10 衝突

 護送車の中はまるで火葬場に向かうかのような空気の重さだ。支給された政府特製の防御スーツは軽さと丈夫さが売りらしい。


 Dエリアに件のUHMは潜伏している。UHM庁の駆除専門の職員が先に向かったが、連絡が取れなくなったそうだ。そのため急遽こちらが呼び出されたわけだ。危険なUHMにはUHMを、というのが姉川盃伴の考えらしい。


「少しは落ち着いたかしら」


 向かい合うようにして座った亜美は静かな声で聞いてきた。私が姉川長官に楯突いたことを怒っているわけではないらしい。


「私、まだ納得したわけじゃありませんから」


「でしょうね。私達も納得はしてないわ。でもここで依頼を断れば消されるのはこっち」


 事務所には多くのUHMがいる。皆が皆、無闇矢鱈に人を害することは無いが危険が全くないと言いきれる訳では無い。


 首輪を着けていない時点で法律違反で処分対象なのだ。それを今は姉川長官が融通を利かせて、依頼をこなす限り見逃してくれている状態らしい。


「だけど……」


 わかっている。亜美がこの依頼に乗り気じゃないことくらい。それでも心に生まれたわだかまりは消えてくれない。


「姉川盃伴はUHMの脅威性を排除出来ればいいと考えているはずよ。人間でいえば武器を捨てさせるか殺害するか、ってところかしら。話して良い奴だったから和解、というのは求めてないわ。無力化させるなら方法を選ばないというとこかしら」


「無力化……それなら私の力でエネルギーを奪えば!」


「そうね、一時的には無力化させれるでしょうね。でもコアがある限りエネルギーは自然と回復する」


 ぐっと息が詰まる。UHMはコアがなければ存在できない。私の力でずっとエネルギーを奪い続けるのは不可能に近い。


 私の中にあるコアにも限界容量はあるのだ。そうとなると残される道はコアの完全破壊。ようはそういうことなのだ。


「そんな顔しないの。私に考えがあるわ。殺さずに無力化させる方法。その為にもある程度の戦闘は覚悟してちょうだいね」


 肝心な方法については一言もなかったが、妙に自信に溢れるその顔を見ると心の中にあったモヤが少し晴れていった。




「ここが最後の通信があった座標です。それではお気をつけて」


 護送車の運転手は心のこもっていない言葉だけの声援を送って去っていった。崩れかけた石造りの建物の屋根には十字架が傾いた状態でなんとか立っている。


 教科書でしか見たことのないいわゆる『教会』は随分昔に全て立て壊されたとテレビで放送されていたはずだ。しかしこの建物は壊されたというよりは劣化によって崩れかけているように見える。


「Dエリアは政府の土地開発が上手く機能してないからな。意外と何ヶ所かまだ宗教組織も残ってるみたいだぞ」


 私の思考を読んだルキウスが蕾の後ろに隠れながら解説をする。やはり彼はアベルが恐ろしいのだろうか。


「あの……アベルさんってどういう人だったんですか?知り合い、なんですよね?」


「あー……知り合い、うん、まあ知り合いなんだけどさ。どんなやつか……どんなやつ……」


 珍しく歯切れ悪い回答だ。実はめちゃくちゃ喧嘩してそれっきりになってしまったとか、そういう事情があるのかもしれない。


「いや、それは無い」


 ルキウスは私の思考に素早く反応してからぽつりぽつりと話し始めた。


「敬虔なキリスト教徒で真面目で堅物。正義感が強くて頭がよく回る優秀な警察官というのが世間の印象」


「ん?世間の印象ってことは実際は違うのか?」


 ケイトは片手で弄っていたライターの蓋を閉じてから聞いてきた。一応今から対峙する相手のことだから聞き耳を立てていたらしい。


「あぁ。なんというか、あいつの家は特殊でな。父親がカルト寄りのキリスト信仰にどっぷり。それで行動に制限をかけられていたせいもあって傍から見れば真面目で堅物に見えたって感じかな。行動制限は例えば……」


 そこまで言うと急にルキウスはハウライトラピスを指さした。突然指されたハウライトラピスは少し困った顔でにっこりと笑う。


「笑顔」


「は?」


「笑顔は禁止。特に歯を見せて笑うのは罰が与えられる」


「んな無茶な」


 ケイトは呆れたような調子で言う。


「他にも色々あるぞ。香水、白ワイン、外食、家の外での祈り、これは全部禁止。最初に踏み出す足は右足と決まっていたし……まああいつは俺よりあとに死んだから最後まで律儀にそれを守っていたかはわからないけどな」


 ずらずらと出てきた禁止事項にぞっとする。一体どんな人生だったのだろうか。何をするにも禁止事項が付きまとう生活。


「ははは、踏み出す足が決まっているのはやりやすいな」


 急に笑い声を上げた蕾にぎょっとした。完全に目が座っている。やっぱりあのドライフルーツにはやばいものだったのか。


「違う、葉巻のほうだ。マンゴーはマリファナの効果を高める効果がある。まっ、気にすんな。戦うってなら蕾はこうのほうが調子がいい」


「無駄話するならもう行くわよ。皆用意は万全ね?」


 亜美は僅かに緊張を含んだ声で最終確認をする。相手は少なくとも対UHM戦に優れたエリートを潰すほどの実力を持っているのだ。


 私は靴の踵に彫り込まれた魔法陣を確認する。これは私が唯一使える魔法だ。コアの能力は補助系で戦いには向いていない、と思う。なるべく足を引っ張らないようにすることだけに集中しよう。


 先頭に立った蕾が鉄製の錆びた扉をゆっくり押し開ける。錆が擦れる嫌な音が響く。


 教会の中は案外保存状態がよく、長椅子がずらりと並んで簡素ながらも厳かな雰囲気が漂っている。ステンドグラスから差し込む日が薄ら舞うホコリを輝かせていた。


 丁度突き当たりの真ん中に煤けた背中があった。着倒したカソックはその大きな背中に馴染んでおり、周りの異様な光景がなければごく普通の神父のように見えただろう。


 そう、彼の周りだけ長椅子が破壊されており、そこに埋もれるように人間の足や腕が見えていなければ。彼らが先行した部隊なのだろう。うっすらうめき声が聞こえてくるため死んではいないようだが、重傷なのは察される。


 やがてアベル・クレンバロ・デュクドレーはゆっくりこちらを振り返る。目がバチリと合った瞬間猛烈な違和感に襲われた。まるで目で見えている今のその姿が偽りのもののような。


「君達は、彼等の言っていた増援なのか?それとも、罪を告白しに来た愚かな子羊なのか?」


 静かな問いかけ。濁りがひとつもない美しい湖が揺蕩う様な耳触りの良いシルクのような声だ。問いかけに答えることなく蕾はゆっくりと歩を進める。その口元にうっすら笑みが浮かんでいるのが見えてゾッとした。


「血の匂いがする。何人殺した?」


 先程とは打って変わって冷たい声だ。表情は変わらないが空気が違う。


「ーー」


 蕾が何か言おうと口を開いた時だった。唐突に亜美が彼の後ろ髪を思い切り下に引っ張って制止した。ゴギンと嫌な音が聞こえ、蕾は後ろに反り返るような姿勢のまま固まって口をぱくぱくとさせる。文句を言いたいが声が出ないといった具合だろうか。


「私達はあなたと話をしに来ました。なんでも罪の告白を聞いてくれる神父様が日本にいらしていると聞きまして」


 物凄い営業スマイルだ。部下の首を痛めつけたとは思えないその笑顔に関心すら覚える。 亜美は視線をアベルから離さずこちらに小さく手招きをする。全員教会の中に入れ、ということらしい。


「それは……失礼。あらぬ疑いをかけてしまったようだ。さ、もう少しこちらに来られてください。葡萄酒もパンも用意できませんが」


 亜美の言葉に笑みこそ浮かべないが、元の柔らかな口調に戻った。それから瓦礫とそこに埋もれる人を横目で見る。つられて私も視線をそちらに移すと木製の椅子が割れる異様な音が響き始めた。


「がああああああああああああああ!!!」


 挟まれている人の声だろうか、喉が切れそうなくらいの絶叫と共に瓦礫諸共壁の端まで一気に叩きつけられた。


 それと同時にどこからが花の香りがふわりと漂ってくる。アベルの周りだけが木屑や埃1つも落ちていない妙なくらい綺麗になった。


「なかなかイカれているようじゃないか」


 感心したような口調でハウライトラピスが呟く。ルキウスは真っ青になってますます蕾の後ろに引っ込んだ。


 とんでもない相手ということはわかったがこのまま入口付近にぼんやりと立っているのも賢明な判断とは思えない。勇敢な足取りで前に進み出した亜美に続いて皆がその開けた場所に向かう。


 魔法なら魔法陣か呪文が必要になる。しかしアベルは呪文らしきことを口にしていなかった。周りを見渡して陣を探してみるがそれらしきものもない。


「能力、のほうだろうな。お前のエネルギー譲渡も手順さえ踏めば魔法陣も呪文もなしに使えるだろ?」


 極々小さな声でルキウスが呟くように教えてくれる。


 能力、のことは確かルキウスに貰った参考書のような本に書かれていた。コアを持つものが使うことの出来る特別な力。特定の手順が必要なものの、魔法と違ってエネルギーのロスが少なく素早く発動させることが出来る。特定の手順というものもまちまちで腕の一振で使えるものから思考するだけで使えるものまである。


 普通は発動前の感知は難しいが、私の鼻はどうやらエネルギーの匂いを嗅ぎ取ることができるらしい。能力は魔法と違ってエネルギーを直接ぶつけるので匂いがわかりやすい。先程の花の匂い、あれが能力の合図だ。


 まあわかったからといって私の魔道防壁が間に合うかどうかは別だが。


 カツリと亜美のヒールのたてる音が止まる。それを合図に全員がアベルの正面で立ち止まった。


「今日はとてもとても素晴らしい日だ。信仰を許されていないこの地で教えを説くことができるとは……」


 うっとりとした夢見心地の瞳で両手を広げながらアベルがそこまで言ったところでピタリと止まった。翡翠の目が蕾の背後に隠れる小さな黒髪を捉えたのだ。


「ヴェザード?」


「や、やあ、デュクドレー。久しぶり……」


 ぎこちない笑顔を浮かべながらルキウスが恐る恐る蕾の余った右袖を握りしめたまま出てくる。旧友との再会というには重々しく、旧仇というには柔らかな口調だ。


「本人か?いや、まさか、隠し子?」


「結構失礼なこと言ってないか?本人に決まってるだろ。お前と同類の死に損ないだよ」


 死に損ない、その言葉を聞いた途端アベルの表情が一気にくもった。


「本人ならなぜクリストファーのそばにいてやらなかった」


 ビリッと空気が振動する。同時に花の香り。考えるより先に靴の踵を鳴らせて魔道防壁を全員の前に展開した。1寸遅れて爆風に似た空気の圧が魔道防壁にぶつかる。


「お前、お前が死んだ後、あいつがどれほど苦しんだか……!お前に想像出来なかったわけないだろう!!」


 アベルは苦しむように頭を抱えながら前屈みになる。再び花の香りと空気の圧。魔道防壁がギシリと嫌な音を立てる。先程より力が強くなっている……!?


 それと同時にアベルの姿にも変化が起きた。黒のカソックからみるみる色が抜けていき、背から大理石のような大きな翼が3対突き破るように生えていく。頭部には天使の輪のようなものが現れ、それを固定するかのように杭が輪を貫いて頭部に8本突き刺さった。


 ばたたたと床に額からのおびただしい出血が落ち広がる。翡翠の瞳は血に濡れながら怒りに振るえていた。


「言葉での説得は不可能そうね。戦闘に切り替えるわよ」


 亜美は眉間のシワをいつもより深くして冷静に指示をする。今アベルはルキウスのみに敵意を向けている。しかしルキウスはあくまで戦闘の補助要因であり、このまま狙われ続けるのは危険だ。


 つまり、誰かがルキウスの代わりにアベルを引き付けてその間にルキウスを少しでも離す必要がある。

 再び花の香り。今度は魔道防壁が大きくひび割れた。逃しきれなかった空気の圧が襲いかかってくる。背後で教会の扉が派手に閉まる音が聞こえた。

 気がつけばアベルの手にはマチェットナイフが握りこまれている。距離は10メートルもない。逃げなければ。


 隣で硬直しているルキウスの襟首を掴んで後方に走り出す。同時にアベルが右足を踏み出した。

 ガァンと近距離で破裂音が響く。走りながら横目で確認すると蕾がアベルの右足に向けて発砲していた。


 政府の支給品とは違うおそらく私物のマグナムだ。片手で撃った反動で照準は少しぶれたようだったがそれでも弾はアベルの右足太腿を抉っていた。


 しかしアベルは呻き声1つあげず、ぐるりと首を動かし蕾のほうを見やる。ぐっと踏み込むような姿勢。


 飛び込んでくる、とわかった瞬間爆発的なスピードでアベルはマチェットを蕾の首に叩き込んでいた。蕾はマグナムを挟み込むようにしてなんとか受け止めたがバキリと嫌な音がする。


 それと同時にマグナムごと蕾の体は教会の石壁まで吹き飛ばされた。


 花の香りがしなかったから、今のは能力を使っていない。それでこの威力だ。


「回復魔法の使い方はわかるか」


 呆然と立ちつくす私にルキウスはいつも以上の早口で聞いてきた。アベルはゆっくりと蕾の方へ近づく。トドメを刺すためだ。しかしその歩みは遅い。翼が重いのか石造りの床を引きずりながら無事な左足を頼りに歩くためまだ猶予はある。


「教えてください」


 返事をしながらルキウスと共に蕾の方へ駆け寄る。すると後方から炎が上がった。ケイトだ。


「来いよおお!イカレ野郎!!」


 挑発の声に反応してアベルの怒りの矛先が変わる。心の中で感謝をしてすぐに蕾の元へ向かった。


「蕾さん、蕾さん!」


「げほっ……ゴポッ……」


 マグナムは真っ二つに割れていた。右手の指も何本か表面を削り取られているせいで骨が僅かに露出していた。


 首の傷の具合は絶えず流れ出る大量の血液で全く見えない。しかし口から泡混じりの血を吐き出していることから少なくともマチェットの刃は気道まで切り裂いたことは想像できた。


 こういう時意識を失わないように声をかけ続けるのがいいのだろうか。正解の見えない中、ルキウスが回復魔法用の魔法陣を描き終えるまで体には触らずに声だけをかけ続ける。


 呼吸が少しずつ弱くなっているのか水道管が詰まったようなゴポゴポという音が小さくなっていく。


「よ、よし、魔法陣は完成した。桜子、早くここにエネルギーを注いで起動させるんだ!」


「はい!」


 蕾の血で書かれた魔法陣に手を向けようとした時、下から突き上げるような猛烈な衝撃に襲われた。ハッとなり振り返ると瓦礫が巻き上がるのと炎がかき消されるのが見えた。


 遅れて破片がこちらにバラバラと降ってくる。魔道防壁は間に合わない。咄嗟にルキウスと蕾を抱え込むようにして庇う。背中に瓦礫が何度も当たり鈍い痛みが走ったが歯を食いしばって耐える。


 しかしその時、気づいてしまった。蕾の呼吸が完全に止まっていることに。

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