A thousand kisses deep
わずかに残った人間性が金切り声をあげる。獣のような自らの呼気が蒸気機関の様に激しい。
毒物を仕込まれたように、沸騰するように身体が熱くなっていくと同時に身体の奥に凍えるような冷気が流れ込んでくる。
意識は高く、低く。覚醒すると同時に混濁し、何よりもひどく寒かった。
流れ込んでくる意識の奔流。それは罪の記憶。
これは私の最初で最後の不敬に当たるだろう。
その血が、穢れが、私の魂を穢そうが知ったものか。
自身の救いへの希望などとうに捨てた。
暴力への渇望。
それらが濁流となって身体を駆け巡る。
「姉…さん……?」
ふと、聞き慣れた声が聞こえた。私は安堵した。
これで私の最後の望みは果たされるだろう。
ヴィド。
貴方には最後に何と
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
僕は朱に染まった双剣を抱え城の周辺を歩き回っていた。何もかもが空虚だった。救いようのない世界がまた一つ終わりへと歩を進めた。それだけのことだった。だが身体に絡みつくような虚脱感は拭い難く、僕は姉の姿を必死で探し求めた。
「…姉さん?」
そして城の墓地で見つけたのは、亡骸を喰らう姉さんの姿だった。僕は恐ろしいことに気がついた。
「まさか…王の…亡骸を…」
姉さんは僕の存在を認識すると、”食事”を中断しぶらりと傍らの大剣を片手にぶら下げた。その動きは不気味にしなやかで、野生の獣を思わせた。
「…姉さん!!」
姉さんから返事らしい返事はなく、唸るような悪声を垂れ流すだけだった。
姉さんは咆哮を上げ、身を低く構えると僕に向かって鋭く跳躍した。
僕はそれを片手の不死斬りでいなし、横に転がり退避した。
傍目には骨格や肉体の限界を度外視した滅茶苦茶な動きだった。
「姉さん…お嬢様はもう…!!」
伝わるはずもない言葉。憤怒以外に何の感情も宿さない瞳。
視界の端にあるのは、最早原型すら留めていない痛ましい王の遺体だった。穢れた王の魂は姉さんを理性なき、言語すら介しない獣へと変じた。
チリ…
わずかに鈴のような音が鳴り、はっとした。姉さんの手に握られていたのは、遥か昔に王より下賜されたペンダントだった。
修羅と成り、成り果てて、それでも姉さんは遠いあの日に騎士としての誇りを思うのだろうか。
ならば…なぜ…?
その時、恐ろしい考えが脳裏を掠めた。王の肉体を体内に取り込むことで、絵画世界の原料たる王の…神族の血を自らの身体に得ようとしたのだとしたら?
尋常の考えではない。だが、もしそうだとしたら…これほど
再度、獣の咆哮が響いた。
姉さんの最早理性の宿らない瞳の奥に、僕は自らに託された願いを見た気がした。
僕は懐かしい何かを断ち切るように一呼吸した。
かつて姉だったものと相対した僕は両手の双剣の柄を握り込む。
わかっている。わかっている。
姉さんも僕も悪戯に時間を重ねてきた。苦しみに耐え抜いてきた。
新たな死に抱かれ存在が消滅しても、明くる朝にまた闇から吐き出される僕たちは、情と憎しみの狭間も
たとえこの生に
僕は殺そう。
世界に、死にすら見捨てられた僕たちを、それすらも包む修羅と成ろう。
再度の咆哮。そして再度の跳躍。
「ああああああああああああああああ!」
同時に僕は不死斬りを逆手に持ち替えた。耳の真横を僅かに切り裂く剣戟を寸手で避けると同時に剣を無我夢中で振り抜いた。
鎧の狭間をすり抜け、肉が裂かれていく感触。
振り向くと、獣と化した姉さんは糸の切れた人形のように立ち尽くし、その場で倒れ伏した。
僕は切れ切れになった息を整えると、死の
姉さんは苦しそうに血反吐を吐いた。血痰が喉に絡み、苦しそうに喘いでいる。
身体の反射で姉さんの目から涙が溢れた。微かに怯む心を握り潰し、僕は姉さんの腹の中心に双剣を突き立てるとそこに捻りを加えた。獣の遠吠えのような断末魔が、僕の耳には遠く聞こえる。
この感情は、恐怖だろうか。この手が震えるのは、恐れゆえだろうか。
でもこの手は止めてはならない。
姉さん。
大丈夫だよ。
今、僕が。
二度とこんな残酷な世界で目覚めてしまわないように、粉々に殺すから。
「お…じょう…さま」
血泡を吐く今際の際に姉さんの口からは掠れ声が。目からは、一筋の黒い涙が零れていった。
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