3章 閉じ込めないで

9 アベル

 UHM庁とは首輪付のUHMの管理だったり、UHMの駆除を行ったりする言わばUHM専用の対策本部みたいなところだ。Aエリアと呼ばれる言わば国の心臓部にあたる地区に本部を置いており、各地に支部を置いている。


 そして、私が今片手で数えれるほどしか着たことのないスーツで突っ立っているのはUHM庁本部の応接間だった。質のいい絨毯が一面に敷かれており、そのふわふわとした柔らかな感覚が落ち着きをなくさせる。4人くらい座れそうなソファも置かれてある。


 この部屋に案内した綺麗な女性にお座りになられてお待ちくださいと言われたが他の誰も座らないので自分も仕方なく立っている。亜美とルキウス、それにケイトと蕾とハウライトラピスは緊張した様子こそないがリラックスする気はないらしい。


「やあ、随分待たせてしまったらしいね」


 冷え固まった部屋の空気を静かに溶かすような落ち着いた声をかけながら入ってきた人物を見てあっと声を出しかける。品のいい高級そうなスーツに身を包んだ老婦人はテレビで度々目にしたことのあるUHM庁長官姉川盃伴だったからだ。


「いえ、長官もお忙しいのにわざわざ直接お見えになられるとは。てっきりメッセンジャーが来るかと」


 亜美は動じることなく落ち着き払った様子で受け答える。


「ふふふ、君たちは大切な上客なんだ。私自らが話をしなければ失礼だろう?」


「左様ですか。して、メールではなく直接の依頼、しかも人員は指定ということは……」


「まあ座りたまえ。少し込み入った話になる」


 長官直々に促されては断れない。亜美がソファに腰掛けたのを確認して私も座る。他の面々も座ったが、蕾だけは座る気は無いらしく亜美の背後に立ったまま長官を睨みつけている。


「君の事務所の社員は相変わらずのようだね。雷呀蕾君、だったね?この部屋はしっかり換気されているから煙草でもなんでも吸って構わないよ」


「長官」


「いいじゃないか。我々人間と違うんだ。必ずしも止めなければならないわけではないだろう。私としては彼の手の震えのほうが気になるのでね」


 亜美はまだ何か言いたげだったが、口を噤む。長官の口元は緩くカーブを描き微笑んでいるようにも見えるが、目は静かな闇を湛えている。


 件の蕾は暫く考えるように視線を泳がせると、珍しく目をしっかり合わせて長官に質問をした。


「食べ物を口にしても?例えばドライフルーツとか」


「構わないよ」


 今日初めて聞いた彼の声はいつものどもりこそないものの、力ないように聞こえた。つい先日怪我をしたばかりだからなのだろうか。それにしては妙に引っ掛かりを覚えた。


 蕾はスーツの内ポケットから包み紙を取り出し、器用に片手でその中身を取り出す。濃いオレンジ色の小さくカットされたそれはマンゴーの匂いを放っていた。じっと見ていた私に気づいたのか、その内の一つを私の方に差し出した。


「ど、どうも」


 受け取った後でこれは果たして食べても大丈夫なものなのかと固まる。一見普通のドライフルーツに見えるが、何かヤバいものが混ざってたりしないだろうか。じっと手の中の物を見つめていると長官はくすりと笑った。


「それはただのマンゴーのドライフルーツだよ。昔私も貰ったことがあるから安心するといい。な、そうだろ?」


「……」


 長官の問いかけを無視して蕾はドライフルーツをいくつか口に放り込むと3歩後ろに下がり葉巻に火をつけた。空調は長官の言う通りしっかり効いているらしく煙の匂いはこちらに来ない。


「さて、それでは仕事の話をしようか。まずはこれを見てくれ」


 机の上に広げられたのは防犯カメラの画像を無理矢理引き伸ばしたと思われる3枚の写真だった。画像は少し荒いがそのいずれにもブロンドの男が写っている。見たところ普通の人間のようだが、なんだか妙な違和感を感じた。


「彼は今までヨーロッパを中心に活動していたUHMだ。今まではキリスト信仰の強い地域にしか出没しなかったが、先日日本に侵入したことがわかった」


 今日本では過度な信仰は禁止されている。UHMの中には神話に描かれるようなものにそっくりなものがいるからだ。UHMを排除するためには信仰心というものが邪魔になる時がある。


 しかし、海外での信仰の規制はかなり緩い。というより無いところの方が多い。写真に写っているUHMはそういったところを転々としていたらしい。つまり本来の姿は信仰心によって守られるようなものなのだろう。


 そうとなると何故日本に来たのかがわからない。他のメンバーは何かわかるのだろうかと横目で確認する。


 すぐ右隣に座っているケイトは顎に手を当て考えるような仕草こそしているものの、視線は既に写真から外れておりあまり興味が無いのかもしれない。


 その隣の亜美は腕を組んで眉間に皺を寄せている。恐らく私と同じところで引っかかっているのだろう。


 さらにその隣のハウライトラピスはハナから興味はないらしい。大きな欠伸をして退屈そうにしている。


 1番左端に座ったルキウスは顔を真っ青にして写真を凝視している。それこそ幽霊でも見たかのような顔で膝上で握られた両手は小刻みに震えている。


 斜め後ろに立った蕾は遠巻きに写真をちらりと見たが、特に何か思う素振りもない。


「彼の名前はわかるね?ルキウス・ヴェザード。この写真から読み取れる情報を教えてくれないか?」


 長官はルキウスの様子に気付いていないわけはないはずだが、気にかける素振りもなく平坦な声で話しかける。ややあってルキウスは頬に手を当てながらゆっくりと話し出す。


「名前はアベル・クレンバロ・デュクドレー。俺と同郷……つまりフランスのルーアンの者です」


「ふむ、『冥府の門』に影響を受けたUHMということかね?」


「冥府の門?」


 妙な単語に思わず口を出してしまう。しかし長官はそれを咎めるわけでもなく、ちらりとルキウスの方を見る。口には出していないがお前から説明してやれと言いたげな目だ。


「あー、土地にエネルギーの流れがあるってのは知ってるよな?あれは川と同じで始点……つまり湧き場があるんだ。で、ルーアンはその湧き場が昔から多くあった。それを塞いでいたのが『冥府の門』だ。そのまま放置していたらエネルギーの流れが澱んで溜まり場が多くできる可能性が高かったからな」


「えーっと、つまり土地のエネルギー量が多いとUHMが湧くから塞いでいたってことですかね?」


「ああ、だがその『冥府の門』が機能しなくなった時期がある。その時期にルーアンで産まれた者は濃いエネルギーの影響を受けほかの地域とは比べれないくらい多くの人間が死んだ後UHMに変化した。もちろんその殆どは完璧な姿を保てずにすぐに壊れていったが……まさかこいつも生き残っているとはな」


 どうやら知り合いのようだ。怯えの色は消えているが、写真を見てあのような反応をするということは仲がいいということはまずないだろう。


「彼が元人間ということで間違いないとしてもやることは変わらない。君達にはこのUHMの処分を早急に行ってもらう」


 長官の告げた言葉に一瞬理解が置いていかれた。元人間であることを確認して、その上で処分と言ったのだ。思わず勢いよく立ち上がる。机に膝が当たって派手な音を立てたが関係ない。


「待ってください!人間なのにいきなり処分なんて!」


「桜子!!」


 亜美が声を上げて制するが、止められない。頭に血が上っているのは理解している。見も知らぬ他人ではあるが納得ができなかった。


「UHMにも種類があるんですよね!?話が通じない危険なUHMならまだしも、彼は人間だったんですよ!?それをいきなり殺すなんて……!!」


「そうだな、元、人間だ」


「ならなんで……!」


「UHMになる人間の多くは精神に疾患を抱えている。おまけにコアという武器を常に手にしている状態だ。その上もう、一度死んでいるんだ。正しい状態に戻すようなものだろう?」


 怒りで手が震えるのを握りこぶしをつくることでぐっと堪える。淡々と天気の話をするかのように話す長官が言葉を続ける。


「それに元人間のUHMなんて言ってるが、死体は埋葬されているんだ。元人間のふりをしたUHM、と言うほうが正しいと私は思うのだがね」




 Dエリアと呼ばれる隔離地区に明らかに浮いた服装をしたその男はいた。アベル・クレンバロ・デュクドレー。それが長らく呼ばれなくなった彼の名前だ。

 カソックの上から同じ黒の生地でできたポンチョを羽織り、腰に逆十字のロザリオを巻いている姿は宗教色があまりに強すぎるため、Dエリアのゴロツキも突っかかることが出来ずにいる。


 ブロンドの髪は陽にキラキラと反射して輝いていて、白粉をはたいた顔に完成された彫像のような影を落とす。深い緑の瞳は角度によって色合いが変わって見える珍しい目をしていた。


「愚かな地だ、信仰することを禁止するなど有り得ない。愚かな民達だ、信仰することで救われることを知らずに震えているだけの肉塊達だ」


 誰に投げかけるわけでもなく呟く呪詛の言葉。それ以上に異様なのは彼の後ろだ。まるで何か固く重たい物を引きずっているかのように道路に傷と不快な音のみ残していく。


 ふいに彼は両の手を空へ伸ばす。白いが適度に筋肉のついた健康的な腕だ。


「天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、われらの罪を赦し給え。われらの憎き敵を、父の名を騙るあの忌まわしき男を、今に引き裂いてみせましょう。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン」

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