青春は座敷の中で

師走璃斗

青春は座敷の中で

 今年も夏が来る。

 炎天下の中、電車やバスを乗り継ぎ、少年時代を過ごした田舎へと足を運ぶ。

 何年たっても変わらない景色。

 都会の騒がしさも相まって、蝉の鳴き声や川のせせらぎがより一層懐かしさを想起させる。

 普段は仕事も忙しく、田舎まで来るのに時間が掛かるのもあり、年末であっても帰省しないことが多々ある。

 ただ夏、特にお盆だけは必ず実家に帰るのだ。

 別に親戚が集まるからとか、田舎の静かな空間で癒されたいだとかそんなことではない。

 なんなら親戚の集まりには出たくないまでである。

 それなのに必ずお盆に帰省する理由、それは……


 「おぬし今年も随分と弄られておったな」


 宴会も終わり、静まり返った部屋。

 そこにいつも彼女は居る。


 「全く、毎年これだよ、結婚だ、お見合いだなんて、僕の自由にさせほしいよ」

 「それはおぬしの怠慢であろう、さっさと良い嫁を見つけてしまえばしまいじゃろ」

 「そう出来たらこんなに苦労してないよ」


 仕事も忙しく出会いも無い。

 たとえ出会いがあったとしても恋愛の仕方なんて僕には分からない。


 「困ったなあ、どうにかならない?」

 「どうにかできていたら、もうとっくに結婚してるはずじゃ」

  

 はぁ。と二人の溜息がだけが響いていた。


 「そうじゃおぬし、今年は何処に行ったのじゃ?写真を見せてほしいのじゃ」

 

 そう言って彼女は瞳を輝かせながら、催促をしてくる。

 毎年の恒例行事である。

 数年前までは日本や海外といろんなところに行って写真を撮ってきていたが、最近はそんなことも少なくなってきている。


 「ごめんな、忙しくて家の近くの写真しか無いんだよ」

 「よいよい。写真を撮ってきてくれるだけ嬉しいもんじゃ」


 代り映えしない都会のビルや建物を嬉しそうに眺めている。

 こんな何気ない時間がここに来る楽しみなのだ。

 思えば彼女と出会って二十年くらい経つのだろうか。

 同年代の子供は少なく、内気な性格だった僕は、一人で遊ぶことが多かった。

 そんな僕にとって彼女は姉のような存在であり、大切な家族となっていた。


 ふいに台所から母らしき足音が聞こえる。


 「母さんが来る、隠れて」

 「わかっておるわ、何年この家に住んでると思っとるんじゃ。それにあの子にわしはみえんよ」


 そう言った彼女はどこか寂しい表情をしていた。

 大人になるにつれ、彼女は見えなくなる。

 子供の頃は毎日のように遊んでいた。

 今となってはお盆にしか会えない。

 

 「僕もいつか見えなくなるのかな」

 

 考えないようにしていた。

 言わないようにしていた。

 言葉にすれば現実になってしまいそうで。

 この夢のような時間が無くなってしまうのがひどく恐ろしかったのだ。


 ×××


 一年後の夏。

 座敷に彼女の姿は無かった。

 

 「今年はたまたま休みがまとまってとれたんだ」


 そう言って、旅行先の景色をまるで彼女がそこに居るかのように、カメラロールを捲る。


 「ここの温泉はすごく風情があって、ここは桜が特に有名で……」


 いつもしていた様に、見えない彼女に話しかけるのだ。

 いつかくることは知っていた。

 だけどこれを止めてしまうと、もう二度と会えない気がした。


 それからも毎年毎年繰り返した。

 忙しくていけない年もあった。

 だけど写真だけは、彼女がいつも楽しみにしていた写真だけは、かかさず撮っていいた。

 いつかまた会えると、そう信じて。


 ×××


 そしてその青春がすっかり色褪せてしまった頃。

 この数十年の間、色々なことが起こった。

 三十を越えたころ、ある女性と出会い、結婚し、子どもも生まれた。

 今ではその子供は成人し、就職し、結婚もした。

 親が亡くなったり、悲しいこともあったが、恵まれた人生だった。

 五年程前には、孫も出来た。

 遂におじいちゃんになったのだ。

 実家に住居を移し、静かな田舎で奥さんと余生を過ごしている。

 夏に来る孫を楽しみにしながら。


 「ねぇ、おじいちゃん。このカメラおじいちゃんの?」

 「そうだよ、これでいろんなとこでたくさん写真を撮ったもんだ」


 押入れのアルバムにはたくさんの写真が入れられている。


 「これは、じいちゃんが働いていたころに住んでいたマンションで、この温泉は良かったぞ、父さんに連れて行ってもらいなさい」


 かわいい孫を膝に乗せアルバムを捲る。

 どこか懐かしくて、心地良い、そんな感覚だった。


 「おじいちゃん、どうしたの?泣いてるの、どこか痛いの?」


 自分でも気付かないうちに涙がこぼれていた。

 失っていた記憶が、次々と浮かび上がってくる。


 「いいや、大丈夫だ。どこも痛くないよ、懐かしくて涙がでただけだよ」

 「懐かしくて泣いちゃうの、変なおじいちゃん」

 「お前もじいちゃんくらいの歳になったら分かるよ。まだ子供だからな」

 「もう、子ども扱いしないでよ!」


 そんな軽口もどこか懐かしく、夢心地だった。


 ×××


 「おじいちゃん大丈夫?何か飲む?」


 ここ数年は寝たきりの生活が続いていた。

 体も弱り、自分で歩くことも出来ない。


 「もうわしも長くないだろうからな、お前の顔が見れてよかったよ」

 「縁起でもないこと言わないでよ、結婚式見てもらうんだから」

 「そーかそーか、そりゃ長くなりそうだ」

 「おじいちゃんそれどういう意味よ」



 二人の楽し気な笑い声が座敷の中に響き渡っていた。


 「そうじゃ、写真を撮ってくれんか」


 部屋にある古びたカメラを指さす。


 「いいよ、皆呼んでこようか?」

 「それもいいが、わしを撮ってくれんか」

 

 ゆっくりと上体を起こし、体勢を整える。

 何年も忘れていた思い出を今度は色褪せないように……


 「君は写真を見るのは好きなくせに、写るのは嫌いだったな」


 もう目に見えないはずなのに、そこに居る事だけは分かる。

 自分にとっても、彼女にとっても、この家の座敷が全てだった。

 この座敷にだけ現れる彼女との時間は何よりも大切で、ずっと続くものだと思っていた。

 一時期は忘れてしまうこともあった。

 けれど思い出すことが出来た。

 たとえ目に見えなくなっていても、写真に写らなかったとしても、この空間を二人で過ごした青春を、二度と忘れないように。


 「いくよおじいちゃん、はいチーズ」


 ×××

 

 そして数年後。


 「おかーさん、この部屋誰かいるー」

 「おじいちゃんかもねー」


 その座敷には今も彼女がいる。

 時代が移り、世代が変わっても。

 新しい写真を待っている。

 

 「まだこの家に居るのもわるくないのう」


 何度でもこの座敷で青春は紡がれる。

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青春は座敷の中で 師走璃斗 @Kony1103

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