Sliver

 静かな寝息を立てるお嬢様の横で私は窓の外の月も太陽も失われた暗闇へと目を向ける。


 全ては欺瞞と罪悪へ堕したこの世界で、鏡像の月明かりのみが世を照らす灯りだった。


「…子供の頃は暗闇が恐ろしくて。眼を凝らすとそこに何かが棲んでいるように思えて仕方なかった」


 暗闇の中から現れたヴィドのその表情は逆光で見えなかったが、その両手には不死者を葬るための一対の双剣。不死斬りが握られていた。


「ヴィド…?」


「あの暗闇に何がいるのか、僕は未だ知らない。微睡むような眠りだけが自分を慰めた…姉さんは時々、想像することはない?」


「ヴィド…一体何を…」


 ヴィドの双剣が閃く。その円月の形をした刀身は蛇蝎の如くぬらりと月夜に輝いた。ヴィドはその”何か”を指し示すように傍らで安らかに眠るお嬢様に視線を移した。


「眠ったまま死ぬことができたらって…」


 怒りで顔にさっと朱が灯る。


「よせ!私達には過ぎたことだ…!」


 一喝をすると、ヴィドはゆっくりと双剣を脇に下ろした。その表情から感情や思惑は読み取れなかった。


「お嬢様の不死の兆候は…いつから…?」


「…つい最近だよ」


 ヴィドの双剣が月夜の下、誘惑をする娼婦のように煌めいた。


 寄る辺を失い、混乱する心境に更に追い討ちをかけるようにヴィドは続けた。


「姉さん、絵画世界は完成しないんだよ」


「…お前は…何を言っている…??…何を根拠に…!」


 ヴィドが懐から掲げたのは”魔導錬金術書”と言う文字の描かれた書物だった。ヴィドはいっそ泣き笑いのような表情を浮かべた。


「……姉さんは一度でも目を通した?文字の読めない姉さんがそんなことをするわけないよね……これによるとね…絵画世界の具現に必要なものは…不死者の人間性…神の血液…神族の魂…この世界の最後の神族はお嬢様だけ…この意味がわかるよね?…」


 なぜ…?心中にいくつもの虚しい疑問符が浮かび、暗澹たる思いがこみ上げ、私は静かにその場で膝を折った。  


「…このことを…お嬢様には?」


「まだ伝えてない」


「…決して伝えてくれるな…頼む…」


「姉さんは…またそうやって何も生み出さない闇へお嬢様を閉じ込めるんだね…」


 ヴィドの責めるような視線が私を苛んだ。私は歯を食いしばった。


「後生だ…頼む…」

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