第3話 専属薬師の仕事

 専属薬師の朝は早い。


 日が昇ると共に起き、後宮の外にある薬草園に行く。


 一つ一つの株の様子を確認し、朝みの草を丁寧に採っていく。


 そのかたわらには、十五歳の従妹いとこ鳴伊めいがいて、沙羅さらの指示をあおぎながら薬草を摘んでいた。


「そうそう。その芽がついていない方を摘むの」

「姉様、これはこっちでいい?」

「それでもいいんだけど、それは明日までもつでしょう? あっちが限界だから、今日はあっちを取ろうか」


 鳴伊は次代の筆頭となる予定だ。


 薬草園には他にも専属薬師の姿があり、みな担当の薬草を世話している。後宮の外だから年配の薬師もいるし、男性もいる。鳴伊と同じくらいの年齢の男の子もいた。


「沙羅、ちょっと見てくれないかい?」


 叔母おばに呼ばれた沙羅は、指し示された花の様子を確かめた。


「少し水が多かったかのかも。ここのところ雨は少ないけど、曇りがちで湿度が高かったから」

「そう。気をつけるよ」

「沙羅はどうしてか植物の気持ちがわかるものなあ」


 祖父の声がかかった。


「母さんの教えが厳しかったから」

「沙羅は物覚えが悪くて大変だったよ」


 腰をかがめていた母親が腰を叩きながら体を起こして揶揄やゆすると、周りの薬師たちが笑った。




 薬草園での仕事が終われば、次は後宮内の薬室へと向かう。


 竜帝の朝の薬の調合をするのだ。朝だけではない。昼餉ひるげ夕餉ゆうげの時にも、その都度せんじて献上する。


 魂を半分に割った竜帝は、下界では人の姿を保ち続けていられない。それを補うために、一日三度の服薬が欠かせなかった。この薬を調合つくるのが専属薬師の最も重要な仕事だ。


 その他、薬草を保存するための処理や、古くなってきた常備薬を新しく調合し直したりと、やることはたくさんある。


 他の薬師たちは、引き続き薬草園で薬草の世話をしたり、栽培できない薬草を採りに出かけたり、宮廷にある調合室で調合をしたりしている。


 専属薬師は宮廷の薬師も兼ねていた。「専属」の名に相応しくないのは、かつて宮廷薬師がいたころの名残なごりだった。薬を扱う部署は複数もいらないということで、竜帝が宮廷薬師を廃止したのだ。


「鳴伊、切立花きりたちばなの乾燥の確認をして」


 今日するのは霊薬の調合だ。


 切り傷も打ち身もたちどころに治してしまうと言われる万能薬。もちろん実際に大怪我を瞬時に治すことはできないが、ちょっとした切り傷くらいは言葉通り「たちどころに」治る。ただし効果があるのは竜のみで人間には効かない。


 これを調合つくるのが専属薬師の二番目に重要な仕事だった。


 切立花は生で使った方が効果は高いが、作った後の薬の保存期間を延ばすためには乾燥が必須だ。


「はい」


 鳴伊は踏み台に乗り、部屋の壁から壁へと渡された紐に逆さまに吊るされた切立花を、作業台の上に丁寧に並べていく。


「乾燥が完了した目安は?」

花弁はなびらが根元まで綺麗な空色になっていること」

「よろしい。じゃあ、乾いたと思う物を寄り分けて。できたら確認するから」

「はい、沙羅姉様」


 真剣な目で一輪一輪確認しながら、鳴伊は花を二つにわけていった。


 沙羅は、あと四年程は後宮にいられるだろう。鳴伊に教える時間はまだまだたくさんある。沙羅の前は歳の離れた従姉いとこしかおらず、引き継ぎの時間は短かった。後宮の外で母にも教えを受けた。


 それに比べれば、年の近い世代がいるのは頼もしい。鳴伊の下には沙羅の十歳の妹もいる。


 時間があるからといって、指導の手を緩めることはない。沙羅に万一のことがあれば鳴伊が代理を務めなければならないのだ。


 沙羅は自分の作業をする前に、薬棚の引き出しから薬包を取り出して粉を飲んだ。


 これが三番目に重要な仕事だった。頭痛や貧血などの副作用は強いが、薬師として後宮で竜帝に仕えるために必要なことなのだ。


 鳴伊にもそろそろ飲ませなければ、と思った。可哀想かわいそうだが、次代をになわせるためには仕方がない。


 沙羅は朝の煎じ薬づくりを始めた。


 この薬に必要な草花の全ては薬草園で採れる。毎日毎食分作る物だからと、代々の専属薬師が苦心して栽培法を見つけてきたのだ。


 切立花も何とかならないかと温度湿度その他を調整して研究している班もいるのだが、いまだ成功のきざしは見えていない。


 数種類の葉を刻み、水にさらした根をすりおろし、実を叩いて汁を出す。いつもの手順だ。目をつぶっていてもできるくらいに体が覚えていた。


 そこに鳴伊が話しかける。


「沙羅姉様、これ、昨日竜帝様と採りに行ったんだよね?」

「そうだよ」

「どうして沙羅姉様は竜帝様が怖くないの?」

「どうしてって言われても……」

「みんな怖がってるよ。私もあの目が怖い」

「竜帝さまは優しい人だよ。怖がることなんて全然ないのに」

「そう言うのは沙羅姉様だけだよ」


 竜帝は畏怖いふの対象である。


 竜帝の統治は素晴らしかったが、厳しくもあった。


 竜帝はりし日の皇帝と約束したのだ。国を守ると。


 国とはすなわちたみだ。皇帝のことでも朝廷の事でもない。国はそこに暮らす民がいてこそ成り立つものだ。


 だから竜帝は民を守ることを第一に考える。


 特に不正に対して容赦がない。民をないがしろにすることを許さず、官吏かんりの首は簡単に飛んだ。


 例え忠臣であったとしてもそれは変わらなかった。官吏には自らに対しておもねることではなく、民を思うことを求めた。


 同じように、犯罪に対する刑罰も厳しかった。


 だから人々は竜帝を恐れる。


 しかし理由はそれだけではない。


 竜帝は竜なのだ。


 一口で人を噛み殺してしまえる鋭い牙。体を簡単に引き裂いてしまえる長い爪。いくさでは炎を吹いて軍隊を丸焼きにし、黒雲を呼んで敵の大将を雷で打つという。


 その夜の闇のように黒い体躯たいくを間近で見れば、自分たちとは違う生き物なのだと、皇帝という地位の持つ力をさらに超えた圧倒的上位者なのだと、人は思わずにいられない。


 姿を直接目にしたことのない民であっても、物語で、絵で、その恐ろしさは語られている。


 そしてその双眸そうぼうだ。


 金の瞳。竜であるあかし


 その眼光は、恐怖で体がすくんでしまうほどの鋭さを持っていた。


 それは長く仕える者でも同じだ。目を合わせないのは失礼に当たるため、気持ちを押し殺して竜帝を見るのだ。竜帝の前で皆が平伏するのは礼儀としてだけではなかった。顔を上げろと言われるまでは、瞳を見なくて済むからだ。


「綺麗な目なのに」


 あの瞳を誰もが恐れることが沙羅には理解できない。太陽のように光を放ち、満月のように闇を照らす、力強く優しい目だ。


 沙羅が森で迷子になるたびに探しに来てくれた竜帝。その目を見ると、いつもひどく安心した。


「そう言うのも姉様だけ。竜帝様と気安く話せるのが信じられない」

「鳴伊がタメ口いたとしても怒られたりしないよ」

「無理」

「薬を飲むようになれば少し楽になると思うよ。母さんも従姉ねえ様もそう言ってた。竜帝さまの怖さは、竜気のせいもあるんだって」

「なら早く飲みたい」


 沙羅は肩をすくめた。


 飲み始めたら二度と飲みたくないと言うに決まっている。最初は副作用が強すぎて連日吐くのだ。


「できた、っと。竜帝さまに届けてくるね。戻って来る前に、それ、終わらせておくこと」

「はーい」


 沙羅は鳴伊を残して薬室を出た。




「あれ、お薬使わなかったんですか?」


 朝餉あさげが終わった時間を狙って竜帝の私室に着いた沙羅は、卓の上に夜の精力剤の薬包がそのまま置いてあるのを見つけて言った。周りに誰もいないので、いつも通り気安い態度だ。


「昨夜は気分ではなかった」

「新しい方々が気に入らなかったんですか?」

「そういうわけではない」


 竜帝のためにと、冢宰ちょうさいは花嫁選定の儀で集めた女性の中から、見目みめうるわしい者を妃嬪ひひんとして後宮に入れていた。竜帝を慰めるのが目的だが、あわよくば子ができないかとも思っているのだ。


「もしかしたら花嫁様がいるかもしれないのに」

「いない」

「そうですか」


 断言するなら後宮なんていらないじゃないか、とも思うが、そういう問題ではないのだろう。


 後宮に入るのは名誉とされている。贅沢ぜいたくな暮らしができるし、家族には報奨金が出る。万一子が出来れば皇后になれる。


 そして、長くても四年もすれば出ることができた。早ければ三年だ。竜帝のお手付きになるとはいえ、子が出来ていないことが確認された後は自由になれる。


 その理由は、若くなければならないからだ。竜帝が若い女性だけを好むというわけではなく、若い女性でなければ子供ができないからというわけでもない。竜帝の持つ竜気が人の体に悪影響を及ぼすからだった。


 日中普通に接している分にはいいが、夜は竜気が濃くなり人に対して毒となる。ちぎりを交わせばなおさらだった。毒への影響が最も少ないのが若い娘なのだ。


 竜帝との子ができないのなら後宮に置いておく意味はない。毎年新しく娘が集められるのだから、無理をしてまで囲っておく必要はない、と竜帝は考えていた。


 まだ十九歳でしかない沙羅が後宮の専属薬師の中で最も年かさであることの理由でもある。夜に後宮にいるためには薬師も若くなくてはならないのだ。沙羅が薬を飲むのは、その毒の影響を抑えるためだった。


「何をそわそわしているんです?」


 沙羅はさっきから立ったり座ったりを繰り返している竜帝を見て言った。


「なんだか落ち着かない」

「具合が悪いなら言って下さい」

「悪くない」


 なら早く飲んで下さい、と沙羅が苦いせんじ薬を差し出したとき、扉が叩かれた。


 沙羅は椀を受け取った竜帝から離れ、壁際へと下がって顔を伏せた。


 竜帝の返事を待って入ってきたのは女官の一人。


 なんでも、花嫁選定の儀に間に合わなかった娘がいるという。


 通常は余裕をもって何日も前から帝都に滞在するものだが、隣国に移住していて出入国の手続きに時間がかかってしまったというのだ。


「面倒だ」


 竜帝はぞんざいに片手を振って女官を追い出した。


 女官が退出したのを確認して、沙羅が再び竜帝に近寄る。


「会った方がいいですよ」

「会うだけ無駄だ」

「万が一花嫁だったらどうするんです? また何百年も待つんですか? あとであの娘だったかもしれないと悩むのは嫌でしょう?」

「……それもそうだな」


 魂の片割れなど見つからなければいいと思っていた沙羅だが、見つかるのが白家の悲願と刷り込まれていたのもあるし、待ち続けている竜帝を十三年間も見てきて、不憫ふびんに思う気持ちもあった。


 竜帝は手の中の煎じ薬を飲み干したあと、顔をしかめながら、朝議の前に会う、と言った。



 このあとすぐに、沙羅は自分の言葉を後悔することになる。

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