5章 本人

17 逆さの真実の神マアト

 柔らかな草が風になびく音が聞こえる。頬を優しく撫でる草の感覚に心地よい日差し。目を開けるのが億劫になる。このまま寝てしまおうかとまで思ったが、じわじわと覚醒する意識がそれを止めた。


 仕方なく重たい瞼をゆるゆると開けると澄み切った青空が広がっていた。


 しかしその青空にどことなく違和感を感じる。魔法的なものでもない、どちらかというと精密に作られたホログラムを見せられているような……。


「3号、いつまで寝てるの?」


「はあっ!起きます!すみません!」


 突然耳元で聞こえたキャッツアイの声に飛び上がる。一気に眠気は覚めた。ただ寿命が数年縮んだ気がする。


 しかし辺りを見渡してもキャッツアイはおろか、他の2人もどこにも見当たらない。するりと手の下をくぐるように擦り寄ってきた黒猫を撫でながら視線を動かして探す。


「不思議……感覚も風景も偽物みたい……」


「あら、勘がいいわねぇ」


 真横から声が聞こえて硬直する。そちらを見ると黒猫が可愛らしい声で鳴いた。もしかして、もしかしてこの猫がキャッツアイなのだろうか。


 確かに彼女の名前の中には猫という言葉が入っているし、黒猫の耳としっぽも着いていた。


「し、師匠?」


 恐る恐る猫を持ち上げるとまるで返事をするように猫は鳴く。理解がなかなか追いつかない私に追い打ちをかけるように頭に突然衝撃が走った。


 ドスッと突然なにかが頭の上に乗ったような感覚。頭上でカァとひと鳴きされてからようやくその正体がカラスだと気がつく。


「突然で悪いけど早速私の手足になってもらうわよぉ」


「いきなり実戦ですか!?」


「随分毒されちゃってるわねぇ、実戦ばかりが魔法じゃないわ」


 その言葉と同時にパッと目の前の何も無い空間にマップが浮かび上がる。ホログラムだ。左上にVCWの文字。確か人気バーチャルゲームにこんなタイトルのものがあったはずだ。


「私が今いるのはゲームの中なんですか?」


「そうよぉ、そこである人物に会ってほしいの」


「会う、だけじゃないですよね?」


 これは勘だ。しかし妙に確信がある。猫はゴロゴロと喉を鳴らしながら膝の上に乗る。


 それからほんの少しだけ間をあけてキャッツアイが口を開いた。


「そうね、話すと長くなるから移動しながら説明するわ」


 ピコンと軽い音をたて、マップに赤いポインターがつく。それと同時に膝の上に乗っていた猫がまるで道案内をするように私の前を歩き出す。


 この猫がキャッツアイならなぜこんな姿なのだろうか。このゲームの話はよく聞くが動物になれるとは噂でも聞いたことがない。猫を見ていると妙な違和感を感じるのは魔法を使っているからとかなのだろうか。


「弟子になったからには師匠の目標達成を手伝う必要があるわ。それの対価として私は貴女に魔法を教えてあげる」


「目標、ですか」


「そう、魔道防壁を教えた時に話した事覚えてる?」


 そう言われて必死に思い出そうと頭を捻る。そう、たしか最後になんだか途方もないことを言われた気が。


「世界の外から来た怪物が滅ぼそうとしてるとかなんとか……ですっけ?」


「あらぁ、意外と物覚えがいいのねぇ。そうよ、外から来た怪物の討伐が私の目標」


 世界の外から来た怪物、と言われてもなんだか実感が全くわかない。


 UHM自体規格外の存在と言われているのに、やれ世界だなんだと言われても規模が大きすぎて想像の範疇を超えるのだ。


「えっと、具体的に外からっていうのがわからないんですけど、パラレルワールドから来た異世界人みたいな感じですかね?」


「いえ、この世界にパラレルワールドは存在しないわ。そうねぇ、怪物って言い方が悪かったかしら。昔は神様と言われていた存在、世界の法則を保つ概念的存在のほうがわかりやすいかしら?」


 神様、概念的存在。途方もない言葉がポンポンと飛びだし余計に訳が分からなくなる。ようは神様がこの世界に降り立ってなおかつ世界を滅ぼそうとしている、ということだろうか。


 さくさくと心地よい音を立てていたフィールドは気が付くとレンガ造りのいかにもファンタジーな街中に変わっていた。辺りにはちらほらと他のプレイヤーもいる。


「ゲームの中のいい所はこういう話をしていてもゲームの話だと思われるところよねぇ」


 キャッツアイはのんびりとした調子で話す。少なくとも穏やかな話ではない筈だが、彼女の話し方は随分余裕があるように思えた。


「神様と戦って勝算なんてあるんですか?」


「あら、その勝算を高めるために貴女に動いてもらってるのよぉ」


「今から会いに行く人がなにか知っているんですか?」


 不意に前を歩いていた猫、というかキャッツアイがピタリと止まる。開けた広場に着いたようだ。マップを確認するとポインターの場所に到着したようだった。


 他のプレイヤーも続々と広場に押し寄せている。何かイベントが始まるのだろうか。残念ながらこのゲームに詳しくない私はきょろきょろと辺りを見渡したが全くわからなかった。


「まだ時間があるみたいだし、質問攻めばかり飽きちゃったからクイズでもしましょうか」


「く、クイズ?」


 突然の提案に思わずぎょっとする。あまりいい予感はしない。碌でもないクイズの気配だ。


「1号、2号、ホロを解いて」


 キャッツアイの言葉と同時に猫と私の頭から飛び降りたカラスがぼんやりとした輝きに包まれる。徐々に光は人の形をかたどり、猫は蒼真へカラスはレイへと姿を変える。


 服装はなんだかファンタジーっぽいものになっていたが、よく見ると自分の服も気付いていなかっただけで妙にデザインの凝った物に変わっていた。というか猫がキャッツアイだとすっかり思い込んでいた。だとするとキャッツアイはどこから話しかけているのだろう。


「腕時計、見てみろ」


 蒼真に指摘され、確認してみると小さく付いたお飾り程度のモニターにはtalkingと表示されている。


「どぉ〜も〜」


 小馬鹿にしたような声。どうやら直接話していたのではなく、通話だったらしい。


 なんだかものすごくしてやられた気分だ。ぐっと顰めそうになるのを堪えながら碌でもないクイズについての話を進めた。


「それで、クイズってなんですか……」


「ズバリぃ今から会う人は誰でしょ〜う!」


「はぁ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だって知っているはずがないのだ。初めて会う人なのだから。

 それをクイズにするということは、もしかしてタレントや有名人だったりするのだろうか。緊張する私を小馬鹿にするような声色でキャッツアイは続ける。


「ヒントその1、3号はそいつの名前を知っていまぁす」


「有名人、ですか?それとも知り合い?」


「質問は受け付けないわよ、次、1号」


「ヒントその2!その人の容姿も桜子は知っています、知っていて当然です!」


 まるで選手宣誓をするように右手を高らかに上げてレイは大声で言った。


 周りのプレイヤーに見られてないか気になったが、案外ざわつきに隠されてこちらを気にする人はいない。容姿も知っている、となるととりあえず私の今の推測は間違っていないようだ。


「ヒントその3。あいつの能力も桜子は知っている」


 蒼真のヒントに耳を疑った。能力、があるということはUHMか私のようなコア持ちの人間だ。しかし、私の知り合いにコア持ちの純人間はいない。


 というより私が能力を把握している知り合いなんて事務所にしかいないし、事務所内でもごく少数だ。


「ヒントその……」


 キャッツアイがさらにヒントを続けようとした時、大きな破裂音が辺りに響き渡った。同時にチカチカと眩い光が辺りを照らす。


 どうやら花火が打ち上がったらしい。広場に集まっていたプレイヤー達は雄叫びのような歓声をあげる。


「あら、クイズの正解が出る前に始まっちゃったわね」


 あまり残念そうではない調子でキャッツアイは笑う。周囲は照明が落とされていき、暗闇に包まれる。熱狂的な声がゲーム世界に異様な影を落としていた。


 やがてアップテンポの曲が声を消すほどの音量で流れ出し、スポットライトが広場中央の上空2mほどを照らし出す。先程までは誰もいなかったその空間にそれはいた。袖広の漢服を肩にかけ、服や靴は着ているように見えるものの肝心の体は透明で顔の代わりにピエロのような絵が逆さに描かれた仮面をつけている。


「レディイイイスエンジェントルメェエエン!!悩める愚かな子羊共よ!虚像の神マアトのルームへ来たな、来やがったな、来てしまったな!」


 どこかレトロさを感じさせる機械音声が響き渡ると、辺りは更に熱狂的な歓声に包まれた。


 虚像の神、という言葉が引っかかったがこれはゲームの中だ。通り名がそうなだけで本当に神というわけではない……筈だ。


「さてさてさて、こうしている時間も勿体なく感じている諸君の為にもさくっと個別ルーム相談タイムに移ろう」


 マアトが右袖を振るうと大量のモニターが表示される。ここからは遠くて見えないがゲームコマンドを打ち込むものらしい。


 大小様々なモニターが表示されては消えを幾度か繰り返すと、周囲に立っていたプレイヤーがどんどん消えていく。どうやら別のエリアにテレポートさせられているらしい。ぼんやりと辺りを見渡していると、自分の足元もぼんやりと光り始めていることに気が付いた。


 あ、と声を出す前に目の前の景色が塗り替えられるように変わっていく。


「いい?目標はマアトに現実空間での接触と神を打ち倒す協力をしてもらうことよぉ?個別ルームに転送されたら外からの通信は遮断されるわ。成果を出せるように頑張ってねぇ」


 無情ともいえるキャッツアイの最後の通信。せめて1人じゃなかったらなんとかなるかもしれないが、蒼真やレイとはバラバラにされてしまうようだ。


 ほぼ落下するように椅子に座った状態で着地する。病室をどこか彷彿とするような白い部屋には机を挟んで反対側にマアトが座っていた。仮面のアバターでは表情は読めない。


「初見さんいらっしゃーい」


 首を傾げるような仕草をしながら言ったマアトの声は先程までの機械音声とは違い、生身の人間が出すそれだった。


 どこかで聞いたことがあるような声だ。しかし上手く思い出せない。


「よろしくお願いします……?」


 不慣れなシュチュエーションに思わずぎこちない声が出てしまう。マアトは傾けていた仮面の顔を更に傾け続ける。どこかからか消毒液のような匂いがする。


「VRゲーム自体初めてみたいだな。しかも好きでやり始めたわけではない。お使い?というよりパシられているのか。そういうのは断ってもいいと思う、思わざるをえない、うん」


「えっと、どうしてわかるんですか?私まだ何も言ってないのに……」


「データを見せてもらった。ゲーム、というよりネットワークを通すものは全てデータ化されて見やすく整理されるからこのくらい普通の人間でも出来る」


 マアトは仮面を90度に傾けたままフリーズするように動きを止める。カチカチとまるで歯を鳴らす様な独特な音が聞こえる。


「えっと、じゃあもう通話記録を見たのなら知っている事かもしれませんけど」


「断る」


 言い終わるより先に被せて強い口調で拒絶された。正直マアトも怖いが師匠キャッツアイのほうが怖い。ここで簡単に引くわけにはいかなかった。


「せめて理由をお聞きしてもいいですか?それで、マアトさんが納得する条件が出せたら」


「理由!理由理由理由、俺は人が死のうが世界が滅びようがどうでもいい!神を殺す?世界の滅亡?興味が無いね、全く無い」


「マアトさんだって世界が滅んだら死んでしまうんですよ?それを防ぐためにも」


「俺の力が必要?知らないよ、そんなの。お前の師匠とやらは神の弱点を知りたいから俺を味方に引き入れようとしている。でもそれくらいなら事務所にいるルキウス・ヴェザードを使えば……っ」


 そこまで言ったところでマアトは突然全ての動きを止め、姿にノイズが走る。ガチンと強く歯を鳴らす音が響く。


「お前、お前お前お前!何をした!何をしやがった!」


 癇癪を起こしたようにマアトは席を立ち怒鳴り散らした。全く身に覚えがない怒りに理解が追いつかず、体が硬直してしまう。


 そんな私を落ち着かせるかのように肩に軽く手がのせられる。このルームにいたのは私とマアトの2人だけだったはずだ。勢いよく振り返るとなんでもないような顔をして蒼真がそこに立っていた。


「見ればいいだろ」


 静かに落ち着いた声。それに対比するようにマアトの仮面はノイズでぐにゃりと歪む。そして消毒液の匂い。


 これは、コアの能力を使った時特有の匂いだ。嗅いだことのある、匂い。


「半端にしか事情を教えてない小娘を寄越して俺を動揺させ、同時に300人のユーザーのデータに過剰な情報の上乗せ。外からの協力か。風間レイ、あれはデコイで本人は外部から過剰データを送っている。クソッ!クソッ!クソッ!ふざけやがって、ふざけやがって!俺を誰だと思ってる!このくらいのデータ集中すればすぐに」


「あぁ、不要データとそうでないものの処理くらい簡単に出来るだろうな。……大体2分くらいか?」


 蒼真はちらりと腕時計を確認してマアトに向き直る。余裕を感じさせられる佇まいに私は大きな違和感を感じた。


 蒼真は、彼は、こんな人だっただろうか。なにかわからない胸騒ぎがする。


「2分15秒だ。解析処理中無防備になったところをハッキングする計画か。同時に最初のダメージの際に俺が逃げないようにログアウト出来ないように小細工まで。もし俺が過剰データを無視すれば更に上乗せしてパンクさせてハッキングする予定か。あぁぁ、腹が立つな、腹が立つ。逃げ場のない場所まで追い詰められたわけだ。お前達は交渉ではなく協力でもなく強要しに来たんだな」


 がくりと肩を落とすようなモーションをしてマアトは口早にそう言った。ガチガチと歯を何度か鳴らしてからマアトはゆっくり私達に背を向けた。


 ルームに取り付けられたオブジェクトの窓の外を眺めているらしい。しかし窓の外は徐々に暗く、黒く塗りつぶされる。


「Dエリア、大型発電所跡。ログアウトさせてくれ。そこで待っている」


「嘘じゃないよな?」


「マアト神は嘘をつかない」


「わかった。ただしログアウト権限の復帰は現地でさせてもらう。それから少しでも過剰データの処理をすれば」


「負荷を増やす、だろ?好きにしろ」


 そこまでする必要があるのかと抗議をしたくなったが、私はマアトのことを何も知らない。それだけ危険な人物なのかもしれないし、信用に足る人物ではないのかもしれない。


 でも、何も分かっていない私が口出しするのはきっと良くない結果を生む。それでも何かマアトに声をかけようと手を伸ばした時、意識がブチりと切られる感覚と共に視界がブラックアウトした。

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