11 におい

「来いよおお!イカレ野郎!!」


 ケイトは蕾の方へトドメを刺しに向かうその背中にありったけの罵声をあびせた。ケイトは蕾のことを個人的には嫌っていたが、戦力的には失うに惜しい人物だと考えている。


 攻撃をまともにくらっているようにも見えたが、回復魔法さえ間に合えば問題は無いはずだ。ルキウスと桜子が助けに向かうのを見たので、彼らにかけることにしたのだ。


 こちらにはハウライトラピスと彼の娘の亜美がいるが、娘を危険に晒すのはケイトとしては考えられなかった。


 よってハウライトラピスと協力することになるはずだったのだが、彼はアベルを見て眉をひそめたきり動こうとしない。


 ハウライトラピスは決して愚鈍なやつでも、弱者でもない。しかし彼が力を発揮するにはなにかと条件や制約があると前に言っていったのをケイトは思い出す。


(あいつは戦わないんじゃない。何かがあいつの力を抑えて戦えなくしているんだ)


 舌打ちをして右手に持ったオイルライターを構える。ケイトには魔法の才能や権限は一切ない。


 しかしそれは異常に発達した能力の弊害のせいである。パチンと慣れた手つきでライターに火を灯す。そしてその火をそのまま自身の左手につけ燃え移させた。


 アベルがぐっと腰を低く落とし身構える。蕾をマチェットで吹き飛ばした時と同じ姿勢だ。


(突っ込んでくる……!!)


 アベルが飛び出したと同時にケイトは燃える左手を正面方向に凪いだ。教会に舞う僅かな埃、それに炎を飛ばして一気に炎上させる。


「くそったれっ!!」


 目くらまし程度の威力しかないが、生き物というものは本能的に僅かな炎の中でも突っ込むことをためらう。しかし埃は一瞬で燃え尽きる。熱量も大したことない。


 それに気が付かれる前にケイトは距離を取って長椅子の内の一つに触れて炎を移す。


 目くらましの炎が晴れるより早くアベルが髪や服を少し焼くことを気に止めずに突っ込んできた。踏み出された右足から力を入れたせいか血が吹き出す。ゾッと嫌な汗が吹き出した。アベルは元人間だった。


 だからこそケイトは対人間用の戦法を繰り出していたのだが、彼は痛みにも炎にも怯むことがない。熱で泡立つマチェットに付いた血液。額から絶えず流れる血で汚れた真っ白なカソック。


 まさに化け物と呼ぶにふさわしいその姿に少し怯んでしまった。


「お父さん!!!」


 亜美の叫び声にハッとなった時にはもうアベルの振りかざしたマチェットは眼前に迫っていた。長椅子の炎では間に合わない。ケイトはライターを投げ捨て、右ポケットから小瓶を取り出して手が傷つくことに構わず握り割った。


 中に入っていたのはガソリンだった。


 気化したガソリンは左手の炎に反応して一気に爆発的な炎上をもたらたす。対したアベルの行動は冷静そのものだった。焦ることなくマチェットを引っ込めてじっとその炎を注視する。


 瞬間空気の圧が教会に不気味な地響きを与えながら炎を押し消したのだ。


 同時に巻き上がった瓦礫で両者の間に壁が出来上がる。アベルは痛む頭を押さえながら少しだけ息をついた。これでしばらくは邪魔をされないはずだ、と。




「蕾さん……?」


 息がない。血に濡れるのを構わず胸に耳を当てるが鼓動も聞こえない。薄く開いた目は瞬きをすることも無く、塵や石が入ってしまっていた。


 思わずルキウスの方を見るが、ルキウスも呆然とした表情で固まっていた。


 背後からガリガリと床を削る音が聞こえてくる。ゆっくり振り返るとアベルがこちらに向かっていた。ケイト、亜美、ハウライトラピスの姿は瓦礫の影になって見えない。まるで3人をかこうような形で瓦礫が積み重なっていたのだ。


 恐怖が、死が、こちらに歩みよってきていた。


「あ……ああ、いや……」


 せめて魔道防壁をと立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまっているのか上手く立ち上がれない。べちゃり、と血溜まりの中に座り込んでしまう。


「デュクドレー、話を、話をしよう。話せば俺が何をすればいいのか、わかるかもしれないじゃないか。分かりかえることがあるかもしれない……!」


 ルキウスが立ち上がって私の前へ出る。小さな背中は震えている。しかしアベルはそんなルキウスを見るとますます機嫌が悪そうな表情になった。


「今更何を言っているんだ。今更、今更じゃないか。お前が神の名を騙り、クリストファーの心を縛り、それが、それが、あんな、話だって無駄だ、あの時も、無駄だった。無駄だったんだ。今話をしてなんになる?」


「俺が死んでから今の体を得るまで何年かタイムラグがあった。その時にはお前も、クリスもルーアンにはいなかった。なあ、何があったんだ?俺が死んだ後、お前達に何があったのか教えてくれ。そうすれば……」


「そうすれば、なんだ。まさか『救える』とか言うのか?神様気取りもいい加減にしろ!お前は、お前は昔からそうだ。人の心を読んで、弱みに漬け込んで、支配、しようとする!」


 アベルは怒りに打ち震えながら視線を自らの爪先に向けたまま叫ぶ。同時にその表情は苦しみや悲しみを抱えているようにも見えた。


 ルキウスは静かにアベルを見つめるとゆっくり瞬きをする。僅かながら消毒液のような匂いが漂ってきた。


「クリスは俺の後を追って死んだのか?」


 ぽつりとした呟きにも似た質問。しん……と嫌な静寂が教会を包んだ。


「見たな」


 その声にはなんの感情も乗っていなかった。遅れてボタボタと大量の血がアベルの額から垂れ落ちる。


「俺の記憶を見たな!!!!!!」


 瞬間アベルは顔を振り上げルキウスを射抜くように注視した。同時に花の香り。


 まずい、と思いルキウスを後ろから引っ張り倒す。見えない力が迫ってくるように亀裂が迫ってくる。魔道防壁も間に合わない。もしここで間に合ったところで一瞬で打ち砕かれるだろう。


 恐怖に思わず目を閉じた時だった。背後からおぞましさを感じる強烈な腐臭が漂ってきた。


 1寸遅れてガァンという発砲音。放たれた弾丸はアベルの額正面に突き刺さっている杭に寸分の狂いなく当たった。


 まるで釘を金槌で打ち付けるように、杭はゴズッと鈍い音を立てアベルの頭蓋骨に押し込むように刺さった。


「う、あああああああああああ!!!!!!」


 突如として猛烈な痛みに襲われたアベルは頭を押さえることも出来ずに、マチェットを持ったまま両手を空にさまよわせ体を仰け反らせた。


 花の香りは消え、辺りには腐臭と血の匂いが残る。ゆらりと、背後で誰かが立ち上がる気配を感じた。しかし今は振り返って確認する間もない。アベルが痛みに気を取られているこの間が最大のチャンスなのだ。


 切り札を使う。おそらくアベルのコアは背から生えている大理石のような3対の翼だ。距離はそんなに遠くない。


 震える足を黙らせアベルの懐へ飛び込んだ。ハッとした表情のアベルと目が合う。その手にはまだ血で濡れたマチェットが握られている。


 あれを受ければタダでは済まない。しかし私は迷うことなく彼の右手を掴み、彼の顔越しに背後の翼に目を向けた。同時に流れ込んでくる暖かな感覚と、花の香り。




 それは暖かな記憶だった。


 厳しい父と無関心な母。家に居場所はないが、決められた時間に帰らなければ折檻が待っている。


 しかしそれは暖かな記憶だった。


 仕事場に行けば『彼』がいた。すこぶる優秀な自慢のバディ。彼と無茶をしながら事件を解き明かしていくのは爽快だった。


 声を上げて笑ったのはいつぶりだっただろう。白ワインを飲んだのは、踏み出す足に気を使わないのは、好きな本を読むのは、外食するのは。


 しかしある時から『彼』は塞ぎ込むようになってしまった。


 親友、同居人、唯1人の替えがきかない大切な人が病気でもう長くない、と。


『彼』は仕事を辞めた。自分は仕事を続けた。空いた穴を埋めるように。がむしゃらに。そしてそれは『彼』の起こした過去の過ちを掘り返す結果となった。犯罪だった。殺人だった。しかしそれは『彼』が過去に被害者となった事件にそっくりなものだった。


 なにか、なにか理由がある。話をしなければ。


「ルキウスが死んだ」


 久方ぶりに会った『彼』は開口一番にそう言った。それからこうも続けた。


「僕のしたことを糺弾しに来たんだろ」


 違う、と言った。


「許されないことをした」


 理由があったんだろう、と言った。


「ルキウスのいない世界で罪だけ背負って生きていくのは僕には厳しい」


 俺が、俺がいるじゃないかと。


 話をしようと、言葉を続けるより先に『彼』は頭を自分で撃ち抜いた。


『彼』との記憶は暖かなものばかりだった。それが『彼』の死をより深い闇に変えてしまった。


 話がしたかった。




 意識が浮上する。いつの間にか掴んでいたアベルの手は離れていた。彼の右手はへたり込みそうになっていた私の背を支えるようにまわされていた。マチェットは床に落ちている。


 向き合って膝立ちになった彼は唯何も言わず目を伏せている。ぽたり、とまるで涙のように杭を伝って血が私の膝に垂れ落ちる。


「アベル……さん……?」


 戦う意欲はもうないように見えた。翡翠の瞳にはもう怒りの色は失われている。ただ、そこにあるのは後悔と悲しみ。


 ほっと息を吐いた時だった。ビキリビキリとガラスを圧迫させてヒビを入れるような不快な音が教会に響いた。見るとアベルの翼が大きく天に向かうように広がっていく。


「馬鹿、離れろ!」


 どこかで聞いたことのあるような、少年とも少女ともつかない声。それと同時に腹を勢いよく蹴り飛ばされた。


「がっ、は」


 吹き飛ばされながら途中でルキウスも巻き込んで誰かの足元でようやく止まる。血溜まり、自分が今転がっている地面の状況に気づいてパッと見上げると怪我ひとつなくケロリとした顔の蕾が立っていた。


「せ、政府の犬か。えっとえっと、桜子さんだ、大丈夫か?」


 正直鈍痛で息が軽く詰まったが、心配そうにする蕾に笑顔だけ向ける。喋ると余計に心配をかけそうだ。


 というより何故彼は無傷になっているのだろうか。ルキウスが回復魔法を使ったのか?考えを巡らせながらも、私の腹を蹴り飛ばした犯人の方を見る。


 それは後ろ姿だった。影は複雑なカッティングを施された宝石が日を透過したような不思議なものだった。


 そして背格好は10代くらいだろうか。明るい茶髪は耳の下から黒檀のような黒髪になっており、赤くて大きなリボンで一つ結びにされて尻尾のように垂らされている。上はランタンスリーブに臍より上でカットされたようなブラウス。


 そして何より目を引くのは下に身につけているものだった。


 黒ビキニパンツ。


 それ以外の呼び方を私は知らない。薄いレース状の腰巻のようなもので後ろ側だけは隠されているが、透けて見える。物凄く透けて見える。膝より上のブーツか絶対領域を作りだし逆に卑猥に見える。


 そんな亜美も真っ青なくらい卑猥な格好をした政府直属らしい者は踵を強く鳴らした。キーンと耳に響く金属音。


「身を屈めて!」


 瞬間、今までにないくらい強い花の香りがアベルの方向から吹き出した。同時に強い閃光。ぐらりと地面が傾くような感覚と同時に意識が闇に飲まれていった。

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