第2話

「ハジメとアカリは、本当のお姉さんと弟みたいだねえ」


 電動モーターでゆっくりと進む車椅子に揺られながら、日傘を手にしたばーちゃんがしみじみと言った。


「またそれを言う? 私はハジメほど真っ黒なつもりないんだけどな」


 そう言ってアカリは自分の二の腕を捲ったり、ふくらはぎを見下ろしたりする。彼女の言う通りアカリの肌も日焼けしてはいるものの、ハジメのこんがりと焼けた小麦色の肌に比べればまだまだ白い。


「それにほら、ハジメは一重だけど私は二重だし。鼻だって私の方が高いし」

「なんかさりげなく俺のこと落とされてる気がするんだけど」


 ハジメが口を尖らせると、アカリは小さく笑いながら舌を出す。ふたりのやり取りを耳にしていたばーちゃんは、だがアカリの言葉に対して小さく首を振った。


「見た目云々の話じゃないんだ」


 それはアカリがこの島を訪れる度に、ばーちゃんが必ず一度は口にする決まり文句だ。


 見た目じゃないなら中身だということになるのだろう。だがハジメには、ばーちゃんが何をもってそんな感想を抱くのか、読み解くことは出来ない。


「そんなことより、そろそろだよ」


 話題を切り替えようとして、ハジメは三人の行く先に指を差した。彼の指が示す方向へと、アカリとばーちゃんも顔を向ける。


 三人の視線の先には、人工的に切り拓かれた急斜面の山肌一面を占める、黒々としたパネルがずらりと敷き詰められている。それはハジメとばーちゃんの家の電気を生み出す、太陽光発電用のパネルであった。


 昨日、夕刻から数時間ほど降り続いた豪雨は、予想以上の強風を伴っていた。日が暮れる頃には雨風共に収まったから大したことはなかったとも言えるが、念のために発電施設やら何やら被害を受けていないか確認した方がいい。


 というわけで三人揃って明け方からの、島内散歩の最中であった。


「ざっと見た限り、修理が必要なのは七、八枚ってとこだね」


 アカリとふたりで手分けしてパネルを端から端まで見て回り、ひととおりチェックし終えたところでハジメがばーちゃんに報告する。アカリも少年の言葉に頷きながら言葉を足す。


「あの程度の交換なら昨日持ってきた資材で足りるよ。本当は来月のメンテナンス用のつもりだったんだけど」

「だからあんなに大荷物だったのかい。あんまりはしょるなと言いたいところだけど、今回はお陰で助かるんだから、まあ良しとしよう」


 車椅子に備え付けられた日傘の陰に隠れて、ばーちゃんの顔色は窺えない。その代わりにハジメの耳に聞こえるのは、ふたりの報告内容を手元の端末に入力する、キーボードの打鍵音であった。


 ばーちゃんの車椅子はなかなかの高性能だ。ちょっとやそっとの傾きじゃバランスを崩さない姿勢制御装置付きで、高台から埠頭までの急坂をものともしない。背凭れや肘掛けにはオプションパーツを取りつける、アタッチメント機能も充実している。今も肘掛けの内に収納可能なアームの先にあるミニテーブルの上で、ばーちゃんは時折り老眼鏡の鼈甲縁を押し上げながら、ホログラム・スクリーンに目を凝らしつつキーボードに指を走らせている。


 ばーちゃんはこの薄い板のようなキーボード状の端末を片時も手放さない。普段から車椅子のアームに固定させて、肘掛けの中にミニテーブルと一緒に仕舞い込んでいる。そして何かあればすぐに取り出して、メモを取るかのようにキーボードを叩き始める。


 まるでこの島で起きたこと全てを、片言も漏らさずに記録しようとするかのようだ。


「家の通信施設は無事だったし、このぐらいで済んでまだ御の字だよ」


 ばーちゃんがキーボードの上端のボタンを押すと、一瞬でホログラム・スクリーンが掻き消える。そのまま端末はミニテーブルごと車椅子の中に収納された。一連のばーちゃんの作業を黙って見守っていたハジメとアカリは、そこでようやく口を開く。


「じゃあ修理はまた午後か明日にでもするとして……」

「そろそろお昼ご飯にしない?」

 

 示し合わせたかのようにお腹を抑えるポーズを取るふたりを、ばーちゃんは老眼鏡を外しながら呆れ顔で見返した。


「そろってお腹を空かせるなんて、やっぱりあんたたちは似た者同士だね」


 昼食は太陽光発電パネルのある斜面よりもやや高い位置の、展望台で取ることになった。


 展望台はほとんど切り立った崖の上にある。ハジメの膝小僧ほどの高さの柵越しに望む景色は、周囲に辛うじて足場になりそうな岩肌が覗くものの、顔を上げれば島の北側から東側一面に広がる海原を一望することが出来た。ぽつんとある四阿あずまやには訪れる者が寛げるよう、ふたつのベンチが設けられている。そのひとつに腰を下ろしたアカリは、ばーちゃんの車椅子の後ろに回ったハジメを「早く早く」とせっついた。


 車椅子の背凭れに引っ掛けてあったバックパックの中に手を伸ばしていたハジメは、程なく弁当箱を取り出した。空いたベンチの上に広げた弁当箱の中には、握り飯が全部で八個詰まっている。


「これが鮭、これが昆布。梅干しとおかかは……」

「おかかはこれだよ、はい」


 ハジメが間違えずに差し出した好物を受け取って、アカリは礼もそこそこに齧りつく。見るからに美味しそうな食べっぷりは、何度見ても感心するほどだ。


「ばーちゃんはどれにする、鮭がいい?」


 そう言ってハジメが握り飯を取り出すと、ばーちゃんは右手を立てて首を振った。


「ああ、一個丸ごとはいらないよ。一口分で十分さ」

「……うん」


 一瞬の間を置いて頷きながら、ハジメは手の中の握り飯を割る。その内の小さい固まりを「ありがとう」と言いながら受け取ると、ばーちゃんは握り飯を両手に持ってゆっくりと口にする。


 残りを口にしようとしたら、すかさずアカリに奪い取られてしまった。なぜか勝ち誇る彼女の顔を無視して、ハジメは改めてばーちゃんにちらりと視線を向ける。


 最近のばーちゃんは、以前に増して食が細い。


 かつて大病を患ったばーちゃんは、その後遺症で車椅子生活を余儀なくされた。ハジメは自分の足で立つばーちゃんを見た記憶がないから、もう十年以上も車椅子で過ごしていることになる。その彼の目にも、ここ数日のばーちゃんは日に日に痩せ細って見えるのだ。その上に食を減らしつつあるばーちゃんの体調が、ハジメには少々気掛かりであった。


「まだ食べないなら、あんたのおかかも私がいただいちゃおうかな」


 ハジメから取り上げた鮭握りを早くも食べ終えようとするアカリが、空いた片手で三個目を手にしようとする。


「一種類一個ずつっていつも言ってるだろう。梅干しで我慢しろよ」

「ちぇっ、ケチ」


 大袈裟に舌を出すアカリをよそに、ハジメは残りひとつとなったおかか入りの握り飯を手に取った。今朝、彼自身で用意した握り飯は、当たり前のことだが彼の手にちょうど収まる大きさだ。一口を含んで、塩気もちょうどいいことを確かめてから、二口目を口にする。


 三人が昼食を取る四阿から見下ろすと、手前の森はところどころが一部なぎ倒されて、強風が島に残した傷跡がそこかしこに見て取れる。だがさらにその向こうへと目を向ければ、瞳に映るのは雲ひとつ見当たらない晴天に穏やかな海ばかり。昨夕の雨風が嘘のように、どこまでも澄み渡って晴れやかだ。


(ばーちゃんの言う通り、パネルが何枚か壊れた程度で済んで良かった)


 そんなことを考えながら水平線を見つめていたハジメの目が、ふと動きを止めた。


「あれ、なんだろう」


 彼の呟きを聞いて、手についた米粒を逃すまいと人差し指を咥えていたアカリが顔を上げる。


「なんだって?」

「ほら、あそこ。なんか見えない?」


 ハジメの指先につられるようにして、アカリはベンチから立ち上がりながら海原へと顔を向けた。


 アカリはむうと唸りながらしばらく両眼を凝らしていたが、やがて視線を逸らさないままハジメに向かって手を伸ばした。


「ハジメ、オペラグラスあっただろう。貸して」


 そう言われる前に、ハジメはばーちゃんの車椅子の背後に回っている。すぐにバックパックの中から目当てのものを取り出して、そのまま無言でアカリに手渡した。


 オペラグラスを両眼に当てたアカリが再び口を開くまで、言いようのない沈黙が三人の間に流れる。


「――船だ」


 彼女の言葉に最初に反応したのは、片眉をわずかに跳ね上げたばーちゃんだった。


「船?」

「うん。私のクルーザーなんかよりも全然小さい。ミニボートだよ、あれ」


 そのときのハジメの印象に残ったのは、水平線近くで漂う見知らぬ存在でも、オペラグラスを降ろして振り返ったアカリの心持ち硬い表情でもない。


 船と聞いて微妙に眉根をひそめた、ばーちゃんの険しい顔つきであった。

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