第5話 わが家へようこそ

「『わが家』の原稿はこれで最後ですね。」

「ああ。」

 半年かけて凍華が書き上げてきた、『わが家』は良い出来だった。『ファクターアクトドア』とはまた違った、実際の経験に近い話。天涯孤独の小説家が、女子大学生とその甥とともに奇妙な妖精付きの家にルームシェアする話。

「まんまじゃないですか。」

設定を聞いた時に、思わず吹き出してしまった。でも、凍華が書きたいというのだから、書かせてやりたい。そう思って待ってみたら、この話だった。

「家族ってなんだろうって。それを考えてみたくて、こういう話になりました。」

家族、血がつながっていて、許容範囲が他人より広くて、でも、それだけが家族じゃない。

「血がつながってなくても、大切に思いあうのが家族かなって。教えてもらって、それを表現したかったんです。」

 凍華は答えを見つけたようだ。前の行き詰っていた彼女はもう、どこにもいない。

「これでオッケーです。水木さん、お疲れさまでした。」

 普段クールな凍華だが、校了を告げる際はほっとした表情を浮かべる。

「でも、この話まだ起こっていないことまで書いてありますけど、現実の方もそうするんですか?」

「ん?二人が喜ぶならそうする予定です。」

「そうですか。如月君と一葉ちゃんは元気ですか。」

「ああ。今日も一葉は学校で、そういえば、参観日だとかで、如月ママが学校に行っているみたいで。」

「え。水木さん・・・。それ、凍華さんも行った方がいいですよ。」

「ん?」

「だって、一葉ちゃんの雄姿ですよ。しっかり見てこないと。家族なんだから。」

 凍華は少し驚き、ちょっと照れた様子で、

「・・・それもそうだな。このまま行くとするか。」

帰り支度を始めた。

「待ってください。ちょっと、今から助っ人呼んでくるので、待っていてください。」

 神田はTシャツとスキニー姿の凍華に待ったをかけて、同じフロアのファッション誌の編集に席をおく、同期の久木を呼びに行った。久木は凍華を見かけるたびにモデルみたいだと、ギャーギャー騒ぎ、着てほしい服がある、と散々言っていたのだった。

 案の定、久木は大喜びで神田の申し出を受け、凍華に似合う服を貸し出した。どうにか、ラフ凍華を学校に送り込まずに済み、ほっとした神田へ凍華が

「ありがとう。神田さん。」

と笑顔を向けてきた。凍華は畏怖するほどの美人だ。その美人が微笑んでいる。普段、表情がめったに変わらない彼女が。神田はああ、と心で息をもらす。無理。ほんと好き。押しのアイドルに会えたオタクのようになる。

 凍華は神田に声をかけて、さっと、編集室を出て行ってしまう。

「水木さん!!」

思わず、神田は声が出ていた。

「神田さん、どうした?」

「俺は、出会ったときからずっと水木さん、いや凍華が大切だ。才能だけじゃない。人として、好きなんだ。」

「神田さん・・・。フロアに響き渡っているぞ。」

「あっ。ご、ごめん。その、『わが家』読んでいたら、今言わなきゃいけない気がして、つい。」

 ああもう、俺めちゃくちゃかっこ悪い。神田はもじもじしてしまう、自分が情けないやら、断られるのが怖いやらいっぱいいっぱいになる。

「なんで、いつもそういうことは気づくのかな。神田さん。」

「え?」

「まあ、とりあえず帰ります。参観日あるので。あ、そうだ。私も少しは好きですよ。神田さんのこと。今度、ご飯行きましょう。」

「え!!」

 ヘタレ神田がついに告白した、しかも両想いかもしれない、という話は瞬く間に会社中に広がっていった。しかし、肝心の付き合うだの、の話にならないところが神田らしいと皆笑いあった。

 当の神田はデートに誘われたと、舞い上がってしまっていた。凍華は如月に言われた、いつもありがとう感謝のご飯会のつもりだということだったが、ついに当日までわからなかった。



「わたしのかぞく。二年三くみ、あしはらいちよう。私の家ぞくはかわっています。わたしのすんでいる家は、わがやという、いっけんやのかしやです。」


 トーカパパは、普段はヨレヨレの格好をしていますが、とても美人です。おそらく、綺麗な格好をしたら女優さんみたいになると思います。トーカパパの仕事は作家です。水木凍華(ミズキ トーカ)というのが、トーカパパのぺンネームです。トーカパパは、タバコも吸わないし、お酒も飲みませんが、毎日浴びるほど珈琲を飲みます。そのため、こだわりもあって珈琲ミルがうちにあります。

次は、如月ママを紹介します。如月ママも私の本当のママではなく、私の叔父さんです。二十二歳の大人ですが、低収入です。ある日、本当のママから預けられた私と暮らすため、安い家を探していたところ、『我が家』を見つけました。実際に観に行くと、家の前に綺麗な女性が立っていました。それがトーカパパでした。



トーカパパには担当編集者がいて、神田志臣(カンダ シオミ)さんといいます。トーカパパが、土木工事のアルバイトをしていた際に貧血を起こして倒れたのが信号待ちの神田さんの車の上でした。神田さんに助けられて、その後入院していたトーカパパが神田さんにお礼を言うため電話したところ、作家だということがわかり、出版社の神田さんは見舞いのついでに話を聞きに病院に来ました。神田さんはその時、トーカパパに一目惚れしたそうです。

この時まで、トーカパパはぶ厚いメガネをしていて顔が分からなかったそうです。(これを瓶底眼鏡っていうんだと、神田さんは教えてくれました。)それからずっと、神田さんはトーカパパに人としても、才能としても惚れているんだそうです。が、デートはしたことないそうです。


一葉の発表が終わった。初めて小学校の参観日に父兄として参加するという、大役を終えた俺は心の中で、一葉に家のことを口止めすることを忘れていたのを激しく後悔していた。家に妖精・・・。そんなパワーワードが出てきただけで、今の子どもたちは何をするかわからない。ただでさえ、一葉は本当の両親と暮らしていないのだから、親がいないことしていじめられるのではないだろうか。

ガラガラ、とあまり控えめではない扉を開ける音が教室中に響いた。颯爽と中に入ってきたのは、少しウェーブのかかったカプチーノのような色の長い髪に、すらっとしたグレーのパンツスーツが似合う女性――凍華さんだった。

 つかつかと俺の隣に歩み寄ると、一葉の方を見て

「なんだ、発表には間に合わなかったか。残念。」

とつぶやいた。

「凍華パパ。」

一葉は嬉しそうに凍華さんを見ている。

「どうしたんですか。今日は来れないって言っていたのに。」

「神田にな、この話をしたら、凍華さんも行かなくっちゃ駄目ですよって、打ち合わせもそこそこに着替えさせられて、送られたんだ。」

 神田さんのまっとうな意見に僕は、拍手を送りたくなった。そう、参観日というやつは昔から大体、母親か父親の来るもので、(両親ともにってパターンもあるぞ!)やたら若いだけの男がいたら目立つのだ。さっきから、僕もそのような好奇な視線にさらされて辟易していた。けども、もっと早く凍華さんを送ってほしかったと悪くない神田さんに心の中で苦情を呈した。



 衝撃の退去宣言は、なんと、如月と一葉の二人を別の所で暮らさせて、ほとぼりが冷めるまで待つという内容だった。睦月たちが一葉の居場所を知ったからまずい、ということでの措置だった。凍華はさらに、如月に自分の口座に入った給付金を睦月の口座へ振り込ませた。

「もともと、これが目的なら、これさえあれば何も言ってこないかもしれない。」

 如月が言われたとおり、送金すると、とくになにも連絡はないが、かといって、家に来るということもなかった。

 如月と一葉の新しい住居は、なんと、早苗の家の近くだった。早苗はすでに企業の内定が決まっており、まだ、すこしバタついていた如月に代わって一葉の面倒を見てほしいと、たのんだところ、快く引き受けてくれた。一葉が早苗になついて、如月が帰ってくるまで一緒にいたりするうちになぜか、一葉がたまに

「・・・おじちゃん鈍感。」

と言うのがよくわからないが、それ以外は順調だ。



 学校からの帰り、一葉と如月と凍華は並んで歩いていた。途中までは一緒だ。

「打ち合わせ良かったんですか。」

「ああ、無事にあのまま出せそうだ。」

「それは良かった。」

「ああ、あの作品の願いも一人の読者に届いたし。大成功だな。」

「願いって何ですか?」

「『わが家』を読んだら、大切な人に気持ちを伝えたくなるように、書いてみた。自分ではいつも、ありがとうっていう感謝を伝えるようなさくひんのつもりだったけど・・・ふふ。」

「なんですか。気になる。」

「また今度話すよ。あ、もう一つ、願いがあったんだ。一葉、如月ママ。」

「なんですか、改まって?」

「なーに?」

「また一緒に暮らそう。」

 凍華はそう言って微笑んだ。そうか、二人も同じ気持ちでありますように。



 小説家は木佐子と一郎にこう言った。「また一緒に暮らそう。」と。(『わが家』より終わり部分から抜粋)



                                  終わり




おまけ


 久しぶりにあの家の前に来た。一葉はもうすぐ着ることがなくなる高校の制服、ブレザーの襟を正した。インターホンを押すと、はーいと、元気な男の子の声がした。扉があくと、勢いよく小学生くらいの男の子が扉を開けてくれた。

「あ、一葉おねえちゃんだ。」

奥から、カプチーノのような髪色をしたショートカットの女性が出てきた。相変わらず、美人だが、柔らかい雰囲気がする。

「久しぶり。一葉。元気にしてたか。」

「お久しぶりです。凍華パ・・・じゃなかった、凍華さん。」

「はは。呼んでもいいよ。」

男の子・・・晴太(はるた)はくりくりとした凍華似の目で、不思議そうに母と少女のやり取りを見ていたが、すぐに

「一葉おねえちゃん、遊ぼう!」

と一葉の足元にしがみついた。

 我が家には今、神田夫妻とその子どもの三人で住んでいる。そうそう、大家さんもたまに現れる。

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家族ごっこ 文字ツヅル @kokoga

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