オボ

安良巻祐介

 畔の傍にある掘立小屋に、オボというあやかしが住んでいて、朝晩と、赤ん坊の様な泣き声を上げる。

 遠目には、坊主頭の子どもに見えるのだが、近づくと瞳がなくて真っ黒な眼をしているから、それとわかる。小屋の筵を掲げて、ひょいと顔を出して道を眺めている事が多いが、通行人を見つけると、転がるように飛び出して来て、足元に絡みつこうとする。

 その様子もまた、人よりは猿、猿よりは犬などの四つ足の獣に近く、アア、アア、と泣きながら、だんだんと毛の塊のような見た目に変わってゆくという。

 人を取り殺すようなことはしないが、オボに絡まれた者はひどく歩きにくくなり、また旅の道中で病気になりやすいということで、非常に忌み嫌われている。

 子連れの女が通りがかった時には、いつもより激しく泣きわめき、警戒した女が懐の仏像を抱きしめると、樹の上に上って行って、そこから逆さにぶら下がって苦しがったという。

 小屋の中から何かよくわからない、生臭い腐肉の様なものを出して、こね回して人の形にしてそれへ寄り掛かっているのを見たという話もある。

 同じ、道に出る化け物でも、しばらく離れた峠に出る脛擦スネクスリなどは、小さな可愛らしい犬猫の形をしていると言われ、根付にされて売り出されるほどの人気だが、どうもオボについては、人の気味の悪がる話ばかりだ。

 一説には、あの鳴き声は、母を求めている声だとも言われ、旅の僧が念仏を唱えてやったこともあるが、大して効き目はなかったという。

 オボを本格的に退治るため、あるとき金を払って遠方より呼ばれた修験者が言うには、そもそも山の気が凝ったもののけに本来母というものはなく、母を呼んでいるように見えても、それは先の話にあった女のような子連れを見て、ただ物真似をしているだけなのだという。

 だから、あれを殺すのに気兼ねをする必要はないのだ、椀の汚れを洗って落とすようなものと考えればよい、と、修験者はいかにも豪傑風に、呵々と大笑した。

 それはいかなる呪いにも、恨みにも、打たれることはないであろうとわかる、頼もしい大笑いだった。

 道すがら、もうすぐで小屋が見えるというところで、修験者は、同行の道案内によって、後ろから谷へと突き落とされた。

 あまりにも不意のことで、抵抗も何もなく、ただ短い叫びを上げて、彼は落ちて行った。

 見下ろす谷底の岩肌に何度もぶつかりながら、彼の体が川の濁流へと呑まれるところまでを見届けておいて、道案内は――私は、ふと顔を上げた。

 道向こう、掘立小屋の端からその小さな顔を出したオボが、いつもの、あの真っ黒な眼で、こちらを見ていた。

 相変わらず、何を考えているのかわからない顔だった。

 修験者の言っていたように、オボにはそもそも心というものがないのかもしれない──何にせよ、これは、本当にただの私の独り善がりに過ぎない。

 麓へと戻った私は、素知らぬ顔をして彼を送り届けた旨を伝え、そのまま澄ましていた。

 夜が明け、さらにもう一日が経っても戻らない修験者に、人々は金だけを持ち逃げしたか、或いはオボに祟り殺されでもしたか、とあれこれ話し合ったが、答えは出なかった。

 そのまま、オボ退治の事は、有耶無耶になってしまった。

 私は、オボの顔や鳴き声や、オボの捏ねていた腐肉の人型などを、ぼんやりと思い浮かべながら、同情なのか、憐憫なのか、自分でもわからないままでいた。

 ただ、かつて亡くした息子に少しだけ似ているあのもののけが――あの忌まわしく、それでいて、どこか空しく、悲しくなる存在が、それこそただの汚れのように洗い落とされて、すっかり綺麗な山になってしまうのが、私は、何となく、厭だったのだ。

 頭の中で、アア、アア、アア…という泣き声が、聴こえるような気がした。

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オボ 安良巻祐介 @aramaki88

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