第2話 花嫁選定の儀

 嘘つき。


 玉座の側で目立たぬように控えていたはく沙羅さらは、玉座にゆったりと座る男の横顔をにらんだ。


 きりりとした顔立ちをしていて、黒くまっすぐな髪は腰まである。上衣下裳じょういかしょうの色は皇帝を表す黒と黄だ。十年以上前から見続けているが、その美貌びぼうが衰えることはない。御年おんとし二百八十二歳。


 竜帝ログアディトゥシュサリス。その名の通り正体は竜である。この国、花炎かえん国は百五十年前から竜が治めている。


 竜帝の金の双眸そうぼうは、色とりどりの襦裙じゅくんを着た大勢のうら若き女性たちを眺めている。伏している彼女らは全員十六歳だった。


 ここは普段は演習場として使われている広場。宮廷の中で最も広い場所だ。正確に真四角に切り出された石が一面に敷き詰められている。


 竜帝はその広場を見下ろす一段も二段も高い場所にしていた。いつもは演習や武闘会を見物するための席だ。じりじりと照りつく日差しを天蓋てんがいが防いでいる。


おもてを上げよ」


 竜帝のよく響く低い声に従って、彼女らは一斉に顔を上げる。美人もいれば平凡な顔立ちの娘もいる。高級な服を着ている者もいれば平服の者もいる。同じなのはみな精一杯着飾っている所だ。


 竜帝は彼女らの顔を一人ひとり順に確かめていく。鋭い眼光で見つめられた女性たちはみなその威光に当てられて顔を青ざめさせる。中には無礼にも顔を伏せてしまう者、震えて気を失う者もいた。


 竜帝は時間をかけて全ての女性に視点を合わせたあと、かたわらに控える冢宰ちょうさいに何事かを告げ、その場を後にした。


 無表情で奥の扉から出て行く竜帝の様子からして、今回も該当の女性はいなかったのだろう。沙羅からは冢宰の顔は見えなかったが、竜帝と同様に気落ちしているに違いない。


 沙羅はお付きの者に混ざって竜帝の後を追った。




 執務室に戻るまで、そして戻ってからも、竜帝は一言も口を開かなかった。


 女官たちが手早く竜帝の豪奢ごうしゃな衣装を着替えさせ、座った竜帝におうぎの風が送られる。その前には貴重な氷を使った冷たい飲み物が用意された。


 沙羅は部屋の扉を入った脇で平伏していた。


 とそこへ、先程の冢宰――ぼく清伽せいかが入って来た。黒く長い髪を肩口のところで結っている美丈夫だ。若くして冢宰にまで上り詰めた天才。


 清伽が人払いをした。扉を守る衛兵と沙羅以外が退出する。


「またいなかった」


 竜帝はため息混じりに言うと、女官が置いていった扇を自ら手に取り、あおぎ始めた。

 

「見つかりませんね」


 そう返すのは清伽だ。


「本当にわかるものなんですか、花嫁様って」


 そこに加わったのは沙羅だった。許しもなくこうべを上げ、許しもなく立ち上がり、許しもなく発言をしている。


 だが、竜帝も清伽もとがめない。これはいつものことだからだ。


「一目でわかると聞いている。同じ魂を持つのだ。かれ合うに決まっている」

一目惚ひとめぼれとは違うんですか」

「違う」

「国外にいるんじゃないですか」

「引かれ合うと言っただろう。ここに来るはずだ」


 二百年ほど前、他国の侵略の危機にあったこの国の皇帝は、天界より竜を呼び、助けを求めた。


 竜は必死に懇願する皇帝にこたえて他国の軍勢を退しりぞけたが、一つだけ条件をつけていた。皇帝に自らの魂を半分に割って飲ませたのだ。やがて生まれる娘を花嫁とするために。


 竜の魂の片方を魂に宿らせて生まれた女性は、言葉通りその竜の魂の片割れであり、互いに唯一無二の存在となる。


 皇帝は竜のために子作りに励んだ。


 だが、なかなか片割れは生まれなかった。

 

 皇帝の一族はそれからも竜の片割れを産むために、血族を増やしていった。


 その結果、もはや誰が初めに竜の魂を飲み込んだ皇帝の子孫なのかわからなくなり、国中の民にその血が流れているのではないかと冗談混じりに言われる程に増えた。


 たとえ竜帝が花嫁を見つけ損なったとしても、魂は流転し、必ず皇帝の血族の中から生まれてくるという。


 今でも花炎国は子沢山な家が多い。


 こうして毎年一度、十六歳――魂が成熟して竜気を発するようになるらしい――になった娘を国中から集めて竜が確認するという、「花嫁選定の儀」が行われるようになった。


 竜が「竜帝」として国を治めるようになったのは、竜の魂を与えられた皇帝の三代後の皇帝が、いたずらに民を虐殺する暴君だったからだ。せっかく守った国を滅茶苦茶にされてたまるか、と竜がキレたのだった。


 ――と、沙羅は聞いている。


 ちまたでは、竜の血を飲んだ皇帝が不死となって相手の軍隊を全滅させただの、竜帝は実は魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいだの、様々な眉唾まゆつばものの話もある。


 約束をしてから二百年。竜帝が統治を始めてから百五十年もっており、もはや生き証人はいないのだ。その記録がおとぎ話であっても、竜帝が適当なことを言っていても誰も反論はできない。


 唯一真実と確信できるのは、竜帝が間違いなく竜であることと、その片割れを探していることだった。


 片割れを探していることは、本人が真剣なのだから間違いない。議会制を取り、政治にはあまり口を出さない竜帝は「花嫁選定の儀」だけは絶対に譲らなかった。


 過去に一度、自分で探しに行くと言って竜帝自ら探しに出たことがある。しかし竜の時間の感覚は人間のそれとは違うのだろう、宮廷に帰ってきたときには十年もの年月としつきが経過していて、朝廷はさま変わりしていた。


 あっと言う間に腐敗の沼に落ちた政治を引き上げて以来、竜帝は宮廷で花嫁を待つようになったのだ。惹かれ合い、引かれ合うならばやがて訪れると信じて。


 そして、正体が竜であるというのは、二百年たっても見た目が変わらないという摩訶まか不思議な現象からもわかるのだが――


「そんなことより、竜帝さま」

「そんなことより……」


 沙羅は竜帝の嘆きを切って捨てた。


切立花きりたちばなを採りに行くので乗せて下さい。今お時間ありますよね?」

「わたしは乗り物ではないのだぞ」

「たまには運動した方がいいですよ」

「それはそうなのだが」

「私、竜帝さまのお背中に乗るのが好きです」

「……仕方がないな」


 沙羅は竜帝の後に続いて部屋を出た。


「少し出かけてくる」


 部屋の扉を守る衛兵に一言告げて、竜帝はずんずんと廊下を歩いて行く。その様子を見た官吏かんりや女官が後をついていく。清伽が指示したのだろう、梯子はしごを持った官吏もいた。


 ずらずらと仕える者たちを引き連れて中庭の中央に出た竜帝は、一人中央にまで足を進める。


 それと同時に竜帝の姿がぼんやりとゆがみ、次の瞬間にはその場には黒く光沢を持った鱗を持つ竜がいた。


 ――この光景を見せられては、竜帝の正体が竜であることを疑う余地はない。


 おおぉ、と周囲を囲んで膝を落としていた人々からどよめきが起こった。竜帝が竜になるところは何度見ても不思議な光景だし、竜の姿はとても美しいのだ。


「御身に失礼いたします」


 沙羅は黒竜の前に進み出て平伏した。


「許す」


 口を閉じた黒竜から発せられたのは、低く、鐘のような響きがある不思議な声だった。


 柔らかい布の巻かれた梯子が、黒竜の首の横にかけられる。


 沙羅は立ち上がって再度礼をしてから慣れた手つきで梯子を上り、黒竜の背に乗った。長い首の付け根にそっと両手で触れる。


 梯子が外された。


「落ちるなよ」

「落ちたら拾って下さいね」


 黒竜と沙羅が一言ずつ言葉を交わすと、黒竜はばさりと翼を広げ、空へと浮かび上がった。巨体が地を離れるというのにそよ風ほどの風も起きない。


 ふわりとした柔らかなもので包まれているような感覚がする。何の支えもつかまるところもないのに、沙羅がつるつるとした鱗を滑り落ちることはない。黒竜が空を飛ぶのと同じような原理なのだろう。


「みな、留守を頼んだぞ」


 黒竜は人々の頭上すれすれをぐるぐると回りながら声をかけると、官吏たちは平服した。


 ばさりと翼を動かすたびに、高度が上がっていく。


 建物の上を飛べば、人々は黒竜に対して頭を垂れた。まだ礼儀を知らない小さな子供が指をさして笑っている。


「頭を出すな。落ちるぞ」


 地上を眺めていた沙羅は言われて首を引っ込めた。


 黒竜りゅうていの背中に乗る娘。特別視されないわけがない。あまり人々の前に見せない方がいいのだ。顔さえ出さなければ上に誰かが騎乗しているとはわからない。


 それは宮廷でも同じことなのだが、竜帝が何も言わないため、沙羅は竜帝に対して気安い態度を取り続けていた。沙羅はほんの六歳の頃に竜帝に拝謁してからというもの、竜帝におんぶやだっこをせがんだり、黒竜の背に乗って大はしゃぎしてきたのだ。


 古参の官吏たちはもはや竜帝をいさめるのを諦めていたし、若い女官たちには、沙羅の筆頭専属薬師という地位が牽制けんせいとなっていた。竜帝に騎乗するという非常識な行動も、沙羅が竜帝のための薬草を採りに行くのだと言えば、納得する他なかった。


 ――あくまでも表面上は、だが。


 そう、はく沙羅さらは筆頭専属薬師だ。


 白家は代々竜帝の薬師を務めている。


 そのお役目は、竜帝の健康を守ることと、竜帝の片割れ探しの手助けだ。具体的には、竜帝が片割れの魂を感じる力を鋭敏にする薬や、滋養強壮薬、後宮にいる女性たち向けの子宝に恵まれる薬を作っている。


 なぜ精力剤や妊娠しやすくする薬が必要なのかといえば、竜は片割れとしか子供をせないからだ。逆に言えば、竜の子を産むことができれば正しく片割れであるということになる。


 竜帝は見ればわかると言っているが、白家――沙羅も含めて――はそれを鵜呑うのみにはしていなかった。万が一わからなかった場合、次に片割れが生まれてくるのはいつになるかわからない。代々竜帝に仕えていた白家としては、竜帝の片割れを何としてでも見つけたかった。


 沙羅の肩書きに「筆頭」とついているのは、後宮の専属薬師の中で最も年長だということを表している。年上の薬師は他にもいるが、彼らは後宮には入れない。後宮で暮らす竜帝のために、後宮に出入りできる女性が筆頭となるのが習わしだった。


 そしてその肩書き通り、沙羅の薬師としての腕は確かだった。薬草を育てるにしても、調合するにしても。先代の従姉いとこから技を受け継いだ。


 特に薬草を選ぶ目はずば抜けていた。


「あ、あれです。ほら、あの右の所に咲いてるやつ。あれも欲しいです」


 沙羅が白い花の株を指差した。四枚の花弁の鬱金香チューリップのような形をしている。


 切立花きりたちばなは文字通り切り立った崖に生える植物だ。岩壁にしがみつくようにして咲くため、採るのが難しい。通常は。


「どれでもいいではないか」

「開いたばかりの花が一番効くんです!」

「どれも同じに見える」

「全然違います」


 沙羅は黒竜の体から目一杯手を伸ばして花をんだ。肩から斜めにかけた鞄に丁寧にしまう。


「これでよし、と」

「もっと採ればいい」

「新鮮じゃないと薬効が落ちてしまうんです。竜帝さまに何かあったときのためのお薬ですから、量よりも質が大事です」

「何かあったことなどない」

「魚の骨を喉に引っ掛けたりしてるでしょ」

「なっ。まだそれを言うか。あんなの怪我とは言えない」

「怪我は怪我です。お薬使ったんですから」


 沙羅は黒竜の首を優しく叩いた。




 小さな頃から、沙羅は竜帝の背中に乗って空を飛ぶのが大好きだった。緑は鮮やかで、湖面は光り輝き、遠くの山々の白い頂きが眩しい。世界はなんと美しいのだろうと思うのだ。


「このまま見つからなければいいのに……」


 せめて自分が生きている間は。


「何か言ったか?」

「何でもありません」


 帰り道、黒竜の背中でぽつりと漏らした本音を、沙羅はなかったことにした。


 沙羅は竜帝のことが――ログアディトゥシュサリスのことが好きだ。


 幼い頃から大好きで、いつの頃からかそれが恋に変わった。もし運命の人というものがあるのだとしたら、それは竜帝のことだと思っていた。


 だが――竜帝の魂の片割れは沙羅ではないのだ。


 沙羅はもうすぐ十九になる。沙羅が花嫁だとすれば、竜帝はとっくに気がついているはずだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る