パラレルサマー

高野ザンク

パラレルサマー

 この問題が解けたら、ナナミちゃんに告白するんだ。


 そう呟いて英語のテキストに向かう。告白だなんてたいそうなことを言ってみたところで、俺はナナミちゃんとそんなに親しい関係でもない。ただのいちクラスメートだ。1学期、英語が得意な俺に、彼女が勉強に付き合ってと言ってきて、問題を出したり発音練習に付き合ったりした程度だ。英作文作りで困っていた彼女に色々とアドバイスしてあげたら、「肝心要のカナメくんだね」とか言ってくれて、たちまち恋に落ちた。

 そんなわけで、他の科目はちっともな俺でも、夏休みの間に自分の英語力に磨きをかけて、2学期はさらにナナミちゃんと仲良くなろうってワケ。

 夏休み最終日の今日、俺は一層勉強意欲が増していた。



 だけれど……



 2020年もいつもと代わり映えのしない夏休みが終わった。

 平凡な夏休みほど退屈なものはない。学校が好きとは言わないが、好きな子がいるなら話は違う。9月1日の始業式。俺はいつもより早く目が覚めてしまったぐらいだ。

 

 ところがナナミちゃんは休みだった。ガッカリはしたけれど、まだこの時はさほど気にはしていなかった。ただ2日、3日と休みが続くと少し不安になってきた。

 それ以上に不自然だったのは、ナナミちゃんが休んでいるのを誰も気にしないことだ。彼女は俺より友達も多くて、誰とでも打ち解けていたはずなのに、休みについての話題が出ない。もっと言えば、彼女の存在が始めからなかったような雰囲気がクラスを覆っていたのだ。それが一番気味が悪かった。


 9月4日になっても彼女は学校に来なかった。明日は土曜日。今日を逃すと月曜まで会えない。いや、それ以上に土日をこんな不安な気持ちで過ごすことなんて考えられない。

 俺は放課後、友人の増丸マスマルに思い切って訊いてみた。

「なあ、ナナミちゃんずっと休んでるけど、お前、何か知らないか?」


 増丸は、怪訝そうな表情で、信じられないことを口にした。


 「え?何言ってんだ、要……」


 「ナナミなんてクラスメート、知らないよ」


 え?何言ってんだよ。ある時は俺よりも彼女と仲良く話していて、それを羨ましく眺めていたりもしたのに!

 

 「お前、俺のこと、からかってんのかよ?」

 あまりのことに声が震えた。夏の暑さ以上に額が汗ばんできた。口の中がカラカラになる。


「からかってんのはお前のほうだろ?誰だよナナミって。最近流行りの恋愛ゲームのキャラとかなんじゃないのか?」


 愕然とした。増丸は本当に彼女を知らないという感じで、俺を担ごうとしているわけではなかった。会話を聞いていたクラスメートも皆、俺の顔を不思議そうに見ていた。

 “彼女の存在が感じられない”という俺の予感は間違いではなかったようだ。


 俺は教室を飛び出した。

 混乱した頭で廊下を走り抜けると、一気に校舎を出る。全速力で苦しくなった反面、頭は少し冷めてきた。そのまま帰るわけにもいかず、俺はまだ暑い夕方の校舎裏に回ってスマホを取り出す。


 俺のスマホにはナナミちゃんの連絡先がちゃんと登録してある。

 といっても、彼女から直接教えてもらったんじゃなく、緊急連絡簿からコピーしたものだけれど。これまで1、2回SMSを打ったことがあって、その送信履歴がちゃんと残っていた。


 やっぱりナナミちゃんは存在しているのだ!


 メッセージを送ってみようか。年頃の女の子には色々と事情があるというから、ちょっと休んだぐらいで俺がメッセージを送るのはキモチワルイかもしれないよな。かといって女子に頼んで送ってもらって変な勘ぐりをされたら、それこそ恥ずかしい。いや、それどころか、今やナナミちゃんの存在を信じているのは俺だけかもしれないのだ。誰かに頼めるものじゃない。


 俺は意を決してメッセージを送ってみた。

 ピコンという送信音とともに、今、俺が打ったメッセージが表示される。送信エラーにならないから、ちゃんと送られたんだろう。


 ふと、ここでおかしな感覚になった。

 SMSの履歴を見ると、俺からのメッセージが残っているのに、彼女からの返信は一切ないのだ。思い返すと、彼女から返信をもらったことは確かにない。メッセージを送った後には決まって彼女と普段以上に会話した記憶はあるのに。

 

 もしかしたら



 『ナナミ』という子は本当は存在していないのだろうか。



 ナナミちゃん、返事をくれ!俺は祈るような気持ちで、スマホを見つめていた。





 全く、今日も疲れたな。


 9月初めから通常授業だなんて初めての経験だからホントに参る。夕方になったとはいえ、自転車が薙ぐ風はまだ生温い。おまけにマスクまでしているもんだから、もう蒸し暑いやら息苦しいやら。


 2020年の夏は最悪だった。

 春先に流行ったウイルスによる休校のとばっちりで夏休みは1週間ほどで終わり、8月はずっと学校だった。せっかく高校生になったことだし、青春アオハルって奴?それを満喫できるかと思ったのに、調子狂っちゃうよね。

 友達と会えない長い春休みを終え、待ちに待った夏だというのに、花火大会やらお祭りやら、そういうイベントも一切中止になってしまった。まあ今の状況では仕方ないのは私にもわかるんだけど。高校1年目がこうやって過ぎていくのがただただ悲しい。


 中学の終わりに付き合い始めた圭太けいたとの関係も進展させたかったのに、彼とはほとんど会えていない。親に見られるのが恥ずかしいから学校でビデオ通話してたらこんな時間になってしまった。

 まだ感染リスクもあるんだから早く帰ってこい、と母さんはうるさい。だから全速力で自転車を漕ぐ。


 信号待ちで自転車を止めると、スマホが振動した。

 圭太からのメッセージかと期待して見ると、アプリからの通知だった。『kanameカナメ』という英語学習アプリだ。


『ナナミちゃん、最後の起動からだいぶ日数が経ったよ!さあ、僕と一緒に英語学習をしよう!』


 だなんて呑気な通知。まあ、アプリには現実世界の状況なんてわかるわけないもんね。


 このアプリは「菜々実ななみは中学英語も覚束ないから、復習するのにちょうどいいかも」と、圭太に教えてもらったのだ。圭太は学習アプリをよく知っている。他に教えてもらった『math○マスマル』という数学アプリは苦手であっというまに削除しちゃったし、他に教えてもらったアプリたちもそうだった。

 『kaname』はなかなか便利だったので、まだ残しておいたのだ。優等生の圭太の彼女としては、やっぱり少しは勉強できないと心配だから必死でやり込んだなあ。「肝心要のカナメくん」だなんて言って重宝していたんだっけ。


 とはいえ、中学英語はほとんどマスターしたし、やっぱり受験英語アプリに切り替えなきゃな。高校は離れちゃったけど、大学は圭太と同じとこに行きたいから、もっと頑張らなきゃだし。受験までの高校生活もあっというまなんだろうなあ。


 『kaname』のアイコンをぎゅっと押し込むと、アプリがぶるぶるとふるえて左上にバッテンマークが出た。

「今までありがと、カナメくん」

 心の中でお礼をいって、アプリを削除する。


 ああ、はやくマスクを外せる日が来ないかな。

 そうじゃないと、私はいつまでたっても圭太と大人の関係になれそうもない。こんなソーシャルディスタンスのまんまの関係じゃ絶対嫌だ。


 信号が青に変わって、私はペダルに踏み込む力を込めた。


 



 この問題が解けたら、ケイタくんに告白するんだ。


 そう呟いて、英語のテキストに向かう。だなんて言っても、私はケイタくんとさほど仲良しでもない、ただのいちクラスメートだ。私は英語が少し得意なので、1学期に一緒に英語の勉強をした程度。ケイタくんは結構英語ができるんだけれど、難しい発音で困っていた彼に色々とアドバイスしてあげたら、「肝心要のカナメちゃんだね」とか言ってくれた時はホントに嬉しくて、キュンってなっちゃった!

 そんなわけで、夏休みの間に自分の英語力にもっと磨きをかけて、2学期はさらにケイタくんと仲良くなるんだ。


 夏休み最終日の8月31日、私はとてもワクワクしている。早く明日にならないかな。朝になるのを楽しみにしながら、私はゆっくりと目を閉じた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パラレルサマー 高野ザンク @zanqtakano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ