を保っていた。こんなにも近くにいるのに、傍に居るのに、深く触れ合えない。それがもどかしくて、時に酷く辛く感じてはいた。けれども、もう少し時間が欲しい。聖子に相応しい男性に変われるまでの、ほんのひと時だけでも良いから時間が欲しかった。

 緊張で心臓は早く高く鳴る。心のどこかで答えはわかっていたものの、それでも再び頬に熱は上った。

 走っていた車が止まり、信号は変わる。人々は動き始めた。一歩踏み出そうとした時、小さく笑う声が聞こえた。


「――わかった」


 その言葉に、胸に募っていた緊張は溶かされ、ぽかぽかとした温もりが俊の心と体を満たしていく。


「染めてくれるのを、待ってるね」


 握っていた手は一度、離れたかと思いきや聖子はすぐに俊の手を握り返した。手のひらを合わせ、指を絡める。横断歩道を渡り、表情を緩めながらレンタルショップへ向かった。

 信号機の青色のように心はすがすがしいのだが、二人の頬は真っ赤に、けれども優しく染まっていた。

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