星吐き症候群
青木はじめ
星吐き症候群
この街は星で溢れている。道行く人、カフェで談笑する人。その口元からきらりきらりと金平糖のように星が零れていく。しかし私は知っている。「それ」が嘘や建前であること。「それ」を知っているのは私だけであること。
斜め前の女性から、また星が零れ落ちる。
「ちょっと、聞いてる?」
斜めに向けていた視界の隅で、テーブルをトントンと指先で軽く苛立ちを見せた姿が見えた。
「真緒のために言ってるんだよ?」
ぽろり。
「誰にも言わないから話してみなって」
ぽろり。美しい結晶が次々零れ落ちていく。ああ、こんなにも綺麗なのに。
「ミナちゃんが私を思ってくれてるのはわかってるよ。ありがとう」
喉の奥からせり上がってくるもので気分が悪い。やがて無理矢理に上げた口角からするりと出てきた欠片は、他に比べれば輝きは劣るが、立派な星の欠片だ。
にんまり。効果音がつきそうなくらいの笑みを浮かべた彼女は、紅茶をひとくち、ティーカップに口を付けてから、笑みを深くして、
「私だけは味方だからね
ぽちゃ、と紅茶に角砂糖を入れたような音がした」
①
私は幼い頃から、よくある三拍子の「1.2.3」が苦手だった。否、怖かった。「3」で躓いたらどこへ落ちてしまうんだろうとか、本当に「1.2.3」で終わるのだろうかとか、今思うと訳のわからないことに怯えていた幼少期だった。ああ、「だった」ではおかしいな。今だって怖いのだから。
話を変えよう。ぐるぐると走馬灯のようにスクリーンに映されたシーンが次々変わっていく。というのも脳内での話、だが。そうだ、作り話でもしようか。ラブ・ロマンスなんてどうだろう。
***
とある芸術大学のサークルに、誰が見ても「好青年」と称えるような一人の青年がいた。眉目秀麗の名がよく似合う彼には、たったひとつ、秘密があった。それは同じサークルに属する少女に恋をしていること。大学生を「少女」と例えるのはおかしいだろう。だが少女はその例えがぴたりとはまるような童顔であったし、どこか不思議なオーラを纏っていた。
なぜ隠しているのか。その答えは彼の一日を観察していればわかるだろう。「好青年」の彼はいわずもがなサークル内外問わずの人気者で、常に誰かがそばにいた。時々一人になる時であっても、注目度は高く、そこらのタレントより目が付きまとっていた。それを彼も少なからずわかっており、いつも一人でマイペースに過ごしている彼女の元へ己が近づいたならば、彼女の注目度が上がってしまう。それが一番避けたいところであった。
今日も今日とて時計を見るふりをして少女をちらり、盗み見る。少女はとてもマイペースで、「自分の世界」を持った人間だ。夜更けまで木彫りをしていたかと思いきや、油絵の具まみれで登校してくる。サークルの合宿には来ないし、来たとしても、談笑している女子グループそっちのけで水彩画に没頭している。そんな少女を周りは遠巻きに、まるで、「腫れ物」のように扱っているのが傍から見ればわかる。その空気を壊したくない。彼は少女の独特な雰囲気に焦がれているのだ。
秘密の恋がはじまって約一年。少女は覚えているだろうか。大学に入ったばかりの時、慣れない彫刻刀で指を軽く切ってしまった際にくれた絆創膏を。憧れは憧れのままで。今日も秘密の恋がはじまる。
「ねえ、妻恋くん。次の休みの予定だけど……」
「ちょ、ちょっとやめなよ」
ある日、「今時の女子」に声をかけられた。これも、よくあること。二人の女子は「ごめんね」と焦ったようにそそくさと去っていった。いつもの風景だ。
妻恋と呼ばれた青年は真面目で実直な青年であり、それこそ星など吐かない真っ直ぐな人間だ。それに加え、甘いマスクときた。それなのに女性の噂の一つもない。いつからか青年は「そういう性癖」だと勘違いされるようになっていた。
はぁ、と溜め息をつく姿は見ていて溜め息ものだが、本人は悩んでいたりするのであろう。まだ歳若き青年なのだから。
しかし青年は勘違いされることも、数多の目を向けられることも、正直どうでもいいし、なんなら興味が無いくらいだった。遠くから少女を観察するのを邪魔されない限りは、勝手にやってくれとドライな一面もあった。
観察するだけの日々に、突如展開がおとずれた。
それは、講義室の通路側に座っていた少女が通路階段に消しゴムを落とすというありふれた光景だが、目の前でそれを見た青年はチャンスとばかりに鼓動を大きく鳴らし、颯爽と少女の横にしゃがんだ。
「小野屋さん、落としたよ」
その二言にどれほどエネルギーを使ったか。恋をしたことがある人間ならわかるであろう。怖くて、嬉しくて。幸せで、終えるのが切なくて。はち切れそうな心と心臓に、ああ心と体は繋がっているんだなともう一人の自分がしみじみ思ったことだろう。
「あ……すみません」
少女から放たれた返答はそれだけだったが、青年の心は先月行われた学園祭よりフィーバーしていた。
「ううん、どうってことないよ」と返す前に少女がぺこりと頭を下げて去ってしまい、告げることは出来なかったが、青年のなかでは大切なメモリーができたと、やはり激しくフィーバーしていた。
「人気者で優しい妻恋くん」のまま、少女に近付けた。それだけで天に三回は昇るような気分であった。
実のところ、少女は密かに青年な憧れていた。しかしここも憧れは憧れのままで。遠くから見つめるだけで精一杯で、充分だった。
好きだから付き合いたいとか、ずっとそばにいたいなどという想いはなかった。一種の「恋に恋している」状態ともいえた。極めていうならば、「彼を想う自分」が好きだった。唯一自分を好きでいられる時間だった。
だから今日も姿を見られるだけで幸せであり、目が合うこともなければ会話することもないけれど、青年が居るという真実だけで胸がいっぱいになった。まるで推しを応援するオタクのようだ。
そこでおとずれたプチイベントである。まあ、ただ消しゴムを拾ってもらうだけというよくある場面ではあるが、少女にとってはとんでもないイベントであった。緊張で喉が乾き、うまくお礼を言えたかもわからない。時が永遠であってほしくもあり、早く終わってほしくもあった。
「あ……すみません」
お礼を言いたかったはずが、出たのは謝罪だった。しまった、違う、と思いはしたが何か言おうとしている青年をおいて、少女は逃げるように去った。少女に後悔が押し寄せる。ああすればよかった。こうすればよかった。ひたすらに別のシチュエーションが脳内を駆け巡る。どうしていつもこうなんだろう、と少女は頭を抱えた。
少女は、それこそ少女時代から人付き合いが苦手で、小学生の時、皆と遊ぶ時は必ず「みそっかす」。誰から見ても特別扱い。「腫れ物扱い」だった。それを少女も感じ取っており、一時期悩んだ時もあった。しかし大学生となった今では吹っ切れたのか、自ら一人になることが当たり前となった。
だからこれも必然なのだ。と火照る心と体に言い聞かせる。少女は知ってしまった。わかってしまった。己が思うより、青年に焦がれていると。
知りたくなかった。わかりたくなかった。まるでこうなるとわかっていたかのように「恋に恋して」逃げていたというのに。
己の本心を知ってしまった。ただそれだけかと笑う人もいるかもしれない。だが、少女にとっては何よりも知りたくなかった。様々な後悔が波のように押しては返す。火照りがおさまらない。
少女は己に星を降り注がせた。『憧れは憧れのままで』
ぽかんと口を開け呟き、周囲を星で煌めかせる。
足は中庭へと進めていたので、星のパレードのようだ。指揮者は少女。星のパレードは続く、続く。
それから数日後、サークル内は色めきだっていた。理由は簡単。サークルの講師が商店街の福引で『遊園地のチケット』を引き当て、サークル全員で行こうと言い出したからだ。一拍おいて賑やかになる貸教室内。少女は考えていた。行くか、否か。青年はおそらく行くだろう。だったら行きたくない。しかし、折角なので行ってみたいという年相応の気持ちもある。
青年も考えていた。少女は来るだろうか。自分はきっと100%行くと決められているようなものであるからして、誘ってみたい気もする。折角の機会だ、一緒に楽しみを共有したい。せめて二人きりで話せる場があれば、と珍しく天に祈った。
神は居た。
時は夕暮れ。日程調整が終わり、「来る人名前書いてねー」という紙が端に貼られたホワイトボードを、青年が一人誰もいなくなった貸教室でぼーっと眺めていると、小さくカラカラ……と教室のドアの開く音がした。反射的にそちらへ目を向けると、体中の血液が高速で走りまわりはじめた。
「お、おつかれさま……」
普段どもることのない青年だが、この時ばかりは狼狽えた。考えるまでもないだろう。そこへ入ってきたのは件の少女。一人きりの教室に、好いている女の子がやってきたのだ。再び反射的に出た言葉は力なくへろへろと地面へ落ちていった。次に続く台詞が出てこない。
少女も、人がいないと思ったのか、スライド式のドアを開けたポーズのまま動けずにいた。現場は膠着状態となった。
「……忘れもの」
数秒か数分か、いくらか沈黙を乗り越え、少女がエイヤというように声を発した。ようやっと時計の針が動き出した感覚。少女続けて、
「……あ、じゃなくて……なくしもの、しちゃって……」
まごまごといった風に顔を赤らめながら少女は言葉をつむいでいく。
一方青年は、時が動き出してから、否、止まっていた状態から、ずっと少女から目を離せられずにいた。望んでいた二人きり。しかしいざ二人になると何も出来ない自分に不甲斐なさを感じはじめた瞬間の少女の言葉。困っている少女に何が出来るか。正解はひとつしかない。
「手伝うよ。何をなくしたの?」
少し「優しい妻恋くん」に戻れた気がした。少女は一瞬戸惑いを見せてから、真っ赤だった頬をほんのりピンク色に染めて教室へ足を踏み入れた。
「消しゴム、なんですけど、どこかに飛んでいっちゃったみたいで」
「ああ、よくあるよね」
頼られて嬉しい、といったばかりの満面の笑みを浮かべてホワイトボードから離れる。
青年の鼓動は嬉しいサプライズによってドキドキと跳ねている。少女の鼓動も同じくらい跳ねてはいるが、申し訳なさの方が勝っており、内心今にも泣きそうだ。
逃げたい。離れたくない。話したい。黙っていたい。少女は葛藤していた。どうすればいいのかわからない。それが答えだ。
青年と少女の距離が一歩ずつ近くなる。それにつれて祭囃子のように急かされる心臓。あと数メートル、といったところで少女がぴたりと止まった。
「あ」と口を開けて指を指した方向を、青年もつられるように振り向くとそこには先程までじっと見ていたホワイトボードがある。少女の方へ振り向くと同時に「ありました」と鈴の音を響かせたかのような声が静かな教室に広がる。
ホワイトボードに近い青年が踵を返し指の指された場所へ向かうと、確かにあった。大手消しゴムメーカーの、角の取れた消しゴムは数日前にも見た覚えがある。確かにこれは少女のものだ。ころんと丸くなった消しゴムを取り、少女の元へ駆け寄る。近付くとよくわかる少女の小柄さや柔らかな雰囲気に、青年は軽い目眩を覚えた。
「すみません……ありがとうございます」
少女は、近付いてきて改めてわかる、甘いマスクを直視出来ず、爪先を見てから消しゴムを両手で救うように受け取った。
少女は考えた。終わりにしたくない。ここで別れたくないと。星を吐いて去るのは簡単だ。しかし星のパレードを青年の前でしたくはなかった。例え見えなくても。
「あの……お礼をしたいです」
少女の精一杯の「つづき」だった。消しゴム如きで何を言っているんだろうとか、迷惑でしかないんじゃないかとか考える余裕はなかった。
少女の精一杯を、青年は受け止めた。青年にとっては願ったり叶ったりだ。青年は高らかに言った。
「遊園地、行こうよ。小野屋さん」
少女は一瞬迷った。しかし、適当な星を吐いて終わらせるのは、もう一人の自分が許すわけがなく、小さな小さな声で「はい」と応えた。
恋は憧れるものだ。憧れは憧れのままで。そんな枷があった。だが青年はあの日、あの教室で枷を外してしまった。進んでしまった。
そうしたらもう、戻れない。こうなることは必然だったのかもしれない。己の立場はわかっている。しかしもうおさえることはできなくなってしまった。
サークル遠足IN遊園地当日になり、少女の困惑は頂点へいっていた。あの日からひたすらに葛藤していた。少女にはまだ枷が強く絡みついていた。何度逃げようと思ったか。何度見ないふりをしようとしたか。数え切れないほどに悩み続けた。しかし、「約束」をしてしまった。他の誰でもない、青年と。憧れは憧れのままで。少女は葛藤した。
意外だった。このような「遊び」に参加するのは小学生ぶり、なのに、サークル仲間は何事もなかったかのように「小野屋さん、あれ乗ろうよ」とか「小野屋さん、お昼どうする?」など、今までこうしてきたかのように朗らかに声をかけられた。しかも、そのどれもに星は光っていなかった。一歩を踏み出していなかったのは、諦めていたのは自分だけだったのかと少女はトイレでこっそり涙を流した。
その「遊び」にはもちろん青年も参加していたが、何故、あえて自分達のグループに青年も加わっているのかが少女にはわからなかった。もしかしてこのグループの中に好きな子でもいるんじゃないか。
その「もしかして」に戦慄を覚えた。いや、居ても何らおかしくはないだろう。噂がたたないだけで、彼女がいてもおかしくない。おかしくはないのだ。少女はひやりと背中を長い爪のようなもので撫でられたかのような感覚がした。だから消したのだ。一度書いた名前を、あの消しゴムで、消したのだ。
「大丈夫?小野屋さん」
一人の女子が声をかけてきた。確かに少女の顔は元々白い肌が更に白くなっている、少女はその声に甘えて、ベンチで一人休ませてもらうことにした。
「俺がついておくよ。皆は遊んでて」
まさか、青年がついてくるとは思いもしなかったが。
青年は「まさか」に甘えることにした。「面倒見のいい妻恋くん」が皆のなかにいたこともあり、二つ返事で二人きりにしてくれた。
何かしたいことがあるわけではない。話したいことがあるわけでもない。ベンチに座って十分程経ったが、青年は星ひとつも吐かない。
「……皆と遊ばなくていいんですか?」
やっと空間に言葉が投下された。それに青年はほっと胸をなでおろし、「それより小野屋さんが心配だから」と形のいい眉を下げた。
「私なら一人でも大丈夫ですよ」
ぽろり、星が生まれる。
「だから、妻恋くんは皆のところへ行って大丈夫ですよ」
ぽろり。またひとつ煌めく。
嘘だ。嘘だ。嘘だよ。そう思いながらも少女は星を吐き続ける。
零れ落ちては止まない涙のように星を吐き続けていたら、少女の目元に青年が指をあてた。それは軽く、とても優しく。少女はビクリと体を硬直させ、反射的に青年を見た。そこにはひどく切なげに微笑む青年の姿があった。それからは、星は降ることを止めたが、言葉と涙は止まらなくなった。
「……嘘です。嘘です。ごめんなさい」
落ちた星に涙が跳ねて宝石のように煌めく。まるで皮肉のようだと思った。はらはらと何を思って流れていくのか、少女本人もわからない。
青年は落ちていく雫を丁寧にひとつひとつすくい取り、静かに少女の声を聞いていた。
「本当は……がよかった」
消え入りそうな声に、青年が優しく聞き返す。
「本当は、妻恋くんだけがよかった……っ」
苦しい。寂しい。悲しい。切ない。どうして恋はこんなにも、つらいのだろう。少女も青年の立ち位置はよくわかっていた。いつも「皆の人気者」でなければならないことを知っていた。だから遠ざけていたのに。願う前から叶わないことなど知っていたのに。
青年は切れ長の瞳を丸く開き、手を止めた。そして長いまつ毛を伏せ、静かに少女の手を取り、壊れ物を扱うように弱い力で握った。
「……俺も、それがよかった」
青年の小さな呟きは風に押し流された。
足元に光り続ける星たちと、皮肉なほど優しく跳ねる雫。
二人の間には無情なほど美しい時が流れた。
***
「1.2.3」の先が、進んだ先がいかに怖いか、少しは伝わっているといいのだけど、これじゃあわからないか。わからないならわからないでいいんだ。また今度続きを話そう。作り話なんていつでも作れる。
その時まで。と手の中で転がる丸い消しゴムを見て、目を細めた。
②
私が星を見はじめたのは小学生の頃あたりだった気がする。
特別何かあったわけではない。些細なきっかけだ。突然、小さなきっかけにより見えだしたのだ。
大学を卒業してからの私は、大学で学んだことを全て捨て、近所の病院に勤務している。一人暮らししようと貯金するたびに身内の不幸や結婚式などで金が飛びまくり、いつの間にか二十代も半ばである。週に三日の勤務と週に一度の通院をひたすらに繰り返し、何事も無く生きている。
「星はまだ見える?」
世間では私は一種の「おかしい人」らしい。まあ、確かに、いきなり「あなたの口から星が零れています」なんて言ったら即病院行きだろう。
私は嘘や建前が嫌いだ。なのに、嘘は美しい星たちを生み出す。皮肉なものだ。
クリニックの主治医である女医の先生に「はい」と極めて単調に答える。この人はいい先生だと思う。星を吐いたところは見たことがないし、淡々と話を進めてくれて、「余計な希望」を抱かなくて済む。以前通っていた大学病院とは大違いだ。先生はあまり星を吐く人ではなかったが、時々大きな星を吐く。それはとても綺麗で、とても恐ろしかった。
「それは幻想よ。それに囚われてはダメ」
この人も私をおかしいと思っているのだろうか。否、ただの一患者としか思ってないだろう。その言葉にも相槌をうち、いつも通りの会計を済ませ、駅へ向かう。駅まで徒歩数分なのもいいところだ。
駅前は人通りが多く、苦手だ。大股で人の間を縫うように歩いていく。あちこちから星が零れる音が聞こえる。視界にも煌びやかな宝石を散りばめたように通路が光ってうつる。
電車は好きだ。だが乗るのは得意ではない。想像に容易いだろう。
クリニック最寄りの駅から二つ。程よい田舎といった風景の駅で降りる。足元に落ちた星屑を蹴飛ばしながら改札を抜ける。真冬の体の芯から冷えるような風が、お気に入りのコートと下に着ているワンピースの間を吹き抜ける。マフラーを巻く際に邪魔にならないようにと少し高めに結った髪が軽く揺れた。
家までおよそ十五分それまでに、いくつの星を見るだろう。数えてみようかと思ったことがある。ものの数分で疲れて諦めたが。
私の暮らすマンションは十二階建てだがとても古く、自宅のある十階なんて特に人が少なく、若い人なんて私くらいだろう。
先程言われた言葉が脳内を駆けめぐる。
幻想。幻想。幻想。
幻想を抱いて何が悪いのだろう。と考えて、ふと思い出した。
幼い頃、特に仲のいい子がいた。その子はとても内気だったがそれ故に信頼出来る子だった。ある日、仲良しグループで小さな揉め事が起きた。私は当事者ではなく、外野であったが、仲良しの子が関わっているということもあり、色々な子から相談を受けていた。一人一人自分なりに丁寧に対応していたが、そこは幼く、してはならないことをしてしまった。
とある子と話している時に、特に仲の良かった子のことを「内気でちょっと暗いよね」と声に出してしまった。自分ではその場のノリで軽口のように言ったつもりだった。話していた子は仲良しの子のことがあまり好きではなかったし、話を合わせたつもりだった。しかしそれこそが建前であり、その言葉はすぐさま仲良しの子に伝わり、私はひとりぼっちになった。
それがきっかけだったのだと思う。嫌なものを美しいものへと変換したのだ。
エレベーターホールへつき、郵便受けを開けると何通か、自分宛のものがあり、ホールへ設置してあるベンチへ腰掛け、内容を確認する。
それは展覧会へ出展するというお知らせのハガキであった。同じ内容のハガキが、別の人物から二通届いている。どちらも大学時代の友人だ。展示会に参加する名前の欄に見知った名がいくつか並んでいる。そうか。こうして夢を追い続けている彼らがいるのかと、数年前に思いを馳せた。必死に創作活動に励んでいたあの頃。今でも少し描いたりはするが、なんてことのない作品だ。もう一通の差出人の名前に目眩がする。
ああ、今日はいくつ星を目にしただろう。視界にきらり、星が瞬いた。
星吐き症候群 青木はじめ @hajime_aoki
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