04
「―…」
一瞬、自分がどうなってるんだか解らなかった。
ああ、こういう時は死んじゃった方がいいんだったっけ。
記憶がよみがえって状況を理解して、真っ先に出てきたのはそんな諦めだった。
それに思い至っても尚死ねないという事は、いよいよこの仕事向いてないのかも知れない。
それにしても、俺みたいな下っ端、生かされてるなんてどういう意図だろう。
「起きたかい?」
響き渡ったのは、凛とした女の声。
頭を振って姿を探すと、部屋の隅に椅子に座った長い髪の女性。
真っ白な髪が綺麗な、朱い瞳の美人だった。
「…あんたは?」
女は薄く笑いながら俺の前まで歩を進める。
助かる。何せ椅子に縛られたまんまじゃ、彼女の方を見てるだけでも首が痛い。
「アタシはシャル・ラッハ。知ってるだろう?トカゲさん。」
「シャル…ラッハ…」
知ってるも何も、シャル・ラッハだって!?
「いや、驚いた。世間を騒がす"緋のヴァンパイア"が、こんな美人だったとは。」
それにまた、彼女はくすくすと笑った。
いやぁ、本当に綺麗な人だ。
ずっとヴァンパイアってのは美女とかだったらハマるだろうなとは思ってたけど、予想以上だ。
白い髪も朱い瞳も透き通る肌も、何もかもが彼女を魅力的に飾り立てる。
「あんた、いい度胸してるねぇ。」
どんな状況だって、綺麗なものは綺麗だ。
「黙ってないで、アンタも何か言ったらどうだい?アーベン・ナハト。」
驚いた。
俺の後ろに、まだ誰か居たらしい。
低い苦笑いが聞こえて、
「俺からは何も言える事はねぇなぁ…。」
―あぁ、そうか。
俺を嵌めたのもこの人なんだから、此処に居たっておかしくない。
ユウさんに掛ける言葉は持たず、暫し沈黙が落ちた。
「ほんとに、アンタは…まあいいや。」
言いかけた何かを飲み込んで、シャル・ラッハは俺に視線を戻した。
「不思議そうだね、言いたい事があるんだろう?」
「なんで、俺を捕らえたんだ?聞きたい事があるのはそっちじゃないのか?」
朱い唇が不吉に吊り上る。
その酷薄な笑みすらも彼女に似合っていて、何だかキレイだ。
「アンタを生かしてあるのはねぇ、くく。」
楽しそうに笑って、彼女はそれ以上言わなかった。
「アンタに訊きたい事は無いよ。利用価値も無い。ちょっと邪魔だったから消えて貰う筈だったのさ。ただ、ねぇ。」
さも可笑しそうに、目を細める。
そのからかう様な視線は、俺を超えて、その後ろのユウさんに向けられている。
その意味は、俺には解らない。
「さ、アタシは少し出てくるよ。…済ませときなよ、アーベン・ナハト。」
「え、おい!?」
制止虚しく、キレイに白い髪を揺らしてシャル・ラッハは出て行った。
取り残された俺と、"アーベン・ナハト"。
「………」
意を決して、口を開く。
「ユウさん、"緋のヴァンパイア"の一味だったんだ?」
彼は俺の前に姿を見せる事無く、背後から返事を寄越した。
「なぁトカゲ。お前何時だったか訊いただろ、何故ヴァンパイアが軍部に逆らうのかって。」
そんなに過去の事でもないのに、ユウさんはやけに遠い事を思い出す様にそう言った。
「この眼、教えたよな?遺伝子操作の賜物だって。」
それこそいつだったか、会って暫くして、酒の席で教えてもらった。その朱い瞳は遺伝子操作によって授かった物だと。
それはそれ、単一の事実として記憶していた。
「奴等も皆そうなのさ。"ヴァンパイア"はその殆どが、遺伝子弄くられて作られたPuppeなんだよ。」
「じゃあ、それを指揮したのが軍部だと?」
「ま、そりゃちょっと違うんだがな。」
太陽に嫌われた闇の寵児達。
彼らが増え始めた頃、その機構を研究し始めた者達が居た。
彼らは太陽にあたれないその代わりに、何某かの特殊な能力を持っている事が多かった。
例えば、異様に夜目が効く者が多い。
他にも、赤外線を感知できる眼を持つ者、第六感の優れた者、可聴音域が超音波の域まで達する者と様々だが、何れにせよ、光の少ない場所で行動するのに適した能力が向上している者が多いようだった。
「それを、理由解明の為だか何だかで純粋に研究してたらしいな。当初は。」
日光に当たれないのではろくな生活が送れない。
日常生活に支障をきたす奇病として、その治療法解明の為の研究施設があった。
そこに居た"ヴァンパイア"達は、施設の庇護を受けながら、それでも比較的人間らしく生活していた。
偶に検査などを受けるだけで生活を保障されるような、寧ろいい生活を送っていたのだ。
「そしてある日、一人のヴァンパイアが生まれた。ヴァンパイア同士の間に生まれた、純粋なヴァンパイアさ。」
ただし、その赤ん坊は、母親の腹を焼ききって生まれてきた。
禍々しい、赤色の瞳を持って生まれた純血のヴァンパイア。
その能力は、もはや"人間"を凌駕していた。
「それからさ。軍部が介入してきたのは。」
いい兵器になるとふんだのだろう。
その子供の遺伝子を解析して、他のヴァンパイア達に混ぜ込んだ。
「で、俺達が作られたわけだ。」
背後でユウさんの苦笑が聞こえる。
「その"原初の赤子"はなぁ、一番の研究対象だったもんだから、そりゃあまた大層捻くれて育ったワケだ。本当にもう、それなりの力があるもんだから誰にも止められやしねぇ。」
思い出に浸るような口調のユウさんに、俺の中で嫌な予感が広がる。
「真っ白な髪に真っ赤な眼。誰よりもヴァンパイア然としていたアイツは、その眼の色からか能力からか、いつしかこう呼ばれるようになった。Scharlach―"緋のヴァンパイア"ってな。」
ははあ。それで、あんなに偉そうなわけだ。
「それが、なんだってこんな所に。」
「まぁ長い話だが、最後まで聞けよ。」
ユウさんが姿勢を直したのか、木の軋む音が聞こえた。
「でもな、そんな高慢な女にでも、好意を持つような物好きは居たわけだ。」
"原初の赤子"の遺伝子を持って作り出された、第一の子供。
外へ向けた能力こそ持っていなかったが、それでもその子供は稀有な力を持っていた。
昏い赤色の眼を持つその子供を、誰かが「夕焼けのようだ」と言って、Abennacht…夕闇と名付けた。
彼は一歳だけ年上の「母」と共に育ち、彼女の世話を任された。
年頃になればいつの間にか自然と二人の間に愛は芽生えて、シャル・ラッハは子を身篭った。
「………ぇ。」
「え、ってなんだよ、おい。」
「あ、いやいやいや。続けてくれ。」
ユウさん、子供…いたんだ。
いい歳なんだからおかしくはないんだけど、…おかしいわ。
「…お前な。ったく。まぁいい、でだ。めでたく子供は出来たんだが…」
その子は、何も持っていなかった。
軍が望んだような特殊な力は、何一つ持っていなかったのだ。
「俺は正直喜んだ。シャルも、アイツは何も言わなかったが、それでも満足そうに微笑ってたんだ。
でも、施設にとっちゃあそんな子供は要らなかった。」
そして、決定が下った。
子供の「処分」だ。
「…マジかよ。」
「マジだ、マジ。で、流石にそれ聞いてアイツもキレてなぁ。研究所丸々一つ、消炭にしやがった。」
………マジか。
大火災。
崩れる瓦礫の中で、彼女は我が子を探して彷徨った。
アーベン・ナハトが彼女を見つけ出し、子供を返せと喚く彼女を無理やり外へ連れ出した。
「…研究員の一人がな、俺たちの子を可愛がってくれてて、交渉してくるって言ったまま、帰ってこなかった。あいつにだって、自分の子供が居たのにな。」
そして、その火災の折逃げ延びたヴァンパイア達の中から、攻撃的で復讐意識を持った者達から結成された組織が、彼らの輝ける女王、怒りに赤く燃え盛る母の名を冠した、"緋のヴァンパイア"。
「なんか…現実感ねぇや…壮大だな…」
俺には、そんな事しか言えなかった。
「はっ。人事じゃねぇんだぜ?…全く、本当に覚えてないのか。大した術かけたもんだぜ叔母さんも。」
「は?」
覚えてないも何も、…普通十何年も前の事件なんて、それも子供の頃の事件なんて記憶してない。
ニュースか何かで聞いた事程はあるんだろうが、それだけだ。
「違う。お前も当事者だ。居たんだよ、お前もその施設に。五歳程までだったかな。」
「…は?」
待て待て、五歳っつったら記憶があってもおかしくない。
俺はそんな火事の記憶なんかないし、そんな施設の事なんて今まで知りも―…
「帰ってこなかった研究員な、そりゃお前の父親だ。で、外見マトモなお前なら外で生きていけんだろって、俺達はお前の父さんの知り合いにお前預けたんだよ。
まさかそのままあそこで育って、殺人集団の仲間入りするたぁ思ってなかったけどな。」
「―…へ?」
もう、ユウさんが何を言ってるのか完全にわからない。
「ボスは、えーと…自分の駒として育てる為に孤児院から拾ってきたって…」
「うわぁ、最初っから暗殺者に仕立て上げる気まんまんだったのかあの野郎。」
ユウさんが棒読みで驚いてみせる。
「えー…と。じゃ、ユウさんが俺助けてくれるのは…」
「誰が助けたよ、誰が。お前誰の所為でこんなトコで縛られてんのか解ってんのか?
…まぁお前は俺の母さんの姉さんの子供だからな。偶に様子くらいみてやろうかなってだけだよ。」
「ぃえ"…ッ!?じゃ、ユウさん俺の従兄!?」
驚愕の血縁関係。
嘘だぁ、俺こんな捻くれた奴と血ぃ繋がってんのか!?
「って、いやいやいや!だから俺そんな記憶一切無いってば。」
「そりゃ、叔母さんの掛けた暗示が効いてんだろ。お前が平穏に暮らせるようにってな、記憶を封じた。」
記憶を…封じた?
「母さんが?」
知りもしない誰かを「母さん」と呼ぶ違和感はあったが、細かい事を気にしては話が進まない。
「あぁ。」
何だか、騙されてる気がする。
そりゃあ俺だって裏世界の人間だから、ある程度突飛な話には免疫があるが、此処まで現実離れしてるともう完全についていけない。
まだ、ヴァンパイアを迫害する軍部とそれに抵抗するレジスタンツの図式であった方が幾らも納得し易かったのに。
「でも、なら…やっぱりユウさんは"緋のヴァンパイア"だったんだな。嘘吐いたな。」
「け。言ってろ。あん時は嘘じゃなかったんだよ。」
そう。
あの時は嘘ではなかった。
シャル・ラッハから逃げ、時折トカゲの仕事上の世話をする程で、本当に何とも関わっていなかった。
「事情が変わった。トカゲ、その研究所な…まだ在るんだよ。」
「は?全焼したんだろ?」
そう。施設は全焼した。
それでも、残ってしまったのだ。
研究者たちの一部と、最も大切な…
「俺達の子供がな、生き残っちまってたんだよ。」
苦い、苦い言葉を吐き出した。
あの子は、あの火災を生き残った。
話によると、それも無傷で。
その幼子は、燃え滾る炎の中で、ただ母を求めて泣いていた。
その焦げ茶色の瞳を、辺りの炎で真っ赤に変えて。
母に―両親に捨てられたと信じ込んだ子供は、その身に灼熱の怒りを灯した。
力ない筈の子供は、生き残る為、隠された力を開花させた。
施設の教育を受け、その子は、施設に住む以外のヴァンパイアを全て敵視する。
自分を捨てた両親。
自分を捨てた同族。
幼い子供が一人で立ち上がる為には、憎しみという鎧が必要だった。
「なんかなぁ…もう全部、終わらせたいんだよ。だから、研究所ぶっ潰して、『終わり』の始まりだ。」
トカゲ 炯斗 @mothkate
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